春の感傷
今日はいきなり泣いて目が覚めました。 自分でもよくわかりませんが、春の影響からか無意識が暴走するようなことがよく起こっています。 先日は急に台所で意識がおかしくなり、瞳孔が開きっぱなしになったりしました。 そして今日はなぜか夢の中に強いリアリティを感じ、起きたら涙でいっぱいになっていたという感じです。 how are you? 〜 ささやかな 昨夜、SUPER BEAVERの 「how are you?」〜「ささやかな」を聴いてから寝たのですが、本日仕事の訪問先が「バンドの最期(孤独な人たちの嫉妬)」を迎えた大学の
反応の対象
煩いの根本原因の一つは、「反応」にあります。 社会においても反応する側と反応させる側で、立ち位置が全く異なり、自由意志で選んでいるようで誰かの意図に反応しているにすぎないというのが本当のところです。 反応するという事自体は本来無属性ですが、その奥に誰かの恣意的な意図が含まれている場合は、意志を操られているとすら考えることができます。つまりそれは一種の洗脳です。 ― 強烈なリーダーシップ かつては強烈なリーダーシップを持った人がそれを実現していましたが、現代では「合理化」の考え方が進み、猫も杓子もマーケットインの手法
意図的に意識を揺らす場所
京都も今では観光バンザイのような風潮を持っていますが、明治初期までの間、女性は神社仏閣への立ち入りは禁止されていました。 おそらくそれは「儒教の影響を受けた仏教」の影響による男尊女卑的な風潮もどこかにありながら、女性自身を守るためのものでもあったと思っています。 女性は共感性の高さから強烈な変性意識状態に陥りやすく、いわゆる「狐憑き」のような事が起こりやすいということ防ぐためという配慮です。 歴史的に観ると欧州でも修道院などで女性の集団ヒステリーがよく起こっています。そういうわけでヒステリーを起こしやすいということ
対象者ごとの語彙と文体
使用している単語の持つ意味に対する印象は人によって異なりますし、普段その人がどのような環境にいてどのようなものを重要としているのかによって、同じ文章でも伝わり方が変わってきます。 そう言えば最近、若年層向けのマーケティング、特にライティングにおける国語表現に関することを調べていると、やはり文体にしても使用語句にしてもその人達に合わせたものの方がよりよく伝わるということを改めて気付いた次第です。 意図的な文体の揺れ もちろんかつてからその通りだとは思っていましたが、語彙のみならず誤字脱字のあるような、文法すらもぐちゃ
変な意識の力と「諦め」
僕単体ではどうということもないのですが、特定の人たちと共に意識を向けると対象が無くなってしまうということがよく起こります。 変な話なのですが、十年くらい前から僕には変な意識の力があり、最近では相手に「諦め」を与えるような形になっています。おそらくそれは同調によって情報状態の変化をもたらすという感じになるのでしょう。 僕個人として一番最初に現実に起こったのは、勤め人の頃です。 担当エリアに狂犬がいて、いつもその犬が散歩している時に出くわし、毎度毎度噛みつかれかけていたのですが、さすがに敵意むき出しでやってくるのでその
意識の分野の解消法その3 断捨離的に関係を解いていく
世の中では「断捨離」ということで、物を捨てることでスッキリしましょうという感じのことが囁かれています。断捨離がうつにも有効的であるという感じで語られることもあります。不要なものを捨て、所有物を少なくしていこうということで、なるべく執着から離れれば気持ちが楽になるというようなことが語られています。 しかし、おそらくそうした効用的な面だけが語られているにとどまり、本質的なことについてはあまり語られていないと思いますので、あえてそうした断捨離がなぜ効くのかということについて書いていきます。 アイツこと自我の根底にあるもの
気力を奪う人たち
気力を奪う人たちということで、自尊心の回復のために人から気力を奪っていく人たちについてでも触れていきましょう。 世の中には、自尊心の低下を何とかしようと人に罵声を浴びせたり、ウジウジと憐れみ乞いをしたりして気力を奪っていく人たちがいます。そうした人たちをまともに相手すると、それまで元気だったのに元気を奪われ、パワーやエネルギーというものを奪われてしまいます。 根本的には気力を奪う側も、自尊心と気力が低下しているからこそそうしたことをしてしまうのですが、だからといってまともに付き合う必要はありません。 若い女の子から
the pillowsが放り込んできた球根が咲かせた花
そう言えば、先日SYNCHRONIZED ROCKERSを少し編集していて、引用していたMr.Children桜井氏のメッセージを読み返していると「pillowsが放り込んできた球根」というフレーズがありました。その球根はもちろん僕にも放り込まれてきていて、それが咲かせた花は、本ブログにも表れています。 もちろんthe pillowsだけを思って作ったわけでもないのですが、確実にフレーズに表れています。 誰か気づいた人いるかなぁ。 それにしても改めて「Kim Deal」を聴いてみると、やっぱりこの曲なんだろうなぁと
落語的思考
