タグ別アーカイブ: 男と女

男と女・性について

あることを是認する

われわれが結婚を是認するのは、第一にわれわれは結婚をまだ知らないから、第二に、われわれは結婚に馴れているから、第三に、われわれは婚約しているからである。― すなわちほとんどあらゆる場合に是認する。それにもかかわらず、結婚一般の品質の良否については何もそれで証明していない。 曙光 359 なんだかんだでニーチェは結婚ネタが好きですね。 ご無沙汰しております。bossuです。眼のピクピクも少し落ち着いてきました。 さて、以前結婚相談所の方と、結婚についてお話をしたことがあります。 「結婚=第三者に対する二人の関係性の外

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愛の浪費に反対

他の人々から愛着の幾ばくかを引き去るほどにひどくだれかからその愛着を与えられるとき、心が締めつけられるように感じる人間たちがいる。われわれは選ばれ、好まれたのだ、という声を聞き取るとしたら!ああ、私はこの選択に感謝できない。私をそんな特別扱いにしようとする人に恨みを抱くことを、私は認める。 曙光 488 中段 「特別扱い」というものにご満悦の方というものは醜く映ってしまいます。必要以上にチヤホヤされて、嫌悪感を抱かずに鼻の下を伸ばしているという姿はひどく醜いと思っています。 最近ではちらほら講師を引き受けたりする関

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われわれがやはりそうであるとおり!

「われわれ」といっても男性限定ですが、われわれ男性はやはり男性である限り、超えなければならない壁というものがあります。 ○玉との主従関係ですが、その点については何度も触れています。 それは非常にハードルが高いのかも知れません。 そういうわけで、今回は「まずは義務教育程度のモテテクから脱しよう」というテーマでお送りしていきます。 Z会と非Z会については「Z会と非Z会」をご参照ください。 義務教育程度のモテテクから脱しよう さて根本問題ですが、「義務教育程度のモテテク」というのは一体何なのでしょうか。 それは、「足の速

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女ぎらい

「女性はわれわれの敵である。」― 男性としてこのように他の男性たちに語る者は、自分自身を憎悪するだけでなく、自分の手段をも憎悪するような抑制されない衝動のあまり、そう語るのである。 曙光 347 女ぎらい(女嫌い)というストレートなタイトルでお送りします。女嫌い、女性嫌悪という感じになりましょうか。 700回投稿の際にアクセス解析を見ていたら、男女比率は、男性47.27%対女性52.73%とやや女性ユーザーさんが多いようです(ただPV数、滞在時間は圧倒的に男性が多く、長いという結果です)。 そんな中、たまに女性に対

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たくみな誤り

社会で良しとされているものは、ほとんどが別にいいものでも何でもありません。そこに無駄に価値をつけすぎている事自体が、無駄な苦しみを増やしています。 無駄に価値がつけられているものを価値あるものと思い、所有から制限が生まれ、煩悩を増すことになるということを見誤ってしまうという点がたくみな誤りという感じになるでしょう。 何かを所有することは、その効用を享受できるという意味で確実にプラス要素だと思われていますが、その実は、それが原因で煩いが増え、また、行動が決定される要因になります。 所有から制限が生まれる 「所有」とい

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われわれは何ができようか?

ある人は不良で悪意のある息子から、まる一日ひどく責められたので、晩、息子を打ち殺し、深く息をつき、残りの家族のものに言った。「そう!これでわれわれは安心して眠れる!」― 環境はわれわれをどこへ追い立てることができるのか、われわれは何をしっていよう! 曙光 336 ここで少し家族について触れましょう。 家族仲はいいのですが、昔から家族という組織が嫌いです。 どういう意味で嫌いかというと、煩いの方が多いからです。 ノイズとしての影響が多いというような感じです。 昔から独立心が高いため、性格的には家族からの影響はあまりあ

