タグ別アーカイブ: 思い出

私的な思い出

あの日奪われた勇気を取り返す旅

趣味というと語弊がありそうですが、僕の一番の趣味は結局人を勇気づけることなのかもしれない、と思うことがあります。 その奥には、なんだかんだで幼少期からたまに勇気を奪われていたからこそ、幼少期~二十歳くらいの自分を助け出すように、また、奪われた勇気を取り返すために、人を勇気づけたりしているようなフシもあります。 そのようなことに気づいたのは比較的最近です。 様々な出来事が重なってそんなことに気づいてしまいました。 なぜ、できないんだろう? 毎年春になると一気に解放が起こることがあります。たいていは冬の疲れの解放に伴う

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「ぼくがぼくであること」という意志表示

「ぼくがぼくであること」 山中 恒氏の作品ですが、この本には不思議な思い入れがあります。 それは弟が初めて僕に薦めてきた本であり、貸してくれた本であるからという感じになっています。 「ぼくがぼくであること」は、物語としても読んでいて面白い作品です。 その本のことを思い出し再度読み返そうと思いました。実家に取りに行ってもよかったのですが、弟からの借り物であるため、改めて自分で買うことにしました。 改めて読んでみるとやっぱり面白かったので、一応ここに記しておこうと思います。 ― さて、弟が15歳か16歳位の頃だったと思

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意図せず壊れた友情

特に喧嘩をしたとか裏切りがあったというわけでもないのに、意図せず友情が壊れてしまうことがあります。 またいずれどこかで詳しく書こうとは思いますが、僕の中に暗さが生じ、怒りがよく起こるようになったきっかけというのは、こうした「慈しみ、友愛が叶わないということが起こり始めたから」という感じになっています。 思い返すとそれはいわゆる思春期に訪れたものであり、なぜ人と人の仲が壊れてしまうのかということについて、日に日に暗さが増していきました。 「お前まだドラえもんなんか読んでんの?」というようなことを言うやつが現れたりする

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豊かさの感覚

ほんのちょっとのことですが、ぶわぁーっと豊かさの感覚を感じる時があります。 当たり前であると思っているような当たり前のことに感謝をするというようなこともそれにあたりますが、些細な事に気づくということもまた醍醐味があります。 ― 先日、親戚の子が京都に遊びに来た時のことです。 帰りの時間の関係で、次の観光地までそろそろ移動しようかと思った時、「ちょっと寄り道」プランがあったのですが、周りの大人に急かされ、断念しそうになりました。 しかしながら、心残りというか残念な気持ちが残る諦めはいただけません。諦め癖がついてしまっ

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おばあちゃんとの思い出の曲

最近やたらとおばあちゃんの顔を思い出します。 理由は簡単で、最近スマートフォンを持ち始めた母が、母の幼なじみから生前のおばあちゃんの写真と動画を送ってもらい、母経由で僕のもとにやってきたからです。ということで、亡くなる数ヶ月前のおばあちゃんの姿を見ることになりました。 そして思い出したのは坂本九氏です。 おばあちゃんの家で暮らしていた時に一緒に聞いた、坂本九氏の歌声をかなりの頻度で思い出してしまいます。 ― 病中で、おばあちゃんの家で2ヶ月ほど暮らしていた19歳くらいの頃ですが、ある日、一緒に大型スーパーにでも買い

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あの手この手で支配しようとしてくる体育会系天才詐欺師

勤め人の頃に、あの手この手で支配しようと躍起になっていた体育会系の先輩のような人がいました。 社内では天才詐欺師として有名であり、胸板を強調し、胡散臭い縁の太い眼鏡をしていました。野球部上がりです。野球部出身者に対しては、予選に出場したのは何回目の甲子園だったかというような質問から上下関係を作ろうとしているような人でした。 しかし残念ながら僕のような人間を支配しようと思っても、僕に遊ばれるだけです。 「暖簾に腕押し」ということがいかに面白いかということを思い返して、時折思い出し笑いとして爆笑しています。 何とか上下

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個々で判断することの正しさ

海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。 その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。 そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベルではたいてい友だちになれるということを実感したということです。 育った環境は異なれど「男子たるもの同じようなトンチンカン思考をしてしまう時期を経て大人になったのだなぁ」というようなこと

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お客の親への喝

そういえば随分前、お客の親に怒鳴ってしまったことがあります。お客の親が出てくるような業種ではないのですが、相手から来たので仕方なくという感じです。 某団体において経営相談員のようなことをしていた時のことです。そこに直接連絡が来たというわけではなく、その情報を元に個人事業の経営相談的なコンサルティングをお願いしたいというような依頼がやってきました。 別にそれは構わないので、喫茶店にてパソコンを持ち込んで数時間お話しました。 相手のお客は20代男性、発達障害を持つ人でした(これは後で知ることになります)。 何だか少し違

