イスラエル エルサレム 嘆きの壁
ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁の現存する部分。
入るときにはセキュリティチェックがあり、また、帽子着用必須です。
原則的にはキッパーと呼ばれるユダヤの民族衣装の帽子ですが、ひとまず頭になにかかぶっていればいいようです。
手ぶらの場合は、紙製キッパー(紙製の帽子)を貸してくれます。
正統派ユダヤ人と思しき方々の中にもキッパーではなくハットをかぶっている人も多かったように思います。
「嘆き」ではなく「西」と呼ぶ理由
一般的にこの場所を「嘆きの壁(Wailing Wall)」と呼びますが、現地の人々やユダヤ教徒の多くは、単に「西の壁(The Western Wall / Ha-Kotel)」と呼びます。
「嘆きの壁」という呼称は、かつて神殿の破壊を悲しみ、涙を流すユダヤ人を見た異教徒や旅行者が付けた呼び名に過ぎません。彼らにとって、ここは単に過去を嘆く場所ではなく、神殿の再建と救済を願う希望の場所であり、ユダヤ人のアイデンティティそのものを支える「不動の座標」です。彼らの祈りの姿を観察すると、悲嘆だけではなく、強い意志や喜び、感謝の念さえもが渦巻いていることに気づくかもしれません。
ヘロデ王の建築が語る「絶対的な精度」
建築や考古学のプロフェッショナルとしてこの壁に対峙するとき、まず圧倒されるのはその石組みの精緻さです。これらは紀元前1世紀末、ヘロデ大王によって拡張された神殿の擁壁(ようへき)の一部です。
注目すべきは、巨大な石灰岩(エルサレム・ストーン)が、モルタルなどの接着剤を一切使わずに積み上げられている点です。それぞれの石の縁(ふち)には「縁取り」と呼ばれる独特の彫り込みが施されており、これが巨大な壁に立体感と美学を与えています。2000年以上もの間、度重なる地震や戦火に耐え抜いたこの構造は、当時の石工たちの技術が現代のそれを凌駕していた可能性を示唆しています。紙一枚すら通さないその継ぎ目は、神への信仰がいかに強固なものであったかを物理的に証明しているようです。
隙間に詰められた「クヴィテル」の行方
壁の石の隙間には、無数の小さな紙切れが詰め込まれています。これは「クヴィテル」と呼ばれる祈りのメモです。人々は、口に出せない願いや、神への手紙をここに託します。
この壁は、言わば「神の郵便受け」であり、あるいは「神の耳」そのものです。では、溢れかえった紙はどうなるのでしょうか。それらは定期的に、儀式的な作法に則って回収され、オリーブ山にあるユダヤ人墓地などに「埋葬」されます。神の名が記された紙は、ゴミとして捨てることが許されません。人々の切実な祈りは、土に還り、エルサレムの大地の一部となって永遠に保存されるのです。
男と女、あるいは「ウィルソン・アーチ」の静寂
壁の前は広場のようになっていますが、柵によって男女の祈りのエリアが厳格に分けられています。向かって左側の男性エリアは、黒い帽子とスーツに身を包んだ正統派ユダヤ教徒たちが体を前後に激しく揺らし、祈りの言葉を唱える熱気に満ちています。
一方、右側の女性エリアは、より静謐(せいひつ)で、個人的な感情が露わになる場所です。壁に額を押し付け、涙を流す女性たちの姿には、胸を打つものがあります。さらに、男性エリアの左奥には「ウィルソン・アーチ」と呼ばれる屋内の祈祷所があります。ここはまるで図書館のような静けさが支配しており、古代のアーチの下で聖書を学ぶ人々の姿は、ここが観光地ではなく、生きた信仰の現場であることを教えてくれます。
地下に潜む「巨大な真実」
私たちが広場から見ている壁は、実は氷山の一角に過ぎません。「西の壁トンネル」ツアーに参加し、地下へと潜ることで、その全貌を知ることができます。
地下には、地上の喧騒が嘘のような静寂と、当時のままの街路が保存されています。そこには「マスター・コース」と呼ばれる、重量数百トン、長さ13メートルにも及ぶ信じがたいほど巨大な一枚岩が鎮座しています。現代の重機をもってしても運搬困難なこの石を、どうやって切り出し、据え付けたのか。その圧倒的な質量を前にすると、人間の執念と神への畏怖(いふ)の念が混然となり、言葉を失います。
「シェキナ」は決して離れない
ユダヤの伝承には、「シェキナ(神の臨在)」は西の壁を決して離れない、という言葉があります。神殿そのものはローマ軍によって破壊され、失われましたが、その擁壁であるこの壁には、今なお神の気配が留まっていると信じられています。
壁に手を触れるとき、その冷たい石の感触の奥に、何か温かい脈動のようなものを感じる人がいます。それは2000年分の人々の祈りの熱量なのか、あるいは本当に神の臨在なのかもしれません。いずれにせよ、ここは世界で最も「天」に近い場所の一つであり、石灰岩の壁という物質を超えた、精神的なゲートウェイとして機能し続けています。
安息日の夕暮れというクライマックス
もし旅程が許すなら、金曜日の日没、つまり「シャバット(安息日)」の始まりにこの場所を訪れてみてください。
日中の厳粛な雰囲気とは一変し、広場は白いシャツを着た人々で埋め尽くされます。若者たちが肩を組み、歌い、踊り、安息日の到来を祝う光景は、宗教的な儀式というよりは、生命の歓喜そのものです。写真撮影が禁止されるこの時間帯、私たちはレンズ越しではなく、自らの目と心で、祈りが祝祭へと昇華する瞬間を目撃することになります。
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