普段からよく散歩をしますが、特に今のシーズンは「春になった」ということでよく外を散歩します。 そんな折、不可思議な看板や案内や観光地にありがちな「由緒書」的なモノに出くわしたりします。そしてそれを見て頭の中で遊んでいます。 ということで落語的思考の遊びです。 落語的なのかどうなのかはわかりませんが、言葉の違和感や論理的な矛盾に爆笑しています。そういうわけで、周りの通行人の人からは怪訝な目で見られたりしています。 例えば空き地に次のような幟(のぼり)が立っていたとしましょう。 これを見て違和感を感じた人はいるでしょう
良きものを称賛するという意識の向け方
たいてい思考は言葉で行われていますし、意識の状態も普段使う言葉に大きく影響されるというのは本当のところですが、言葉にさえ左右されなくなる領域まで行ければ、言葉はもうこの心を縛ることはできません。 しかしながら、基本的には言葉によって意識は方向付けられています。ということで、言葉選びは結構重要だったりします。 言葉選びも大事ですし、何より「何に意識を向けるか」ということが結構大事だったりします。 否定的な言葉と肯定的な言葉 言葉を選ぶ時や意識を向ける時に、それが否定的な言葉を使うか、肯定的な言葉を使うかという面や、悪
哲学の道の黄昏
哲学の道の黄昏ということで、昨日行ったばかりの哲学の道について触れながら、道行く人を見ながら感じたようなことについてでも書いていきましょう(ついでに、たった今の出来事ですが、なぜか、「みちゆくひと」と打っても通行人としか変換が出ません)。 このシーズン、哲学の道は桜吹雪の大乱舞という感じなので、人でいっぱいです。外国人だらけで、地元の人はほとんどいないような感じでしたが、想像よりは人が多くなかったので、程よく散歩することができました。なお、哲学の道はホタルスポットでも有名だったりします。桜もいいですが、ユキヤナギを
祝四周年
なんだかんだで本ブログも四周年です。これで1140記事目になります。今回も祝三周年の時と同様に、単純に祝四周年というタイトルです。祝三周年の時点で、842記事だったのでこの一年で298記事を書いたことになります。過去分の転載等もありましたが、この一年はまあまあ書いた方になるのでしょう。 … さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、ありがとうございます。 四周年記念ということで、一部の過去記事に追記をし
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みてみました。宗教勧誘を論破して撃退するという感じではなく、相手のフレーム合わせて、対機説法をしてみるという感じです。 普通は宗教勧誘に対して上手く断るという感じだったり論破して撃退するという感じだったりするでしょうが、僕の場合は目的が少し違っていて、追い返すことではなく、短時間で脱洗脳のタネを撒いておくことです。 先日、Twitterでこっそりつぶやいてみましたが、ほんの少し前の休みの日に我が家に宗教勧誘の人がやってきました。 それで玄関先で話すことになったので
うめぼしの謎
今回は「うめぼしの謎」特集です。同世代の方にしかほとんどわからないと思いますが、「うめぼしの謎」は90年代半ば、スクウェアエニックスになる前のエニックスより出版されていた「月刊少年ギャグ王」で連載されていた伝説的4コマ漫画です。 やはりなんだかんだで少年期の頃に人格の基礎ができるような気がします。コロコロやボンボンから背伸びする同級生は、ジャンプやマガジン、サンデーの方に行きますが、僕たちの小学校では少年ガンガンと少年ギャグ王が圧倒的に優勢でした。 「何で笑うか?」という感性の基礎が出来上がるような年頃に、どのよう
虚栄心の原因と心理の裏側
虚栄心の原因と心理の裏側ということで、虚栄心について書いていきます。 虚栄心(きょえいしん)は、つまるところ自分を大きく見せたいということであり、その裏の心理としては生存本能としての恐怖心があります。見栄を張ることで自分を大きく見せたい、実力以上に評価されたいと思う心理の根本動機は、生命としての恐怖心ということになります。 虚栄心というと、大げさな話や嘘、そして虚飾により見栄を張る心という感じになりますが、その目的が自尊心を高めることやモテることというものであっても、結局個としての生命として、大切にされたい、優位に
マルチ商法(MLM)と洗脳
マルチ商法(MLM)と洗脳ということで、正確にはマインドコントロールにはなりますが、マルチ商法に洗脳されてしまった若年起業家について書き記しておきます。 最後に会ったのはもう数年前ですが、その時にもう少し踏み込んで止めておいたほうが良かったかなぁということを思います。 ということでそんな思いの昇華の意味を込めて、マルチ商法、マルチネットワーク、ネットワークビジネス、マルチレベルマーケティング(MLM)と呼ばれるものへの警鈴と、その本質的な洗脳・マインドコントロールの理屈について書いていきます。 一筋縄にはいかないか
「やる気を出す」以前にやる気は出すものではない
「やる気を出せ!」なんてなことを言われても、やる気なんて出ません。 ところがやる気を出して欲しい方の人は、相手にそうしてもらわないと都合が悪いからこそ、やる気を出せなどと言うのでしょう。 特にうつ状態の時は、やる気なんて出ません。やる気が無いこと自体がうつ状態の代名詞のようなものですから、出るはずがないのです。 外からやる気を出せと言われても出ないのが自然 そこで考えてみたいのがやる気の出し方です。 やる気を出す方法として、たいていが体育会系の延長で根性論などを説いたり、科学的な統計を根拠として胡散臭く説得したりし
