bossu のすべての投稿

モテより大切なこと

本当はモテたいわけじゃなくて、モテてるところを他人に見せて羨ましがらせたいだけのこと。そんなつまらない優越感だけのために我々は悩んできたわけです。 もっと好きに生きたらいいんじゃないですか。 「アンチエイジングが趣味」とか本当かな、と思います。 世界に誰ひとりとして「見せびらかせる人」がいなくなった状態でも、なぜかやり続けてしまうものが好きなことです。 カッコイイ、カッコ悪い、そんなことを気にせずに生きればかなり身が軽くなります。 苦しんでいる人は、+αのポイントばっかり磨くことにムキになっていて、本質的な部分を直

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メソメソ男子

メソメソしていてかまってくれるのは、やさしい親御さんか気のいい先生くらいなもので、オスの涙に同情するメスは少ないのではないかと思います。 「男は泣くかわりに酒を飲む」と、たまに聞きますが、確かにそんなフシの人はいます。 ということは、強がっている大将も社長さんも毎日泣いていることになります。実際そうなのでしょう。 「今度飲みに行こう」という誘いは、 「今度一緒に泣きに行こう」ということになります。 本当はメソメソしていてもかまいません。 メソメソするのはプライドが許さないから、酒でも飲むのでしょう。 どうせメソメソ

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モテるオスは不幸である

「英雄色を好む」という言葉にとらわれていた友人がいました。 その言葉に振り回され、同僚や後輩たちの手前「本当は早く帰りたいのにお姉さんに粘ってみる」という行為を繰り返していました。 実際にパワーのある人は盛んであることは確かです。 ということで、英雄ヅラをしたくて、盛んなふりをしていたというのです。 しかしそんなことはくだらないことだということに気づいて、今では真っ先に帰るそうです。 モテるオスは不幸 実際にいい思いをしたり、同性からは羨ましがられるだろう、ということで、モテることはいいことのように思いますが、いい

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無意味こそすべて

およそ実用性からかけ離れているものほど、情報的な付加価値が生まれ、プレゼントなどには適している場合が多いように思います。 たとえば現金と花束を「実用性」で考えれば、わかりやすいように思います。 コレクターと言われる人が集めているのは、「これだけあれば便利だろう」と言う理由ではないはずです。 ともすれば、「意味」や「理由」を求めてしまいがちですが、そんなことに裏付けされても、突き詰めれば雰囲気です。 実利的な理由付けの逆効果 「どうして弊社への入社を志望したのですか?」 こんな質問の時ですら、実利的な話をすると煙たが

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男イチコロメニュー

ふと、ガラス張りのお料理教室を覗き込んだことがあります。 そこにはおよそ「…」な人たちが、なんとかオスを騙そうと、必死で料理の勉強をしていました。 昔から思うのですが、「料理を作ることができない」という人は本当に本気で言っているのか、と疑問です。 その料理がどう作られているのかを想像する 毎日何かは食べているのに、それがどういう風に作られているのかということを本当に想像もできないのか、と思ってしまいます。 料理というものは概ね毎日複数回食べているものです。今までに数え切れないほどのものを食し「うまい」と思ったりもし

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芸名をつけよう

内容の意味がわかれば、別にどこの誰が書いていてもいいわけです。 最近ではリッチスニペットのauthor設定で検索結果に著者の名前を載せる傾向になってきました。 SNSなどでは実名万歳になってきました。 検索結果で「著者 ○○」「by ○○」みたいな結果が出てきたときはなんだか変な感じがします。 「そんなに有名になりたいか?」 という感想が出てきます。 中学生くらいからの名 僕は、bossu(ぼっすー)という名前で通しています。 それだけでわかるのは小中学校の同級生くらいなもので、当時そう呼ばれていました。 名付け親

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腹の底から笑える幸せ

腹の底から笑えるということは幸せですが、「笑い」というのは、笑おうとして笑えるものではありません。 「表情だけでも笑っていると本当に気分が明るくなる」 というのは、どうやら本当のことのようですが、それは「微笑み」であって、「爆笑」ではないはずです。 いちおう、顔の筋肉の具合が、本当に気分を変えるようですが、「暗い顔をしているくらいなら、嘘でも笑顔を!」という使い方です。 腹の底からの笑いには使えないでしょう。 本気の笑いを自作 普段生活している中で、基本的にはそんなに腹から笑える出来事などありません。 そこで、笑い

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マイ・フェーバリットな仏を探して

「どうやら仏像が静かなブームらしい」―「こんな時代だからこそ仏像」みたいな癒し効果が期待されているのでしょう。しかし本来、仏像とは「生きることは苦である」と悟ったお釈迦様がモデル。生前は偶像崇拝は禁じられていました。それが死後500年ぐらいたって、「そろそろ肖像権も切れたろう」と、だれかが気づき仏像は作られるようになりました。 仏教においても原始仏教においては、仏像等々を作りそれを拝むことは禁止されていました。 実はほとんどの宗教で偶像崇拝は禁じられています。キリスト教などアブラハム系でも本来は偶像崇拝禁止です。

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まほろば気分にひたろう

まほろば気分にひたろうということで奈良県について。 まほろば なんだか日本のよさ、日本語のよさが出ている言葉ですね。 素晴らしい場所とかいう意味らしいですが、どうしてもこの言葉を見聞きすると、奈良県のことを思い出します。 特に北葛城郡とか、桜井市とか、天川村を思い出します。 京都の猛暑の中の「極楽の余り風」もいいですが、奈良の「まほろばの風」もなかなかいいですね。 みどりの中をささささっと流れる風は、なんとなく「まほろば気分」を感じさせてくれます。 極楽の余り風 まほろばキッチン 先日、JAならけんのまほろばキッチ

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すこぶるブルーな日には

気持ちというものは浮き沈みしやすいかと思います。 感受性が強ければ強いほど、外部現象の影響は強く、それによって気持ちが変動します。 その気持ちの揺れ幅が少ない人が「鈍感な人」「図太い人」などと言われます。 それはそれで才能なのですが、ともすれば、ただの「相手の気持ちがわからない人」になってしまいます。 うじうじ考えずに動けるのは才能ですが、考えない故に人にダメージを与えてしまうことがあります。 感受性が強いいわゆる繊細な人は、繊細さを極めることによって、感情の変化にとらわれない人になります。 図太い人も、感性が磨か

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あのかたが日本で

「さよなら私」に書いてあったのですが、十和田湖近くの新郷村(戸来村)がヘブライとの関連しているのではないかということで、「キリストの墓」みたいなものがあるそうです。 奥入瀬ビール ちなみにこのへんにある地ビール「奥入瀬ビール」は凄く美味しかったような記憶があります。 世界中でいろんなビールを飲みましたが、記憶の中では暫定世界一位です。 今度青森にでも行って、飲めたらすごくいいなぁと思います。 ゴルゴダの丘 僕はキリストの墓とされる場所に、実際に行ったことがあります。 青森の方ではなく、イスラエルのエルサレム旧市街に

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ようやく折り返し地点です

今ここで、ハーフマラソン完走くらいです。ようやく折り返し地点です。 かなり脱線気味のものから、引用多発のものまで、お題が決まっていると、意外と書きやすいものです。 これだけ連続でみうらじゅんさんの「さよなら私」のタイトルばっかり見ると、少し変になりそうです。いえ、ずっとタイトルを見ているから変な気分なのではなく、出しまくっているから、喪失感による爽快感ですね。 インプットばかりの時は、新しい考えをまとめる処理で頭がフラフラになりましたが、アウトプットするぶんには、そんなに頭はフラフラになったりしません。 脳は疲れな

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ドチャック

近代化はすべての文化を平均化し特徴のない世の中をつくります。いま一度、突拍子もない土着センスよ、カムバック! 近代化して選択肢が増えるのは問題ないような気がします。 歩いていこうが電車で行こうが、それを新幹線に切り替えようが、それは別に個人の選択の問題で、世の中に選択肢が増えるのはいいのですが、確かにどんどん特徴のないような世の中になってきたように思います。 特徴がないことが良いことかのようになっていくのならば、その逆の土着文化の方もまた際立っていくということにもなりそうです。しかし、何でもかんでも土着的であれば良

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磯をかぐ

僕はイカが食べれません。 ついでに言うと磯臭いものは全てダメです。 カニ味噌などは絶望的です。 あとエビの殻も無理です。 越前町 群馬県も大好きですが、福井県も大好きです。 特に越前海岸ですね。 思いっきり磯のにおいをかぐと、本能が反応するような気がします。 十代の時にバイクで越前町まで行ったことがあります。 それも12月です。しかも夜です。 僕は250ccでしたが、もうひとりの友達は50ccというツワモノです。 途中で小雨が降ってきて、日本海の突風と相まってまさに嵐の中「しおかぜライン」を走りました。 ダウンジャ

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いい人願望

いい人とはどんな人か、善とは何かについて、大昔からいろんなことが語られてきました。 いい人願望とはいいますが、根本的に「いい人」とは一体何なのでしょうか? 「いい人」という判定を下すには判断の基準が必要になります。そして善悪の基準の上で善か悪かといったところで判断があり、いい人という認定が下るという具合です。 定言命法 定言命法というものがあります。「AならばBをせよ」という仮言命法に対して、無条件での行為をさします。 イマヌエルカントの三大批判書のうち、実践理性批判という本に出てくるものです。 「君の意志の格率が

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答えは風に舞っている

長い時間をかけて学校でつけてしまったクセは、すべてのことに答えを求めてしまうことです。 ― ― 人はダメな人と呼ばれないためにがんばっているわけです。しかし、問題なのはダメな人は本当にダメなのか?ということです。そもそも自分の判断基準はどこからきたのでしょう?疑いもなく、それが答えだと思い込んでいるフシがあります。 ダメな人とはどんな人のことでしょうか。それを「判断しろ!判断する基準をつくれ!でないとおまえは。。。」と脅してくるのは、久々に登場!「アイツ」こと自我です。 ここでわかりにくいかもしれないことをひとつ。

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すべてを謳歌してくブーム

謳歌といえば「青春」ということになっているのか、「青春を謳歌する」ということは決まりきったことのように使われます。 「青春」とは、無責任で、物事がよくわからない故に、全てに可能性を感じて興奮している期間です。 「永遠に青春」という人がいますが、なんか違うなと思ってしまいます。 「いつまでも若い」のが素晴らしいことのように思っているのでしょう。 おそらく「ため息だらけの人よりはいいだろう」というようなことなのでしょうが、興奮を求めても穴を掘って埋めるだけの行為です。 その年齢でしか味わえないような出来事 いくつになっ

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いつかはすべてがナツメロ

流行らそうと思って流行らせたものは、後に寒気を催します。 そして時代時代で流行ったものにとらわれていると、「若者」に笑われます。そしてあげく「最近の若いやつは!」ということになって、「お面倒」になってしまいます。 昔のものでいつまでも評価されるようなものは、たいてい時代を意識しなかったようなものです。 「最近はこの作り方が流行っているから」 そんなことを一切考えずに作られたものは結局いまでも再評価されたりします。 よくメジャーデビューなんかすると、それまで英語で曲作っていたのに、「日本語で曲を作ってくれ」と会社に命

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「お面倒」の起源

「お説教」とは、そもそもお釈迦様がお弟子たちに向かって説いた教えのことです。それが後年、おやじが酔いにまかせて部下たちに向かって垂れる面倒くさい話。すなわち「お面倒」に変わってしまいました。 基本的に人は「最近の人」、つまり「自分より年下の人」にダメ出しをします。これは「お面倒」と定義されます。 社会環境だけでなく、人格や姿勢に関しても、本当に日に日に劣化していっているものもあれば、もちろん進歩しているものもあります。 「最近の若いやつは」 このセリフは人類が言語を持った時から発せられていることでしょう。 面倒な「

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動物はエライという境地

何かをエライとかエラクナイとかは考えないほうがいいのですが、「お題をまるごと流用」なので、そのままのタイトルでいきます。 昔、病に伏せていた頃、当時の彼女が京都市動物園に連れ出してくれました。 当時の僕は、ひたすら本ばかり読んで何事も難しく考えていて、何なら思考の限界まで極め尽さないと納得しないふしがありました。 その時の知識と思考鍛錬がいまでは財産と言えば財産ですが、人生で最も苦しんでいた時期でもあります。 本を読んでいないときはずっと考え事をしています。 その内容も「今度の休みはどこに行こうかなぁ」ならかわいい

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いくつになったら大人なのかな?

「大人」という言葉はかなり人を翻弄してきたのではないでしょうか。 これはかなり定義の難しい単語です。 心の大きい人とか自立している人とか日本では満20歳とかです(その後2022年4月1日から、成年年齢が20歳から18歳に変なったようです)。 成人という言葉も変ですね。「それまでは人じゃなかったのか?」とでも言いたくなります。 いうなれば言いたい放題言われてきたかわいそうな単語かもしれません。 あくまで「子供」の対義語のような位置付けですね。 その違いとして、酔ったおじさんなどからよく聞かされるのは「責任感」とかでし

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やさしくてもかまわない

やさしくて何がいけないのでしょうか。 ひとつだけつっこみどころがあるとすれば、それはやさしさの定義が曖昧で、「弱さ」を「優しさ」と思っているだけかもしれない、という点くらいでしょう。 やさしくてもかまわないはずです。 しかしながら、ただ弱いことを優しさと混同しているという場合もよくあります。本来、優しさは強さの上にしか成り立ちません。 弱すぎると、助けることすらできなくなるかもしれません。 弱すぎると、やさしさを出す場面すらないかもしれません。 やさしいのは素晴らしいことです。 せっかくの優しさが無駄にならないよう

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プレシャス・プレイ

人生とは本当に暇つぶしなのでしょうか。 「暇つぶし」などというと、すごく消極的に捉えられそうなので、ほかの言葉を使いたいところです。 たまに「人生なんて暇つぶしさ」と、ニヒリストを気取る人がいますが、ただ、ストレスから逃げているだけで、その言い訳として「意味はない」を乱用しているような気がします。 生きることは苦であると、お釈迦様は悟られましたが、そう思ってかかるとたまの楽がとても貴重に感じるというプレシャス・プレイではないでしょうか? 僕は違うと思います。相対的なもので測るとそうなりますが、それはあくまで比較です

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主役降板

もちろん主役は自分です。 ただ、普通に考えると自我の範囲のみでしか物事を考えられません。 それは仕方ありません。 たとえば、「人のお役にたつんだ」と考えてみても、「人に与えた分だけ自分に返ってくる」とか考えても、自我の範囲で考えて、「すごい金持ちが言っていて、自分も金持ちになりたいから」というスケベ心でやっているのが本音でしょう。 「損しているように見えてもいつかはお返しが返ってくる」と利益的なものを求めているに過ぎません。 そんなことを思うくらいならやらないほうがいいでしょう。 右の手のしていることを左の手に知ら

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淋しくならない努力

僕には淋しいという感情がありません。 昔はそうでもなかったのですが、相当鈍感になったのか、慣れてしまったのか、もう数年以上感じていません。 たまに、「あのまずいカレーどんな味だったかな?」と気になって、まずいと分かりつつももう一回食べてしまうような感覚で、「どんな感じだったかな?」と、もう一度味わおうとしても、もう味わうことはできません。 いまでは慣れたというより、本当にわからなくなってしまいました。 過去の経験からの想像で、こんな感じだったかな、という程度です。 本当になくなってしまいました。 「人といること」に

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