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愛が愛として感じられるために

われわれは、自分に対して誠実であり、自分を非常によく知る必要がある。他人に対して、愛や親切と呼ばれるあの人道主義的な偽装をすることができるためには。 曙光 335 愛や親切と呼ばれるものは、ほとんどが偽装されたものであり、慈しみのように純化されたようなものではなく、何か裏にある自己都合の自己欺瞞のために使われたりします。特に語られる時はそうでしょう。 自己都合を覆い隠すため、つまりは一種の欲などを悟られないように、愛や親切という言葉に変換されているものがほとんどです。 芥川龍之介氏は恋愛の事を性欲の詩的表現だと言い

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正しさと限界

禁欲の教えは、感性的な衝動が狂暴な猛獣であるためにこれを根絶しなければならないような人々にとって、うってつけの考え方である。しかし実際またそういう人々にとってだけである。 曙光 332 これはZ会について触れろということでしょう。今回はZ会、つまり「絶倫すぎる男たち」について触れていきます。 世の中には絶倫になりたい人、食べ物などで何とか絶倫になりたいというタイプの非Z会の人がいますが、「絶倫すぎる男たち」=Z会は、基本的には食事等だけでなれるものではありません。 Z会と非Z会 この世の中にはZ会(絶倫すぎる男たち

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快活さをそしる者

人生に深傷を負った人間たちは、一切の快活さに疑念を抱いた。快活さとは、いつも子供らしい、子供っぽいものであって、死に瀕している子供がそのベッドでなお玩具をかわいがるときのように、それを眺めると、あわれみと同情しか感じえないような愚かなものを漏らしているかのように。 曙光 329 前半 快活さをそしる者ということで、少し路線は外れますが「快活さが削がれる瞬間」についてでも触れていきます。最近、怒りが生じるわけではないのですが、一気に快活さが失われるケースがあります。 何かをやっている最中に横槍が入ったりした時、快活さ

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離れて生き、そして信じる

その時代の預言者や奇蹟を行なう者などになるための手段は、今日においてもやはり昔と同様である。すなわち、僅かばかりの知識と若干の思想と極めて多くの自惚れとを抱いて、離れて生きるという事である。 曙光 325 前半 「離れて生き、そして信じる」ということで苦行や神格化についてでも触れていきましょう。 少し距離を起き、実態を悟られないままに、「すごい人」を演じていたほうが、相手は自分を神格化してくれる傾向にある、というのは太古の昔から変わりないようです。 ということで、苦行と神格化です。 苦行がモテる 社会ではなぜか苦行

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傍白(わきぜりふ)

この本のような本は、読み通したり、読んできかせたりするためにあるのではなく、ひもとくためにある。特に散歩や旅行のときに。人は頭を突っ込んでは、いつでもまた引き出すことができ、月並みなもの何もあたりに見当たらないに違いない。 曙光 454 このブログのようなブログは、読み通したり、読んできかせたりするためにあるのではなく、ひもとくためにある。特に散歩や旅行のときに。 ということで、傍白(ぼうはく)、わきぜりふと銘打って、いつもとは少し違う趣旨でいきましょう。 何か散文のような、普通ならツイートするかのようなことを、時

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歓待

歓待の習慣の意味は、他人の敵意を麻痺させることである。もしわれわれが他人をもはやさしあたって敵とは感じない場合には、歓待は減る。歓待は、悪意をもったその前提が盛んである限り、盛んである。 曙光 319 歓待(かんたい)は、「手厚くもてなすこと」ということで、「歓迎!」と「接待!」だということですね。まさに「他人の敵意を麻痺させること」が主たる目的になっています。つまり歓待は誰かの敵意を麻痺させて、身を守ろうとするような意味があります。 他人の敵意を麻痺させる 知人の不動産屋なんかは、土地の買収の際に不動産オーナーを

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感情の別な見通し

ギリシア人についてわれわれは何とたわいのない話をしていることだろう!彼らの芸術について、一体われわれは何が分かっているのだろう。その芸術の魂は― 男性の裸体美に対する情熱である!そこからはじめて彼らは女性の美を感じた。したがって彼らは女性美に対して、われわれとは全く別の見通しを持っていた。そして彼らの女性に対する愛も類似した関係にある。彼らは別様の尊敬をもち、別様の軽蔑を抱いていた。 曙光 170 女性に対しての感情はいくつかありますが、一種の軽蔑と怒りがありました。ひとつの軽蔑は醜さです。特に美魔女でしょう。なぜ