合理化や最適化が機械にできる限界
AIがすごいとか、少し前であればIT化がすごいとか、そうした事が世の中でよく囁かれますが、「合理化」や「最適化」が機械にできる限界であり、結局大切なことは文語ではなく口語でないと何ともならないというようなことについて触れていきます。 哲学カテゴリでも会社経営と商いカテゴリでも良かったのですが、抽象的な感じなので雑記にしておきます。 まず最初に、新世代に対する旧世代的な後ろ向きの考えではないということに注意してください。 合理化や最適化の意味するところ まず合理化や最適化の意味するところについて一応再考しておきましょ
克服という目線は対象の肯定と意図の抵抗になる
克服という目線は対象の肯定と意図の抵抗になるという感じで、よくありがちな「克服しよう」という方向性自体が、目的と逆行してしまうというパラドクスについてでも書いていきます。 「うつを自力で克服する」では方便的に便宜上克服という言葉を序盤に使っていますが、苦手の克服にしろなんにしろ、「克服する」という考え方自体が、対象に対する執着と「自分への影響力の肯定」になってしまい、結果的により盲目的に克服とは逆行した働きをしてしまうという感じです。 そう言えば、検索流入を見ているとニヒリズムの克服であったり、ルサンチマンの克服で
フリーターから上場企業へ
僕自身の話ではないですが、フリーターから上場企業へということで、同じ様な境遇の人たちへのメッセージとして、30代フリーターのステップアップ成功事例について書いていきます。 他人の成長で触れていますが、ここしばらく人をサポートしています。といっても今回のお話に関しては数年前からのお話になります。 僕たちの世代付近は、バブル崩壊後の不況の中思春期を過ごし、社会に出る頃には、「フリーター」という言葉を誰かが流行らせ、まさに負の遺産の代償を若者に負わせるような時代でありました。 同級生の中には実際に過労死した人も数人います
進化と退化
「テクノロジーを筆頭に、社会は目まぐるしく進化を遂げています」 そんなことがよく言われますが、僕はそうした表現に違和感を覚えています。 いつの時代でも、「進化に甘えて、現実が疎かになっている」というようなことを言いたがる人は出てきます。 「便利さに自由を奪われている」 みたいな感じで世代間のギャップに違和感を覚えている人ですね。 しかし僕の違和感はそうしたものとはまた異なったものです。 そういう人たちが言いたいことも理解することはできますが、根本的に便利さの追求はある種の退化であり、進化とは言いません。 最適化しエ
ゆるい仕事
初めてのお客さんからの難題案件を即日で対応したり、出し忘れていた書類を片付けたり、経理担当並みに数字を処理したりと、今日一日はすごく活発に動いたはずですが、なぜかいつもより断然体が楽で、全く疲れた感じがしません。 するとふとイージュー★ライダーが頭の中から流れてきました。 ということで奥田民生氏のイージュー★ライダーを久しぶりに聴いてみたところ、中学生の時の同級生で当時唯一凄腕だったギタリストのN君が、普段はB’zやイングウェイを弾いているにも関わらず、「なあ、イージュー★ライダーやらへん?」とコピーを
父への勝利
なぜかふと父から受けた最高の影響を思い出すので、あえてお父さんとの思い出についてお話しましょう。 僕の体育会系嫌いの原点です。 「生まれた順序で人に差をつけること」 その根拠なき差別に対する思いは、哲学的思考による論証だけに裏付けられているわけではなく、幼少期の体感が背骨となっています。 お正月の一悶着 確か小学校低学年くらいの時だったと思いますが、あるお正月に我が家で一悶着ありました。 それはおじいちゃんが僕のお年玉を1万円と設定したにも関わらず、なぜか弟は半額の5千円だったことに起因します。 お父さんがすごい剣
活字の世界と感情の世界
何かをしたり人とやり取りをする上で、活字の世界の比重と感情の世界の比重というバランスがあることは案外見落とされています。 いくら感情的になったところで、活字の世界である学校のテストで良い点をとれるわけはありませんし、逆に恋仲になろうと思った時に活字ベースで事を進めることもできません。 たまに思考の世界と感情の世界をごっちゃにしてはいけないというようなことについて触れる時がありますが、もう少し具体的に考えて思考の世界の中でも活字の世界があるということについて触れてみたいと思います。 その行動は活字をベースとしているの
ネット空間での人格
古くは掲示板、最近では動画共有サイトや匿名系SNSなどなどでの振る舞いがよく問題になっていますが、考えてみるとネット空間においては、少なからず人格が変容しているのではないかということを思っています。 一部の人において、それは「その人のその部分」というような一部的なものではなくて、インターネットに触れている時は全く別の人格になっているというような感じです。 匿名性がある方が、普段の主要な社会的役割の制限なく自由に活発な議論ができるというメリットがあります。 例えば、会社勤めの人で性同一性障害のある人が実名でそうした話