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最初から出ていた答え

遡って色々と振り返ってみると、最初からいきなり答えが出ていたというようなことが数多くあります。 そうしたことが多いので、今でも直感に従うことがよくあります。 世の中では「努力」についていろいろなことが言われていて「努力は絶対に必要だ」というような脳筋から、「努力は不要であり、嫌々する努力は逆効果」というようなものまでたくさんあります。 それは努力必要論、不要論の範疇に入りますが、それ以外にも、「努力というものでは何ともならない領域のもの」についてのお話もあります。才能が云々というものではなく、「努力とは別領域」とい

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蹴球唾吐

1994投稿目ということで1994年…エキサイトステージ94…先日の強制終了…ということで、サッカーの思い出について触れていきましょう。 1993年から1994年頃といえば空前のJリーグ、サッカーブームの到来というような感じであり、当時小学校中学年だった僕の学校でもサッカーが流行しました。友人と「Jリーグ エキサイトステージ’94」を楽しんだり、サッカー遊びのようなことをするような感じになったりしました。 昔からスポーツチームのファンになるにあたって、何を根拠にファンになっていくのかがよくわからず、当時

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胸の痛みが消えてなくなる感覚

どうも体の部分部分に秘めた痛みというものは、その痛みを受けた時の記憶等々と連動していたりします。 また、緊張の種類によって体としても緊張が走る場所が異なるため、ある部分の痛みや疲れは、それに応じた緊張のエピソードと連動していたりするようです。 先日、夜に眠れなくなり、いつもなら春先に起こるような緊張の解放が一気に起こりました。もしかすると「相手の空間に飲み込まれると調子を崩す」等々を投稿した影響かもしれません。 胸の真ん中にグーッと圧迫感が走り、痛みが走りました。 そして、記憶が急激に描写され、一気に涙が溢れてしま

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相手の空間に飲み込まれると調子を崩す

相手の空間に飲み込まれると調子を崩す、ということで、少しだけ「人との深い関わり」の続編を進めていきましょう。 振り返ると「調子が悪いなぁ」とか「何をやってもうまくいかない」という時、たいていは誰かの空間に飲み込まれていて、自分本来の思いや意図からは外れていた時、という感じなっています。 相手の提案に乗ってみるということはいいですが、行き過ぎるとどんどんツキがまわってこないというような感じになっていきます。 「あ、終わった」と思った瞬間 「起業してから廃業して大企業に新卒で就職することはできないが、反対に大企業に新卒

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人との深い関わり

思えば幼少期から人と深い関わりを持つことが多いなぁというようなことを思ったりします。しかし最近ではほとんどそんな深い関わりが生じることがありません。 人と深く関わって良かったこともあれば、さんざんだったということもあります。 さんざんだったことも数多くありますが、それなりに良い経験になっているので、振り返れば「良かった」というようなことも思います。 人と深く関わってしまう理由 なぜそんなに人と深く関わってしまうのかという点ですが、ひとつは「なるべく友だちになろうとする気質があること」であり、一つは、「人の深い部分を

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1983

1983投稿目ということで、1983年について、というより相当幼い幼少期の頃について触れていきましょう。 僕は1983年(昭和58年)に生まれました。 といっても12月生まれなので、1983年を過ごした期間はほぼわずかで、新生児の頃という感じになります。 そういえば僕の銭湯歴は相当長く、生後一ヶ月で銭湯デビューという感じだったようです。 家に風呂があったらしいのですが、おばあちゃんが風水か何かの入れ知恵に影響され「縁起が悪い」と言ってぶち壊し、一家全員で近くの銭湯に通う習慣がついていたという背景があったようです。

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シューベルト「魔王」について

シューベルト氏の「魔王」という曲は、父と子が森で魔王に出会い、子が魔王に誘われ、父は気づかずというような詩のあるような曲のようです。 一応作詞はゲーテ氏、というより詩の方が先にあり曲が後でついたという感じのようですが、中学校一年生の時、この曲がテストの問題として出されたことがあります。 どのようなシーンを思い浮かべますか? その時の問題が、テスト中にこの曲が流され「この曲を聞いてどんな感じがしますか?どのようなシーンを思い浮かべますか?」というようなものだったので、原作は無視して魔王というタイトルを元に思うままに書

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静かなる気迫

19歳くらいの病中の頃、おばあちゃんの家で2ヶ月ほど暮らしたことがあります。 特に実家が嫌だったとかそうした理由ではありません。 嫌ではないのですが、少し気が散るというか、そのままでは同じところをぐるぐるしているだけのような気がしたので、何かを見つけるために静かな場所で強い人と一緒にいたかったというような感じです。 理解者で触れたおばあさんとの出会いの後、僕は、すべてを解決するものではないにしろ、何かをまとめ、何かを見つけるために周りの中で最も精神が優れ、そして安定した寡黙なおばあちゃんの家で暮らすことにしました。

