断末魔の長広舌

もう明らかに諦めたほうがいいのにまだしつこくのらりくらり感を出して意味不明な弁明をしているような会見なども多々あります。

ただやはりそれは客観的に見ているからこそ相手が変に見えるだけで、実際の当事者ともなるパニックでまともな思考力を保てなくなるということになるのでしょう。

そんな感じで一方的な謝罪という場合にも、わけのわからない弁明をしてしまうことがありつつ、口論などになった場合でも自分も相手もどんどんわけがわからなくなっていく、ということが起こりうるのではないでしょうか。

そんな時に冷静でいられる方がだいたい勝ちます。共に混乱している状況が続けば、気迫が強い方、図々しい方が勝ったりすることもありますが、それは理性や知性において同レベルの者同士が戦った時の場合であり、明らかに冷静さのレベルが違っている場合は、冷静でいられる方が勝っていきます。

そういえば最近よく思い出し笑いをします。思い出し笑いという現象自体は毎日のように起こっているのですが、なぜか特に最近はよく思い出し笑いをします。

その中には、「近所の人との一悶着」系の思い出もあります。

以前、ベストスポットということになるのか、家の塀沿いによく車を駐められていました。断りもなしにどの面を下げてぬけぬけとそんなことができるのか、ということで戒めのために何度か警察を呼んだり直接注意をしたことがあります。

そんなトラブルの中で、ある時近所の人が勝手に駐めていたので「いい加減にしろ」的なことを言ったこととがあります。数件くらい先の家の人です。

するとそこの主人のような人が出てきて、

「何十年も住んでるけど、ここは昔から〇〇小学校の通学路なんやぞ!」

という意味不明のことを言ってきました。

じゃあなおさら駐めてくれるな、ということになるはずですが、どういう意味でそんな弁明を繰り広げたのでしょうか。

「盗人にも三分の理」という言葉もありますが、さすがに先のセリフと何某かの理屈がどうつながるのかが全くわかりません。

しかし、彼の中では何かしらの理由になると思ったからこそそんな言葉を持って言い返してきたのでしょう。

どういう思考回路をしているのか全くわかりませんし、「ここは小学生が通る通学路である」という、逆にこちらが使っても良さそうな理由を自爆してくれているわけですから理解に苦しみます。

というおじさんのことを思い出して笑ってしまうという感じです。

出来事としては近所のトラブルであり、口論的な感じになりますが、思い出し笑いの対象となるような出来事でもあるという感じです。

まあその件については、僕が警察を呼んで駐禁切符を数回切ってもらったので、今では誰も駐めなくなりました。

「それくらいいいじゃないか」

などという人もいましたが、いいのはその人だけです。

一応それはその人の意見として言ってもらう分には構いません。

ただ、実際のところ社会的に良いか悪いかは、その人を含めて社会全体で判断されるわけですからね。この件の場合は、駐禁切符を切ったということで法律が僕の社会的な正しさを証明しています。

そんな感じで、僕はいつもそうした「それくらいいいじゃないか」的なことを言う人に対して、「同じことを最高裁判所ででも主張しなさい」と言ってあげることにしています。

といっても、相手に多少の逃げ道を作ってあげるほうが、事がすんなり終わることもあります。

パニックを起こしている人をまともに相手するのも無駄なので、だいたいは適当に終わらせています。


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