タグ別アーカイブ: 京都

京都について

今夜陰風に乗りて

近年やたらとデータを集めよう集めようとしている世の中の動きがあります。その奥には様々な意図が潜んでおり、理由は一つに限定されるものではありません。 ただ、その原動力になっているもののひとつが、相関関係の発見という面であり、因果関係はつかめなくとも何かしら相関関係がわかればそれはそれで意味があるというような点がデータ収集への固執を生み出しています。 これは直接的な因果関係をつかめなくとも、ある習慣を持っている人々が、その習慣を持っていない人々に比べて、寿命が長いということがわかってくれば、その習慣と寿命の長さとの直接

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けふは誰某がよき京入なる

京という字だけで都を表すとなれば、京都はみやこにみやこを重ねるという感じになっています。という僕たち京都人の感覚から言ってどう取り扱えばよいのかわからなくなるのが世間一般的な「上京」という言葉です。 さらに上京区民ならもっと「上京」という言葉に違和感を感じてしまいます。第一に「かみぎょう」と読んでしまうはずです。 ― そういえば、イスラエルのエルサレムやトルコのアンカラに行った時にふと思ったことですが、古くからある首都というものは結構内陸にあるものなのだなぁということを思いました。 イスラエルにおいては、経済の中心

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湯ひとつ恵み給へといふ

かなり昔のことですが、ある時バイト中 「おい、もっと熱い湯をもってこい!」 といきなり客に怒鳴られたことがあります。 「こんなぬるい湯じゃ茶を淹れられないだろう」 というのですが、用意していた茶は煎茶であり、僕たち側としては煎茶の抽出に最適な70℃から80℃くらいの温度にしておいたのですが、相手には伝わらず、 「手を抜きやがって」 などと言われたという感じでした。 カップラーメンなどを食べるというのであれば「ぬるすぎるだろう」というのもわかりますが、茶のことに関して京都と静岡で強気に出るのはご法度、というような感じ

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日常を観光目線で非日常に変えること

地域コミュニティの弱体化が原因となっているのか、日常を観光目線で非日常に変えることが至るところで起きていたりします。 地域インフラとして、そして自然な地域のコミュニティの繋がりの場として機能していた施設や店舗が、高齢化による利用者の利用頻度の低下や事業承継の難しさによって事業継続がままならなくなることがよくあります。 その結果、全く異なる資本による事業の引き継ぎが起こったり、新規店舗が現れたりはするものの、それらが軸にしているものは観光という目線であり、観光的解釈により地域の日常を非日常に変えてしまうことがよくあり

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風習に無知な旅行者

みなさんの地域ではどうなのかわかりませんが、ここ京都では数年前から外国人、特にアジア系の外国人旅行客に汚染されてきているフシがあります。観光公害というやつです。 最近ようやく条例によって規制が入りましたが、一時期ゲストハウスというものがやたらと乱立し始め、市街地のど真ん中、そして住宅街において外国人がどんちゃん騒ぎしたりするようなことが起こり始めました。 いわゆる民泊というものですが、旅館業の許可得ていないような業者は単に儲けだけを意識しており、下手をすれば外国人がやっているので、迷惑をかけられた上に収益も外国に流

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嵯峨菊

嵯峨菊

嵯峨菊(学名:Chrysanthemum grandiflorum cv.Saga)は、古典観賞菊のひとつ、かつ、日本三大名菊のひとつで、もちろんキク科キク属多年草の菊の一種です。 嵯峨菊(さがぎく)の名の通り、かつての嵯峨御所である大覚寺で品種改良された菊です。元祖京都ブランドという感じでしょうか。糸状の細長い管弁に細い茎が特徴です。 正式な嵯峨菊の仕立て方としては、「高さ2メートルになるように3本を一鉢の中に寄せ植えして、花を先端から下部にかけて3・5・7輪と咲かせ、葉は春夏秋冬を表すように仕立る」ということに

