tune

(2007年04月10日04:17)

僕はよく歩く。
なので通りがかりに古本屋などがあると迷わず入る。
20冊ほど抱えて出てくる。
そんな風にして生きているものなので、部屋にはまだ読んでいない山積みの本がある。
図書館にありそうな本はあまり買わない。
でも新刊も買わない。
最新作が良作とは限らない。
幾ら目利きになっていったとしても十冊中の数冊はハズレたりする。
然し、作品が古いから使い物にならないと言うのは聞いた事が無い。
法改正前の本を読んでも思想と解釈、その時代の倫理観くらいは摑めるし、多少無茶を言うならばその時代の文体や時代背景などは嫌でも感じることが出来る。
と言っても、あくまで無茶を言った場合だが。

特に自分自身にハードルを下げると言うことはしないが、年間の読書量に目標があるので、様々な方面の書物を貪っている。
単なる小説だと思って買った文庫が帰って読んでみると児童向けで、相当数の平仮名でびっしりだった事もある。逆に疲れた。が、この話の内容と言うものがなかなか面白く、一概に偏見でフィルターはかけられないものだと痛感した。

毎日思い切り読めると言うわけでもなく、これにも波がある。
と言っても、大体毎日読んでいる。
二十頁程で睡魔に襲われる日もあるが、今日は四冊程手に取ってみた。
その中で久し振りに”井深大”の名前を見付けたので、その本は放り出して積み上げられた山を掘り起こしてみた。
そこにソニーに関する書物が見つかったので早速読んでみた。

本人が書いた文章があったので、黙々と読んでいるとやはりなぜか親近感が湧いてきた。
まあある意味での第二の父だからであるが。(その真相を知っている人は数少ない)
思い切り理系の人だが、文体がどうも好きな感じがしてたまらないと思ったらこの人も明治生まれなのだ。
親近感と言うより安心感に近い。
今まで気付かなかったが太宰治とほぼ同世代なのだ。
無論、太宰治と同一視しているわけでは無い。
ただ、父親が絶対視されていた時代だが、大人になるにつれ徐々に男女同権に傾いてきた頃。
それ故かはわからないが、彼らに限らず明治の人の書くものには信頼感と受け取り手の安心感がある。
侠気溢れるというわけではないが、どこか父性を感じる。
そんな明治生まれの文体が好きでたまらない。
なので、さらに好きになってしまった気がする。
(余談だが、尊敬する人は誰一人いないが、夏目漱石には先生を付けたいし、川端康成には師匠を付けて呼びたい僕がいる)

それでそんな事を感じながら読んでいると、トランジスタラジオ云々の件が出てきたので、久し振りにラジオでも聴いてみるかと電源を入れて、耳を傾けるとやはり面白い。
テレビは観ないが、ラジオは好きな類に入る。
朝方に聴くとなかなか爽快であったりするが、簡単に寝ながら手が届く位置には無いので疎遠になっていた。
久々に聴いてみると局側の明らかな意図が見え隠れしたもので少し厭気がしたが、テレビほど体裁を気にする素振りも無く、なかなか愉快な時間だった。
三時間ばかり聴き入ってしまったのだが、これもなかなか悪くは無いので本の方も読み終えて次の本まで読み終わった。
元来、音楽や人の会話を聞きながら読める質では無いので静寂の中黙り込んで読んでいたのだが、なかなかラジオだといけることがわかったのでたまにはそういう微かな刺激の下で読んでいこうかと思った次第である。
然し、FM京都以外はこれがまたノイズがきつい。
FM京都がいつもそうというわけではないが、アイドル系や取って付けたような商業的な楽曲が流れるとテンションが下がるので、チューナーでも買いに行こうかと思っている。
(昔使っていたコンポを駆使して何とかメインのアンプに繋いでいるのだがやはり音質が悪い)
ふと思うのだが、なぜ僕が部屋の中を移動しただけであんなにノイズが増えるのか。
機械の為の人間じゃないぞ。
などと言う不満を是非とも解消したい。


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