カテゴリー別アーカイブ: philosophy 哲学

philosophy 哲学 哲学という思考の遊び

不殺生戒と人を殺してはいけない理由

不殺生戒(アヒンサー)と人を殺してはいけない理由、という感じで、生き物の命について書いていきます。 戒めとしての不殺生戒をただの戒めとせず、また、人を殺してはいけない理由についても書きますが、もちろん人だけではなく、全ての生き物に対する不殺生について、その本質と不殺生戒の本意について書いていきます。 生き物を殺してはいけないという戒律、「不殺生戒(アヒンサー)」と呼ばれるものは仏教における「戒め」とされていますが、「定められた戒めであるから守らなければならない」という盲目的な解釈ではなく、あらゆる角度から徹底的に検

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「今」に集中することと今をスタートとすること

「今」に集中することと今をスタートとすること、ということで以前にサイト内検索で大人気だった「今  集中」というようなことについて、哲学カテゴリとして少しだけ書いていこうと思います。 「今ここに集中する」みたいな感じで、欧米でも流行っているようですが、あの手のものは所詮と言っては何ですが、「フィットネス代わり」に瞑想を取り入れているという感じで、カルチャースクールのヨガ教室程度のレベルの話に終わっていると思います。 あの手の話における「今。ここに集中する」は、ストレス軽減や集中力アップ、思考の抽象度を上げる、心理的盲

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諸行無常

メインテーマとしながらも、投稿数の少ない哲学テーマですが、あえて「諸行無常」についてでも書いていこうと思います。 諸行無常の正確な説明、解説というのを期待されるよりも、この諸行無常(しょぎょうむじょう)というラベリングから何かを掴み取っていただければという趣旨で書いていきます。 日本において諸行無常という言葉は、平家物語の冒頭にある「諸行無常の響きあり」という部分のイメージが強すぎて、本来の意味での諸行無常を捉えること無く、印象的に「そういえば街も様変わりしたなぁ」とか「諸行無常ゆえ親が死ぬのを受け入れなくてはなら

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「過去は変えられないが、未来は変えられる」は根本的に論理が破綻している

「過去は変えられないが、未来は変えられる」は根本的に論理が破綻している、なんてな感じで、久しぶりに哲学カテゴリで書いてみます。 なんだか体育会系に多いじゃないですか、こういう「過去は変えられないが、未来は変えられる」というようなことを言いたがる人。 徹底的に哲学的というか論理的に書いてもいいのですが、あんまり難しいのも何なので、少し噛み砕きながら書いていきます。 まだ来ていない「未来」が確定していないのに「変えられる」のはおかしい まず表題に直結したような論理の破綻からいきますね。 まだ来ていない「未来」が確定して

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ニヒリズムと「がっかり」をよく考えよう

ニヒリズムと「がっかり」の先にある境地に行くまでのその手前のお話をしようと思います。 最近しばらくご無沙汰のあとに投稿したのですが、そうするとやっぱり全体的なPVが急上昇するようです。 でも最近の投稿は、どうしても社会に触れた分の社会的な垢の分だけ、社会的なテーマになっています。 それでは常連さんとしては物足りないのではないか、ということで「ニヒリズム」と「がっかり」です。 というよりも、こういったテーマなど久々にどうかなと思ったので、書いてみようと思いました。 何だか最近変な記事と言うか素人が「ニヒリズムについて

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ルサンチマン

ルサンチマン(ressentiment)とは、「弱者による強者に対する怨恨」とするのが一般的です。怨恨の他に憤り、憎悪・非難、単純に僻みという風に説明されたりします。キェルケゴール発端ですが、ニーチェも「道徳の系譜」以降さんざん使う言葉です。ニーチェの場合は、さんざん使うというより、彼としては考えの一種の主軸になっています。 すでに哲学は手放しており、哲学カテゴリも昨年9月より更新していませんでした。特に「誰かがいった『あの用語』」の説明はしても仕方ない、と思いながらも、雑誌やテレビなどのマス媒体で、「要約しすぎて

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時間と主観

主観と客観というふうに、ひとまず私から見た場合、外から見た場合、というように分けて考えるような手法は、「人に説明する場合」に限って意味をなしうるだけで、本来的に主観しかない。ということは主観も客観もない。しかしながら、いわば客観というのは「説明のための仮止め」にしか過ぎないはずだが、いつしか客観を軸に物事が語られるようになった。 確実に「存在するもの」として、時間は絶対にある、というような事を聞くが、そんなことは「対外的」に証明することもできなければ、何かしらの観測結果がその証拠となり得ることもない。こんなことを言

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なぜ、人をいじめてはいけないのか

なぜ、人をいじめてはいけないのか、いじめがいけない理由について、その根本理由を考察する。善悪に関することについて触れる場合、社会的な議論の上では、即時的に「悪」「排除すべきもの」という前提が、議論されることなく置かれ、また、「いじめ」などは「悪であること」と、当然のこととして、それに関する社会学的考察、自分たちが取るべき立場が定められる。 もっとも致命的な欠陥は民主主義というシステムである。「多数決」というものは一切信用できるようなものではなく、また、「気分だけ」で意見していることすら気づかせないというトリックまで

