タグ別アーカイブ: 言語

文化的

文化、文化的というと、様々な定義がありそうです。 ウィキに載っていたモノで言えば ハイカルチャーのように洗練されたもの 象徴的な思考や学習による信念やふるまいのパターン ある社会組織に共有されている価値観 上記のものは一切本質的ではないと思っています。説明になっているようないないような定義もあれば、半分くらいしかかすっていないような定義ですね。 エドワード・タイラーによる定義によると 広く民族学で使われる文化、あるいは文明の定義とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣

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生きるって悲しい 改

人は焦ります。焦ったときは当然にそわそわしているので、それを苦しいことだと感じますが、ゲーム中に焦っているときは、「エキサイティング」を楽しんでいるだけで、特に苦しんでいるというよりは純粋に楽しんでいるはずです。苦しいのならすぐにやめられるのですから当然です。 想像力というものは強力なので、「なにか大変なことになるかもしれない」というイメージは相当自分を焦らせてきます。ところが、実際になにかが起こってもそれは大変なことではありません。腹痛のような激痛がくるのならまだしも、たいして自分には何のダメージもありません。ほ

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だまされるのはいつも言葉 改

日々暮らしていれば、ふとしたことから「言葉」にだまされてしまいます。 言葉の力については、過去記事で少し触れましたが、言葉よりも強力なのは関連思考と想像力です。 意志の力よりも 何度か触れましたが、意志の力は大したことはありません。 くり返し唱えられる「言葉」や、サブリミナルの前では、半紙で機関銃を防ごうとしているようなものです。 体育会系は意志の力を「根性」と置き換えて、それを凄いものかのように説きますが、あれは激しい運動で思考が弱っている時に「声援」や「喝」を入れるから効果があるだけで、実際はあまり意志の力は働

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呪文・そもそもはない 改

この呪文は一見、人の幸せを打ち消しているように思えますが、「ない」とは否定の意味ではありません。 否定とて、あることを前提にしているからです。 「そもそもはない」 存在する/しないの二元論の域をいっそ出てみましょう。 言葉というものは何かを限定する性質があります。 ある特定の概念を指して、それ以外を排除するという性質です。 そこでばっちり定義ができればいいのですが、それもなかなか難しい。 「りんご」といってもたくさんの種類があります。 品種に始まり、形や大きさにもバラバラなのにそれを包括します。 また、りんごの絵か

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だまされるのはいつも言葉

外国人が来て、怒った顔で自分に罵声を浴びせるとき、大抵は「何か悪いことをしたかな」と思うものです。 でも本当は「うちのオカンのカレーは格別にうまい!今度食いに来い!」と叫んでいたらどうでしょう。 言葉がわからない故に勘違いしてしまいます。 言葉には力がありますが、それは言葉に力という属性を与えているからです。 言葉に意味というラベルを貼り付けているからです。 一方で意思の伝達にはかなり役立ちますが、苦悩の元凶にもなりえます。 漠然とした言葉の意味にとらわれて、いつも感情が振り回されます。 しかし本当は感情を揺さぶる

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バル

時代時代で流行りがあります。 無刺激に耐えられない人が、刺激を求めて流行りを探します。 その事実だけは時代によって流行ったり廃ったりはしません。 最近では「バル」という看板をよく見かけます。 スペイン系の店ではかなり前から使われていたようですが、端的に最近のそれはただの流行りでしょう。 関係のない店でも、そんな名前を店舗名に入れています。 90年代に「ピュア」という言葉がよく使われた時期があります。 最近では使われると言っても、せいぜい「ピュアオイル」などです。 「ピュア」という言葉単体で使われるのは、サバンナの八

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辞書

歩こう会 「だ捕(拿捕)」など、普段使わない、読みにくい漢字は、最初から平仮名にしてあったりします。 僕は中学生の頃、「歩行(ほこう)くらい読めるわい!」と、 歩こう会のポスターにキレていました。 あれは「あるこうかい」らしいですね。 でも「ほこうかい」とも読めます。 この組織の名前をつけた人は、相当気が回らない人なのでしょう。 しかも、「いまや歩こう会は説明不要なくらいメジャー」くらいに思っていると思います。 そういう人とは友達にはなれません。 ― 控除という言葉があります。 「引いていきますよ」というような意味

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シャンプーの営業

もう何年も髪を切りに行っていません。 自分でバリカンでやっております。 最近でこそ坊主頭ばっかりしていますが、髪が長い頃もありました。 一番長い時で肩くらいまでありました。 中途半端な髪色が嫌だったので、染めるときはそれなりの激しい色にしていました。 たまにパーマもあてていました。 どうして、坊主にしたか。 それは、年々薄毛になってきていることも理由ですが、どちらかというと髪を切りに行きたくないというのがあります。 当時も自分でやるか、友達にやってもらうか、友達のお母さんにやってもらっていました。 あとは、手入れい

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