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ゴミを捨ててある場所にひきつけられる

今ではすっかりきれいになりましたが、地元においても無法地帯的にゴミ捨て場となっているような場所がちらほらありました。 高校生くらいのときから京都でもホームレスの方がどこかに追いやられたり、そうした無法地帯的なゴミ捨て場も無くなっていったりしました。 小中学生の頃となるとそうしたゴミ捨て場は、ある種ワクワクスポットであり、何かしら面白いものが捨ててあるのではないかという淡い期待が満載の場所でありました。 ワクワクスポットであるゴミ捨て場 暗黙のルールということなのか、もちろん生ゴミ類など衛生的に問題が生じそうなものは

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厚化粧した廃墟

廃墟というと八幡の通称軍人病院を思い出します。その場所は、尾ひれがついてまた尾ひれが付き軍人病院と呼ばれていました。 なお、現在では立入禁止になっているようです。 心霊現象が絶えないという感じのようですが、おそらく思い込みからやってきているのでしょう。「実際には軍人病院では無かった」という場合に「負傷した兵隊を見た」というのは、辻褄が合いません。ということできっと妄想の産物です。 当時単車に乗っていた僕は、一番最初は単車仲間と複数人でという感じでしたが、その後幾度となく女子に「連れて行って欲しい」と言われ、心霊スポ

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倒木しても満開になった「奇跡の桜」桂川

倒木した桂川~天神川の桜と社会

先日、桜の季節ということで桂川の方に行きました。 いつもの菜の花スポットですが、そこには桜並木があり、ほぼ毎年のように行ったりしています。しかし、桜の季節は比較的人が多いので、桜が散った後に菜の花を見に行くことが多いという感じです。 ただ今年はちょうど桜が満開の時期に暖かい晴れの日が訪れてタイミングも良かったので、多少の人の多さを覚悟しながら桂川の方に行きました。 桂川と天神川が合わさる手前の場所で、厳密に言うと天神川の方なのですが、やたらと人が多く、「うーん…まあ仕方ないだろう」と思っていました。 桜並木の方に行

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意図的に意識を揺らす場所

京都も今では観光バンザイのような風潮を持っていますが、明治初期までの間、女性は神社仏閣への立ち入りは禁止されていました。 おそらくそれは「儒教の影響を受けた仏教」の影響による男尊女卑的な風潮もどこかにありながら、女性自身を守るためのものでもあったと思っています。 女性は共感性の高さから強烈な変性意識状態に陥りやすく、いわゆる「狐憑き」のような事が起こりやすいということ防ぐためという配慮です。 歴史的に観ると欧州でも修道院などで女性の集団ヒステリーがよく起こっています。そういうわけでヒステリーを起こしやすいということ

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哲学の道の黄昏

哲学の道の黄昏

哲学の道の黄昏ということで、昨日行ったばかりの哲学の道について触れながら、道行く人を見ながら感じたようなことについてでも書いていきましょう(ついでに、たった今の出来事ですが、なぜか、「みちゆくひと」と打っても通行人としか変換が出ません)。 このシーズン、哲学の道は桜吹雪の大乱舞という感じなので、人でいっぱいです。外国人だらけで、地元の人はほとんどいないような感じでしたが、想像よりは人が多くなかったので、程よく散歩することができました。なお、哲学の道はホタルスポットでも有名だったりします。桜もいいですが、ユキヤナギを

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孤独な人々に

われわれが他の人間の名誉を世間の目の前で大切にするのと同じように、独言を言うときにも大切にするのでないならば、われわれは行儀の悪い人間である。 曙光 569 孤独な人々と独り言、ということで、稀に誰に話すわけでもなく一人でブツブツ言っている人について書いていきましょう。 僕は昔から変な人が好きです。およそ誰からも相手にされていないような、世間で言う変人の人には積極的に声をかけていました。ということでおそらく僕も変人なのです。 仲間内で前日のスポーツ報道や今朝のニュースの話をしているような、いわゆる「普通の人っぽい人

