「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」と刻まれています。
吾は「われ」と読みますが、一ヶ所ひらがな表記にしているところが粋ですね。
文学博士という感じがします。
ちなみに西田幾多郎(にしだ きたろう)氏は、哲学の一派、京都学派の創始者で、京都大学の教授で名誉教授です。
なお、哲学の道は京都大学の近くにあります。ということで本当によく歩きに行っていたのでしょう。
歌碑の解説文にも西田幾多郎先生という表現があり、やたらと弟子たちは彼を崇拝の対象としていたようですが、西田氏自身はそんな弟子たちに対して、「もっと如来と対峙せんか!」と喝を入れていた、というような話を何かで読んだ記憶があります。
西田幾多郎氏自身は宗教家でも何でもないので、この場合の「如来」という表現は、おそらく宗教でありがちな人格を持った上位存在というような意味ではなく、「本質」というような意味になるでしょう。
公開日:2018.03.29
最終更新日:
最終更新日: