セージ
セージ(Sage、Common Sage)は、シソ科サルビア属(アキギリ属)の耐寒性多年草です。サルビア(Salvia splendens)の仲間であり、薬用サルビアと呼ばれたりします。「薬用」ということで、収斂作用や駆風作用、抗菌作用があります。調理においては、香辛料や臭み消しとして利用されます。 セージの花 セージの開花時期は一般的に5月~7月で、紫~白、品種によっては青や赤の唇状花を咲かせます。品種によって開花時期は異なります。 葉と品種 葉は基本的に長い楕円形から細長い葉ですが、色や大きさ、斑が品種によって
周旋屋
斡旋ならまだしも周旋という言葉は、この近年では聞き慣れない感じがしますが、「笑う月」に出てくるように、昭和の頃は周旋や周旋屋という言葉それほど珍しくもない感じだったようです。近年ではあまり耳しない「細君」みたいなものでしょうか。 周旋は売買や雇用の「仲介」というよりも「立ち会い交渉」という意味合いがありますが、「間に立って世話をする」というような感じあり、たいてい不動産や仕事の仲介などを意味したりするようです。ということで、周旋屋といえば専ら不動産屋さんや職業紹介人という感じの意味合いで使われていたようです。 まあ
何処に置いておくつもり
「何処に置くの!」というようなフレーズがありますが、母を筆頭にそうした言葉を今まで何度も投げかけられたことがあります。 あまり物を買ったりしない傾向にありますが、「何処に置いておくつもり?」ということで、大型のものを急に持ち帰るということがたまにあります。 大型の物ということでなくても、養子のうさぎも相談なしに養子入りしてもらいましたし、周りの人々としては抵抗がありそうなことに関しては事あるごとに事後報告を徹底しています。 基本的に相談相手には「自分ほどの盛り上がり」は無いので、先に相談しようものなら、たいていは気
ローズマリー
ローズマリー(rosemary)は、シソ科マンネンロウ属の耐寒性多年草(常緑性低木)です。這性(匍匐性)と直立性(立性)に分かれており、這性(匍匐性)のものは40cm程度、直立性(立性)のものは1m以上になります。葉の表は濃い緑色で、裏は薄い緑色の松葉状の艶があります。 左が直立性(立性)で右が這性(匍匐性)です。 料理に幅広く使われるハーブとして有名な他、エッセンシャルオイルは、香水やシャンプー、ヘアトニックに利用されます。駆風作用や酸化防止作用があり、なお、和名は迷迭香(マンネンロウ)です。 ローズマリーの花
美しくたくましく福井県 2020 若狭町
毎度のことながら越前町の他、若狭町に行きました。 親戚が全て京都市内なので、正月に帰る場所が無い僕は、若干の野生を取り戻すべく海辺に行くことにしています。 暖かく開放的になる海とは対極にある、身を閉ざさねばならない寒く厳しい海にあえて行くという感じです。 「わかりやすい観光地」よりも海辺の日常。 佇む鳥。 佇む鳥たち。
美しくたくましく福井県 2020 旧敦賀港駅ランプ小屋
ついでと言ってはなんですが、「写真撮影、SNS投稿等はご自由にどうぞ」ということだったので、「旧敦賀港駅ランプ小屋」の写真を掲載しておきます。旧敦賀港駅ランプ小屋は、人道の港 敦賀ムゼウムから歩いて行ける距離にあります(が、駐車場もあるので近いですが車で行っても良いと思います)。 明治15年(1882年)に敦賀港駅の前身、金ヶ崎駅ができた時に建てられてたランプ小屋(なお、大正8年(1919年)に金ヶ崎駅は敦賀港駅と改称されたようです)。 レンガ造りのこぢんまりした小屋です。 なにやら赤と緑の物が見えます。 はて?ど
美しくたくましく福井県 2020 人道の港 敦賀ムゼウム
毎年の恒例になりつつある年始の福井ツアーですが、あまりどこかしらに行くという感じではなく、ぼーっとすることを目的としています。ただ、今回はとりあえずこの「人道の港 敦賀ムゼウム」にだけは行こうかなぁとだけは思って向かいました。 基本的には、「暇な人が映える写真を撮るために行く系の観光」というものはあまり好みではなく、どちらかというと、爆睡ツアーとかご当地の日常などに触れる方が好きだったりします。 それ以外の場合は、何かしらの人物や作品や深いところでの文化に関して関連性があり、その対象への思い入れが動機とならないと、
花梨(かりん)
花梨(かりん、榠樝、花櫚)は、バラ科カリン属の落葉高木です。大きく黄色い果実は食用でジャムやかりん酒として利用される他、喉に良いということでのど飴に利用されます。安蘭樹(アンランジュ)とも呼ばれます。1属1種で中国原産です。 花期は概ね3月〜5月頃、果実期は10月~11月です。ピンクの花を咲かせます。葉は互生で楕円状卵形~倒卵形。縁に細鋸歯があります。 現在は1属1種ですが、かつてはボケ属に属しており、近縁種としては、ボケやマルメロなどがあります。 落葉高木ということで落葉後はこんな感じです。 赤星病 なお、花梨は
蓮(はす)
蓮(はす)は、ハス科ハス属の多年性水生植物。インド原産で、水の底にある地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出します。草高は約1mで葉には撥水性があります。 地下茎は根菜でおなじみの蓮根(れんこん、はすね)。 蓮の葉を荷葉(かよう)と呼ぶように、蓮は「荷」と書かれたり「藕」と表記されることがあります。なお、蓮の形の台座を意味する「荷葉座」は「かしょうざ」と読みます。 また、アオイ科フヨウ属(芙蓉属)ではありませんが、芙蓉(ふよう)水芙蓉(すいふよう、みずふよう)と呼ばれることがあるようです。その他、異名として不語仙(
年寄りじみた笑い
加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまではいきませんが、十代や二十代の時ほどの笑いはそれほどなく「人と話している時に爆笑」ということの数は減ってきているような感じがします。 笑うことが減った要因 「感性が鈍った」というわけではなく、冷静な傍観
宅地造成で新しい道
世の中には一見不可解な構造や状態に見えるものがたくさんありますが、社会生活の中でふと思うそれらは、結局税を含めた法律やお金的な合理性などが絡んでいたりします。 結局割に合うか合わないかとか、許認可や税の関係などによって、傍目からは不可解な構造になっているもの、不可解な形で放置されているものなどがちらほらあったりします。 ということで「割に合わない」ということから放置されている不動産や許認可や税の関係で起こる不可解な構造等々について触れていきましょう。 造成費用が高く、割に合わない 先日、知人が先祖から受け継いだ田ん
鞄を持たずにいれば
本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。 「何もせずにいること」が不審者の挙動に見える その代表例は、たまに乗る電車の時です。駅のホーム
一種の消去法
消去法というものは、基本的に「期限が迫っていてどうしようもなく」という場合に用いられるようなものなので、「仕方無しに」という感じがどうしてもつきまとう物事の選択方法です。 通常、消去法というと何かしらの制限があったり、それほど望んでもいないことに対して「選択肢のうち、ダメなものから削除していく」という感じになっています。対象外にしていくという感じですね。 消去法が利用され、もしくは、その利用が迫っているような時、何かしらの制限や惰性があり、視野が狭まっているということが裏側で起こっていたりします。 本当に「欲しいも
第1700回投稿記念
これで1700記事目になります。ブログ創設から1700回目の投稿ということで「第1700回投稿記念」です。 前回の第1600回投稿記念は、2019年10月10日だったので、前回からの100記事は、3ヶ月弱かけて投稿したという感じです。年末の空き時間の影響もありますが、「笑う月」によってスピードが高まったという感じです。あと少し書庫の植物も増やしたことが若干影響しているでしょう。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうござ
くたびれた服装
意図的にくたびれた服装やおじさんっぽい服装で出向くことがあります。 あえてちょっと劣化したような服を着ていくということになりますが、もちろんそれは皮肉的な遊びであり、服装で態度を変える人や服装を自慢する系の人で遊ぶためにやっています。 兵法というわけではないですが、相手に「慢心」を作るということも、相手にその実力を出させないという方法になりますし、隙きを作ってもらうということにも一役買います。 あまりにカッコをつけたい人たちは、僕が忍者ハットリくんポーチから目薬を出すと、こぞって軽いため息を吐いてくれます。 彼らを
一種の崩壊感
崩壊感という言葉自体はなんだか、消極的な感じがしてしまいますが、想像と破壊というコントラストが象徴するように、どのような分野や段階の話であっても、新しいものが形成されるときには必ず崩壊がセットになっているので、崩壊感が来た時は新しい世界の幕開けということにもなります。 平穏な状態というものは、普通「安定していて揺るがない」という感じにはなりますが、やじろべえのようにある程度両端が伸びている方が安定したりもします。 両極端の「伸び」による安定 ということで、ある程度両極端を経験していたりしつつ、そのどちらにも傾かない
新年 2020
みなさまあけましておめでとうございます。 2020年になりました。 元日は早速白味噌の雑煮を食べました。 が、今年は餅は4つにとどまる形になりました。 夜が寒すぎるというのが第一要因ですが、主に次のようなプロセスを経て、という感じです。 まず小晦日、つまり大晦日の前日のことですが、若干寒さがマシだったため、帰省中の友人と外で話し込み、気付かぬところで少し腹が弱っていたという感じになりました。 そして大晦日当日、「大晦日」というイレギュラーが意識を乱してしまったのでしょう、年越しそばと同時にもらいものの寿司を頬張った