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ニヒリズム

「○○さん!そこの場面、ニヒルな感じの笑いでお願いね!」と、売れていない劇団の劇中などで安易に使われますが、このニヒリズム(虚無主義)というものについて考えてみましょう。 ニヒリズム(虚無主義)についてですが、この哲学上の立場としては、「すべての物事・現象には価値がない」としますが、この場合の無価値の「無」は有の対義語ではないかもしれず、消極的ニヒリズムを超えた積極的ニヒリズムとして「価値を作り出す」ということは、ニヒリズムの根底にある「無価値」とは矛盾します。 虚無主義と呼ばれますが、ぱっと検索しても全く的を得て

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唯物論者

かつて読んだ本に「生理学者の99%は唯物論者です」という一文がありました。 まずイラッとするのは「生理学者のような頭のいい人がみんな言ってるんだから唯物論が正しいよね」という誘導の傾向が見られることですが、そんなことは本題ではありません。 たとえ、生理的機能が物理的に観測可能であっても、「全部、物質の作用にしか過ぎない」と帰結できる安易さが問題です。 唯物論とは 唯物論とは全てを物として捉え、物理的な現象として捉えるということですが、客観的な物質の状態や現象で全てが説明できるという感じの考え方です。 全てを物質の状

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哲学する 2014

読書の秋を感じさせる涼しい風が時折舞い込んできます。 エアコンが故障したこともあって、頭がぼーっとしている日が多かったように思いますが、それどころではありません。一切力が入りません。 特に最近使っていないものということで、最近あまり頭を使いません。使わなくても何とでもなるので、使わなくなりましたが、本を読んでお勉強の類の時に出るハイな気分を味わいたい、ということをたまに思います。しかしながら、特に読みたい本がありません。実は頂上の一点、というかすごく簡単なポイントさえ悟ってしまえば、力んでお勉強がすごく馬鹿げたもの

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あきらめるが正しい

「学ぶは『まねぶ』からで、結局マネすることです」と、かなりの頻度で引用されます。 安易にこの言葉を使う人は、「ほら、俺を真似ろよ、俺を尊敬しろよ」と数%は思っているのではないでしょうか。 よく方法論ばかり解説する人がいますが、別にそれを取り入れて体感してみるのはいいのかもしれません。 しかしながら、うまくいかないことが多いように思います。 試してみる人用にカスタマイズされた方法論でもなければ、時代、状況、対象も異なるのだから当然でしょう。 あくまで参考程度でとどめておいたほうが得策でしょう。 そこに「20万円も払っ

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「コギト エルゴ スム」と「意」

胡散臭いコンサルに「好きな言葉はなんですか?」と聞いた時に、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」が出てきました。「コギト エルゴ スム」というものです。 方法序説に出てくるものですが、本来「コギト エルゴ スム」は「私は考える、だから私はある」の方が適切な訳だとか聞きますね。 十代の頃に同じようなことを考えていたのですが、昔々にデカルトくんが言っていたようです。ちなみにコギト エルゴ スムは、単に「コギト」と言われる時もあります。 コギトエルゴスムの概要 コギトエルゴスムの概要としては、なんだか禅問答みたいですが

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パッケージプラン

世の中にはわからないことがたくさんあります。 でも、本当にわかる必要があるのか疑問に思ってしまいます。 考えることは楽しいことですが、それは思考実験だけでいいのではないでしょうか。 哲学することは、おそらく頭を使う分野では一番楽しいことだと思っています。 いまでは、こだわりをなくしましたが、以前はかなり頭が固まっていたと思います。 でも、それもプロセスなのかもしれません。 いろいろなことに迷いもがくことも、もしかしたら演出かもしれません。 どうでもいいだろう いやどうでもよくない やっぱりどうでもよかった 昔、神経

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純粋な知性

本能的なものというのは無駄がなく知性的です。 ニーチェがそんなことを言っていました。 純粋に本能的なものほど、知性を感じたりします。 「モテるために、英会話をマスターしよう」というのは、実に遠回りで音痴のような気がします。 同様に、スリムになるために食事を制限するというのも、知性的ではありません。 「今日起きたのは7時、この起きている時間で、あの時にこれだけ、さっきはこれだけ体力を消耗した、摂取した栄養素はこれこれで、なになにが不足しているが、今の所は許容値、ひとまず11時までには寝るべきだ」などとわざわざ計算せず

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矛盾とパラドクス

今回は、中学生のグレる要因である大人の矛盾について語るわけではありません。 少し学術的で、哲学的な感じです。 矛盾とはなんですか。 昔、苫米地さんが言ってましたが、情報が多過ぎることみたいですね。 一つしか当てはまらない項目に二つ入っているような状態です。 最もわかりやすいパターンは、 「男性であり女性である」と言ったパターンでしょうか。 簡単なことですが、「男性的であり、女性である」というのは、別に競合しません。 だいたい、変なこだわりを持っている人は、こういう点が変な帰結になっていたりします。 「男性的であり、

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メディアの中の人とコンビニの人

僕は違和感を大切にしています。 すごく理論化された人文科学の分野でも、結局元は感情です。 4年間ほど一応法律を勉強していましたが、結局は感情での行き場のなさが色んな条文というものを生み出していったと思っています。 僕の違和感はかなり細かいところにまで及びます。 「そんなもんどうでもいいだろう」 と、たまに言われますが、そう言う人は面白くもないし、僕にとってはそのどうでもいいことを深く考えるのが最大のエンターテイメントなのです。 固執して嫌な気分を引きずることはありません。 「娯楽としてテレビなどの代わりに本でも読ん

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