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英雄主義の見かけ

敵の真中に身を投じることは、卑怯のしるしかもしれない。 曙光 299 英雄崇拝とその狂信者において、何かを崇拝し、敵の中に飛び込む、死を決して飛び込む様、つまり「殉教」に向かう方向性は、一種の自己陶酔であり、自惚れであり、自慰行為であるのに、その狂信者の間においては「カッコいいこと」とされるため、卑怯のしるしかもしれませんね。 最近かどうかはわかりませんが、その崇拝対象は、何か人物に限定されているわけではありません。わかりやすい例としては、ヒーローやアイドルなど誰か一人のモデルや、「社会はこうあるべきだ!」などのあ

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聖者

女性からのがれ、肉体を呵責しなければならぬ人々こそ、最も感覚的な人々である。 曙光 294 賢者どころか聖者にすらなってしまうくらいでちょうどよいはずです。世の中にはたくさんの自称聖者・自称聖人がいますが、周りの人からの評価ではなく、己自身が聖者たるかどうかが問題です。それは心の安穏によって示されます。 さて、中学生の時に将来の夢を書きなさいと言われて、「大阪湾までゴムボートで行く」と書いた事がありますが、「ふざけるな」と言われたので、「ふざけてなどいない」と返しつつも、「では、将来なりたい職業を書きなさい」と言わ

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外見上の寛容

高校生くらいの時に何度か引越のバイトをしたことがあります。 その内の一回は、若い女性の引っ越しだったのですが、引っ越しが完了すると、ロングヘアの40代位の男性がやって来ました。 その男性は、その当時、京都ファミリーでやっていた催し物のジャグリングショーの人に似ているので、「ジャグリングショー」という名前で記憶しています。 引っ越し完了時に、おもむろにソファーに座り、女性の腰に手を回し始めました。そして当時高校生だった僕に語り始めました。 「この部屋は倉庫代わりさ。隣にも借りてある」 ほう。 「僕はこの子を養っている

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アリストテレスと結婚

偉大な天才たちの子供には狂気が、偉大な有徳の人々の子供には愚鈍が突然出て来る。― こうアリストテレスは述べている。彼はそれでもって例外的な人間たちに結婚を勧めるつもりであったのか? 曙光 246 アリストテレスの師匠の師匠「ソクラテス」の奥さん、クサンティッペさんは相当の悪妻だったようですが、ソクラテスは「良い妻を持てば幸せになれる。しかし悪い妻を持っても哲学者になれるよ」と自己啓発に洗脳されたレベルのポジティブシンキングをしていました。アリストテレスの奥さんはピュティアスさんと言うそうです。 妻子について 妻子と

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知名の士との交際について

甲。しかしどうして君はこのえらい人を避けるのか― 乙。僕は彼を誤解したくない!われわれの欠点は一緒に調和しない。僕は近眼で疑い深く、彼は贋のダイヤモンドを本物同然に身につけるのが好きなのだ。 曙光 226 ニーチェ 「しかしどうして君はこのえらい人を避けるのか」 bossu 「彼は、自らの従業員に違法な労働環境を与えながら、自らはMaseratiやLamborghiniをSNSのカバー写真にしているのが好きなのだ。そしてオーナーという言葉を使うことが好きなのだ」 ニーチェ 「しかしどうして君はこの手の車を避けるのか

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ワンテーマ 「モテ」

モテに関しては関心のある方が多いようなので私的寄せ集めをしてみました。モテないが正しいです。ただ、モテるモテないの選択権は己にはありません。本当はありますが、それは世間で言われるようなモテテクを磨くことではありません。 モテる秘訣とモテない理屈 モテる秘訣とモテない理屈について 世間では様々なモテテクやモテるための条件、モテる秘訣、そしてモテない理由としての理屈が並べられています。世間で言うところのモテる男の条件とかモテる女の条件というものは、なぜか客観的・言語的データで語られていることがよくあります。 しかしなが