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われわれの方が高貴である

忠実と、寛容と、名声への羞恥心。この三つがひとつの心情に合一すると― われわれはそれを、貴族的、高貴、高潔と呼び、これによってギリシア人を凌ぐ。 曙光 199 序 「高貴」という字を見ると、どうしても10代の頃にオールディーズライブハウスで見かけた「軽快にステップを踏む髭のおっさん」を思い出してしまいます。 「こうしたものの嗜みもあるぞ」という感じで得意げです。高そうなスーツに口髭、「ステキですね」の一言を欲して仕方ないという感じでしょう。 そう言えばその頃くらいに、メディアが「セレブ」という言葉を浸透させようと躍

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定住している人々と自由な人々

定住している人々と自由な人々ということで地元愛についてでも書いていきます。 なんだかんだで毎年毎年いろいろなところに行きますが、どの土地に行ってもそこに地元愛が感じられればその分だけ旅の醍醐味があります。 20代中頃は、周りの大企業に行ったような人たちが「いつまで地元にこだわるんだ?」的なことを自慢げに言っていました。 まあいろいろなところで働いて視野を広げてみるのもいいですが、外国人男性を連れている女性のような「羨ましがられたい」というような感覚にしか思えませんし、ジャンプ派の人間が何かの優位性を持って優越感に浸

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どのようにして化石になるか

宝石のように、ゆっくり、ゆっくり硬くなる― そして最後に静かに、永遠の喜びに横たわったままである。 曙光 541 化石や宝石ということで、いままでに見た宝石の中で印象に残っているのは、20代はじめくらいに宝石屋に勤めている友人に優良顧客用展示会の招待状をもらい、会場で見せてもらったバカでかいアレキサンドライトです。光の質によって色が変化する石ですね。 天然モノだったので、価格はフェラーリくらいでした。 益富地学会館 まあそこまでいかなくても、京都で面白い石を見に行くのであれば、御所の近くに益富地学会館というところが

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宝ヶ池で釣りをしていた犯人情報

みなさまこんばんは。 宝ヶ池で釣りをしていた犯人について追加情報があります。 いんもさんより証拠動画を送信いただき確認しましたところ、顔だけでなく、様々な情報が推測ですがわかってきました。 京都マラソンのボランティアスタッフ 犯人の一人は、京都マラソンのボランティアスタッフです。 そして京都マラソンのボランティアスタッフ募集要項を確認したところ、15歳以上(中学生不可)でした。 ボランティア活動日現在で15歳以上の方(中学生は不可)であれば、どなたでも応募いただけます。 2016年2月21日(日)は、京都マラソンの

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宝ヶ池・宝ヶ池公園を愛するみなさまへのお願い

宝ヶ池・宝ヶ池公園を愛するみなさまへのお願い

「宝ヶ池」のページは、宝ヶ池に関するウェブ検索で各様々な検索キーワードで検索結果上位に食い込むことにより、「宝ヶ池で釣り」を抑止しようという試みです。 「宝ヶ池」というキーワードを含んだ検索をされる方は、宝ヶ池に行かれる確率高いため、宝ヶ池公園のページをご覧になった方々がひとりでも多く、宝ヶ池公園で釣りをしている人に目を光らせていただき、その場で警察に110番通報していただければと思っています。 そして、そのようなことが当然になれば自然に、宝ヶ池で釣りをしにくくなります。そして、宝ヶ池での釣りを撲滅しようという趣旨

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宝ヶ池公園の釣り人へ

本日、心ある方よりご連絡をいただきましたとおり、宝ヶ池で釣りをしている人がいたそうです。犯人は、中高生のようです。 御存知の通り、僕は宝ヶ池公園が大好きです。そこで暮らす生き物も大好きです。 宝ヶ池にまつわるページはウェブ上にたくさんありますが、ウィキや京都市など公式性の高いサイトを除いて、ひとまず宝ヶ池関連クエリで上位に食い込んで、釣り人をなくすということに力を注ぐことにします。 まあ、このようなことをしていると面白がって、逆に釣りに行くような人もいるかもしれません。 宝ヶ池での釣りを発見次第… 安心してください

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通り過ぎよう!

