宝が池沿革

宝が池沿革

宝ヶ池 池畔

宝ヶ池公園の「宝ヶ池」は、江戸時代中期の宝暦(ほうれき、ほうりゃく)13年(1763年)にため池としてつくられた人工池です。当時の松ヶ崎村の灌漑用水池として日照りによる干ばつに苦しんだ松ヶ崎農民の命の水として機能してきました。明治時代に入るまで宝ヶ池は溜池や北浦溜池と呼ばれており、「宝ヶ池」の呼称になったのは明治になってからのようです。
江戸時代後期の安政2年(1855年)に拡張工事が行われて池が今の大きさになったようです。
宝ヶ池が宝ヶ池公園として整備され始めたのは、昭和17年(1942年)都市計画により防空緑地として整備計画が決まってからで初期は宝が池周辺を公園化することから整備が進んでいきましたが、昭和36年(1961年)に国立京都国際会館が宝ヶ池北側に隣接建設されることが決定し、それに伴い施設整備が大幅に進みました。
昭和39年(1964年)に京都競輪場(宝ヶ池競輪場)が改築され子供の楽園が整備され、その後、昭和46年(1971年)に菖蒲園、昭和49年(1974年)に「憩の森」、昭和52年(1977年)に「桜の森」、昭和53年(1978年)に「北園」、平成4年(1992年)に「野鳥の森」が整備されていきました。そして宝が池の南に位置する宝が池公園運動施設球技場(宝が池球技場、サッカーやラグビー用)、テニスコート、フットサルコートなど、たくさんの施設が周りにできていったようです。

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