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オスのセキセイインコが持つポジティブさ

オスのセキセイインコは異常なほどのポジティブさを持っています。ポジティブと言うより、根底から「ネガティブがない」というような印象があります。 鉄腕アトムには基本的に恐怖心がプログラミングされていないように、オスのセキセイインコにも恐怖心や悲しみといったものがほとんどないという感じになっています。もちろん個体差はあると思いますが、楽観主義やポジティブの塊とでも言いましょうか、パラメータの振り分け的に、喜びや友愛が強く、恐怖心や悲しみ、妬みや僻みはゼロに近いという感じの印象があります。 9月20日~26日は動物愛護週間

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14歳

比較的最近のことですが、千原ジュニア氏の14歳を再読しました。 小学生の時にすんげー!Best10で千原ジュニア氏を初めて見た時、「この人は他の人とは違う」ということを思い、そして「何かが自分と似ている。きっと僕はこの人のようになる」というようなことを率直に思いました。 僕は部屋に閉じこもることはなかったですが、14歳を読み返すと、怒りの強さを筆頭に「やっぱりどこか似ているなぁ」というようなことを思ったりしました。 ― 世の中では昔からいじめのようなものが常に問題視されています。 それをどう定義するかというところの

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微かでも大きな果報

因果応報という言葉は、どうしても胡散臭いカルト宗教などに利用されがちです。なので、あまり使いたくない感じがしますが、比較的最近、父から聞いた話で気づいた、しんみりした微かでも大きな果報について触れていきます。 うちの寡黙な方のおばあちゃんが存命の頃、二人でよく食事に行きました。おばあちゃんは、特にグルメであるとかはしゃいで騒ぐという感じではなく、静かに黙って食べるような感じでした。 十代の頃、おばあちゃんも含め家族数人で行った時に、ほとんど黙ってふんふん言いながら、食事をする他の家族の姿を見るおばあちゃんを指して、

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祝七周年

本ブログも七周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1942記事目になります。今回も祝六周年の時と同様に、単純に祝七周年というタイトルです。 祝六周年の時は1775記事だったのでこの一年で170弱の投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。 アクセス状況 この一年でこのブログにやってきた人の数は、170,737名ということのようでした。その前の

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うさぎの絵について

うさぎの絵に関して、名実共に最高峰にいるのはピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポター氏であると思っています。 「誰よりもうさぎのことをわかっている」 という感じがします。 うさぎなどの動物とずっと暮らしていた上に、亡くなったうさぎの骨まで確認していたというポター氏。 ということでやはり骨格や筋肉のつき方を捉えているということが、生き物の絵を描くにあたって一番大切なのでしょう。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人が言っていましたが、基礎デッサンを教えているときに、特定の動物を指定すると、教え子さん達の完成物に

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陰風に眼くらみて

人は主に視覚情報を頼りに外界を判断していると言われたりもしますが、もちろん聴覚や嗅覚、味覚、触覚なども頼りにしていたりします。 視覚の比重が高いからこそ動画や画像を見て美しいものであると捉えたりもしているのでしょうが、実際に実物はそれにニオイというものも要素として加わってくるわけです。 たいていの場合「ニオイ」というと、良い匂いによる加点よりも臭さによる減点の方が大きい感じになっています。 という中、動画などにおいては視覚と聴覚の情報はやってきても嗅覚情報はやってきません。だからこそ実際よりも美しく感じてしまったり

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軒守る犬の吼ゆる声

小型犬が多くなったということが関係しているのか、最近では番犬として家の外にいる犬を見かけることが減ったような気がします。 しかしながら、かつて番犬というものは至るところにいて、かなりの頻度で吠えられた記憶があります。そうした番犬はサイズ的に中型犬や大型犬なので幼い時は結構恐い思いをしました。 基本的には動物とは仲が良いのですが、小学生の頃に犬に靴を奪われてからというもの、中学生の時くらいまでは犬が苦手で仕方ありませんでした(韋駄天が一目散)。 苦手で仕方がない割に、雄犬にはよく好かれ、通学路で抱きつかれ腰を振られる

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待ちつる人は来らず

この世界においては、自然的な確率が渦巻いている中、常に可能性は重なり合っていて、純粋に意図した瞬間に確定してしまうという感じになっています。 それは自ら意志を確定し能動的となるという場合もありますが、表面的に自らが働きかけなくても起こってしまうという格好になっていることもよくあります。 そんな感じで、再会を望みつつも「待っていても来ない」という場合もありながら、逆に「待ってもいないのに来てしまう」という場合もよくあります。 いつかまた巡りあってしまう人たち 「久しく会っていないなぁ」と思っていた友人がいました。「ど

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嚢をかたぶけて酒飯の設をす

高校生くらいの時の話ですが、友人宅に行くと、その友人の友人がそのまた友人を連れてやってくるという感じになりました。まあそのくらいの年齢の頃にはありがちです。 その友達の友達の友達くらいの人をひとまずAさんと呼ぶことにしましょう。ちなみに女子です。 どのような経緯があったのかはわかりませんが、Aさんは最近学校を辞めており、どこかの機械工場に勤めているという感じだったようです。 それはそれでいいのですが、Aさんは友達と一緒に僕の友人宅までやってきました。 人数分のドリンクを持ってきてくれたという何とも粋な感じでした。僕

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