彼を大切にせよ!彼を孤独にまかせておけ!諸君は彼を完全にこわそうと思うのか?突然熱すぎるものがそそがれたコップのように、彼にはひびが入っている。― そして彼はとても貴重なコップだったのだ! 曙光 478 中学1年生の時です。真夏の窓辺に一週間放置した森永マミーを「いける!」といって飲み干して、最大級の下痢になった時です。 お母さんに付き添ってもらいながら、瀕死のまま病院まで歩いて行ったのですが、道中でスキンヘッドおじさんが細い道ながらも車道にカラオケセットみたいなものを出して、ワンカップを飲みながら演歌を熱唱してい

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「自然のまま。」

京都という街は、文化都市だと言われています。 しかし文化そのものがいいかどうかは別問題です。世の中では文化水準の良し悪しや高さ低さを評価する傾向にありますが、「文化」そのものがいいものなのかどうなのかは全く議題に上がりません。 まず、文化というものそのものは良いものであるという盲目的な是認があります。 たまにわざわざそれに逆らうことをアートだとするトンチンカンな人(裸でドロの中に飛び込むことをアートとする人)がいますが、それも生命維持活動とは関係のない行動なので文化には変わりありません。 「文化」については以前「文

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恐怖と愛

恐怖は愛よりも一層多く、人間に関する一般的な洞察を促進して来た。なぜならば、恐怖は他人がだれであるか、何をすることができるか、何を望むのかを推測しようとするからである。この点を思い違えると、危険で不利益になるであろう。反対に愛は、他人の中にできる限り多くの美しいものを見る、あるいは他人をできるだけ高く向上させるという密かな衝動を抱いている。その際思い違いすることがあっても、それは愛にとってはひとつの喜びであり、ひとつの利益である。― そこで愛はそうするのである。 曙光 309 人は時に動物よりも人間が尊いとし、特定

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お客さんのお客さん

昔、頭文字Dを観ている時に、ふと思ったことがあります。 乾信司との最終戦でも出てきたブラインドアタックですが、かつてのバトルでは、相手の車体を見るのではなく、相手のヘッドライトの照らしている先を見る、という旨のことを言っていました。 同じようなことを、似非コンサルタント達に言いたい、いや、言いたいと思った瞬間に本人や、そんなコンサルにお世話になっている、もしくはその予備軍には言いますから、既に言って回っています。 いつでも「客単価をあげるために」とか「回転率をあげるために」とか、「集客アップのために」とか、そういっ

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お祭り気分

物思いに耽るようになりました。 ※(写真の方は僕ではありません) 最も熱烈に力を得ようと努力するほかならぬあの人間たちにとって、言葉で表し得ないほど快適であるのは、自分が圧倒されていると感じることである!渦巻きに沈むように、突然、深く、ある感情の中に沈み込むことである! ― まあ何という全くの無力さ!根源的な力に翻弄されて! ― もしわれわれが、一切のものを呑みこんで圧しつぶす印象にいつか一時的に身を捧げるとすれば、― それが近代的なお祭り気分なのである! 曙光 271 抜粋 お祭り気分 曙光 271 関連している

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病人と芸術

あらゆる種類の悲観や魂の悲惨に対しては、まず食事の変更と肉体的な荒仕事を実験すべきである。しかし人間はこの場合、麻酔剤に手を伸ばしがちである、―  たとえば芸術に。それは彼らにも芸術にも禍いとなる!諸君が病人として芸術を熱望するなら、諸君は芸術家を病気にしてしまうことに気がつかないのか? 曙光 269 うつ気味になった時は、食事の変更と、体を動かすということをまずした方がいいでしょう。高血圧気味でも、薬をのむ前にそういった事をまず行ってから検討したほうがいいのと同様に、何でも医者の言うことが正しいとは限りません。誤

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ドイツ人の徳について

世界中どこを旅していても出会うのがドイツ人というのが相場です。中国人は集団で観光に来ますが、各国で出会ったドイツ人はほとんど独りです。たまに船岡温泉が外国人でいっぱいになる時がありますが、話しかけてみるとドイツ人だったというケースが結構多いように思います。 さてドイツ人といえば次のようなお方です。 頭文字D(イニシャルD)が好きすぎて日本に来たドイツ人…”という動画でしたが、youtubeに著作権侵害の申し立てがあったため削除されました。 別のものを見つけました また削除されていました。 イ

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