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自制と節制とその究極の動機

衝動の激しさを押さえるのに、本質的に異なった六つの方法より以上は見つからない。 (略) 機会を避けること、規則を衝動に植えこむこと、衝動に対する飽満と嫌悪を生み出すこと。苦悩を与える思想の連想を完成すること。次に力の転位。最後に全身的な衰弱と虚脱。― これが六つの方法である。 曙光 109 抜粋 ニーチェには残念です。衝動を解消するのには、この引用の方法論(①機会を避ける、②規則を衝動に植えこむ、③衝動に対する飽満と嫌悪を生み出す、④苦悩を与える思想の連想を完成する、⑤力の転位、⑥全身的な衰弱と虚脱)以外にもたくさ

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ここで新しい理想がつくられる

恋愛状態のとき、自己の人生の決断を下したり、激しい気まぐれのために自己の伴侶の性格を断然決定してしまったりすることは、許されるべきことではない。われわれは、愛人同志の誓いを公に無効であると宣言し、彼らに結婚を許さないようにするべきであろう。 曙光 151 前半抜粋 性格も傾向はある程度固定的なものであっても、表に現れる行動などは一様ではありません。そのかかる負荷度合いが弱かったり、単発なら怒ることがなくても、様々な種類の強いストレスが連続して起こると、優しい人でも怒り出すことは当然に考えられます。 特に恋愛に酔って

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気づかわしい

ある信仰を、風習であるという理由だけで受け入れる。―このことはしかし不誠実であり、卑怯であり、不精であるということを意味する!それでは、不誠実、卑怯、不精が倫理の前提であるというのか? 曙光 101 「気づかわしい」とは、事の成り行きなどが気にかかることであったり、「心配だ」「気がかりだ」というようなことを指しますが、12月25日は世間でもクリスマスだということで、「聖なる夜」が「性なる夜」的に気づかわしいということになりましょうか。稲中か何かでありましたね。 「ある信仰を、風習であるという理由だけで受け入れる」こ

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超人的な情熱に対する信仰のもつ価値

―突然で一度だけの約束から永遠の義務を調達した、制度や風習のことを考えるがよい。そのたびごとに、そのような改造によって極めて多くの欺瞞と嘘が生まれた。また、そのたびごとに、しかもこのような犠牲をはらって、新しい超人的な、人間を高める概念が生まれた。 曙光 27 嘘をつかねばならなくなるなら、原則的に約束はしてはいけません。 ただ、約束をした時点ではわからなかったことが追々わかってくることがあります。その時に約束を守ることを重点に置いてしまうと、ウソをつかなければならなくなります。 最もよい約束の仕方 約束といえば、

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タイヤの細いチャリとロハスな人

おそらく昔に比べてかなり安価になったのでしょうか、ウェーイの矛先としてタイヤの細いチャリンコが街にたくさん現れるようになりました。 また、SNSが普及した影響からか、「ロハスな人」に生活スタイルを語られたり見せつけられることも多くなりました。 ということでタイヤの細いチャリとロハスな人についてでも書いていきましょう。 タイヤの細いチャリ 最近よくタイヤの細いチャリンコを見かけます。昔から土日の周山街道などではよく見かけましたが、彼らは本気なので別に微笑ましいだけなのですが、最近街中で見かけるそれは、非常に危険で、素

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ケチンポ

男子たるもの女子にいくらお金を使えるか、その点はモテに大きく関わってきます。ただ、それをいいことに、かなりの額を搾り取られ、心身共にボロボロになる男性がいます。 正しい思春期を送り、正しく自分塾を開いてきた人は、ゴータマシッダールタが「オレ、王子辞める」と旅立った頃には、モテないが正しいことを悟るはずなのですが、正しく自分塾を開いてこなければ、晩年にも女子に耐性ができていないため、その衝動の虜になります。 お金があって偉そうも嫌われますが、お金がないのに偉そうはもっと嫌われます。 「おごってやるよ」は手抜き ただの

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