カテゴリー別アーカイブ: 第三書

曙光(ニーチェ) 第三書 曙光(ニーチェ)全記事一覧

道徳に対するドイツ人の態度

ほかならぬこの民族に満足を与えるのは、いかなる道徳であろうか?たしかにこの民族は、その心から服従癖が道徳の中で理想化されてあらわれることをまず望むであろう。「人間は、無条件的に服従することの出来る何ものかを持たなければならない。」― これがドイツ的な感覚であり、ドイツ的な首尾一貫性である。人はすべてのドイツの道徳学的の根底においてこれに出会う。 曙光 207 中腹 一部抜粋 なんだかんだで、いまだに明晰夢のようなものをよく見ます。寝る前や起きる直前も多いですが、おそらくその間であろう時間帯にもよく見ます。 つい先日

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不可能な階級

貧しく、楽しく、そして独立的!― これは一緒に可能である。貧しく、楽しく、そして奴隷!― これも可能である。― そして私は、工場奴隷制度の労働者たちにとってこれ以上よいことは言えない。 曙光 206 序 階級として有名なものはカーストです。そのカーストを紐解いてみれば、単にインド・ネパール地域に侵略してきたアーリア人が自分たちをバラモンとし、現地民をスードラとし、その混血をクシャトリヤやバイシャとしたのが始まりだとされています。 人とすらみなされないバリアという階級に関しては、おそらくそのエリアの国を構成する庶民と

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イスラエルの民族について

ヨーロッパのユダヤ人の運命の決定は、次の世紀がわれわれを招待してくれる演劇のひとつである。 曙光 205 序 一応イスラエルはユダヤ人の国です。で、エルサレムはユダヤ教徒区画とキリスト教徒とイスラム教徒区画があったりします。 日本国内ではキリスト教以外のアブラハム系の宗派について、ほとんど認識がありません。だからその共通点も相違点もあまりわからないまま、ニュースなどで雰囲気だけ伝えられ、感情的に嫌だと思っているというのが本当のところでしょう。 しかしながら、国際的な敵対などを考えたときでも、常に国家という単位ではな

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ダナエーと黄金の神

それとは反対の傾向の方を一層よく説明しそうな状況にありながら、現在人々を犯罪者たらしめるこの極端な焦燥感は、どこから来るのか?なにしろ、この人は不正な秤を使用する。あの人は、高額な保険をつけたあとで、自分の家に放火する。 曙光 204 序盤 曙光の注釈によるとダナエーは、ギリシア神話の中のアルゴスの王アクリシオスの娘ということのようです。 ということで、そのあたりについては知らないので、黄金の神的なところから始めていきましょう。 資本主義について「洗脳だ」というようなことをたまに言っていますが、おそらくほとんどの人

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悪い食事に反対

悪い食事に反対ということで、腹の健康などについて書いていこうと思います。 個人的には白米が大好きなのですが、どうしても白米の代替物として小麦製品を食べる機会が続くと腹の中にグリップがかかり、腹の具合がおかしくなります。 人生で最も辛い瞬間は懺悔タイムこと腹痛のときであり、その時の苦しさに比べれば他のものは大したことがないと思っています。 といいながら、素晴らしいことにこの数年間はほとんど腹痛にみまわれたことがありません。 懺悔を呼び起こす下痢や便秘の苦痛 人生で一番辛い瞬間は、腹痛の時だと今でも思っています。 止ま

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健康保護のために

犯罪者の生理学を考察し始めるや否や、犯罪者と精神病者の間には本質的な区別がない、という避けがたい洞察の前にすでに立つことになる。 曙光 202 序 思考によって生じた嫌な感情、抑圧されたエネルギーが吐出口を求める時、その人の気質が外向的であれば暴力的に、犯罪の方に走り、内向的であれば自傷行為に走る傾向にあります。 そう考えると、犯罪者も精神病患者も元のエネルギーの質としては同じようなものを抱えているという感じになります。 うつ病などにしても、それが一瞬で治ることがあるケースにおいては、一般にイメージされているような

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貴族の将来

高貴な人々の挙動は、彼らの身体の中で、絶えず力の意識が魅力的な演劇を演じていることの表現である。そこで、貴族的な風習の人間は、男性であれ女性であれ、さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌いである。 曙光 201 序 先日の投稿「貧困に耐える」で触れた貧乏マインドの反対にあるのがこうした貴族的な風習です。「さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌い」という感じです。 まあまた新約聖書マタイ6章的ですね。引用しておきましょう。 断食を人に見せようとする偽善者 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つ

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貧困に耐える

貴族の素姓の大きな美点は、その素姓が貧困をよりよく耐えさせることである。 曙光 200 貧困と貧乏マインドは相関関係どころか因果関係ですらあります。 寄付をすると金持ちになる、というようなことが囁かれる場合がありますが、問題はその行動ではなく、その行動時のマインドにあります。 実際の行為行動よりもその時の精神状態の方が重要です。 貧乏マインド その理屈は非常に簡単で、貧乏マインドなら「惜しい」と思い、「数限りあるお金が減っていく」ということや「その分を稼ぐにはまたあれほどの辛い思いをしなければならない」というような

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われわれの方が高貴である

忠実と、寛容と、名声への羞恥心。この三つがひとつの心情に合一すると― われわれはそれを、貴族的、高貴、高潔と呼び、これによってギリシア人を凌ぐ。 曙光 199 序 「高貴」という字を見ると、どうしても10代の頃にオールディーズライブハウスで見かけた「軽快にステップを踏む髭のおっさん」を思い出してしまいます。 「こうしたものの嗜みもあるぞ」という感じで得意げです。高そうなスーツに口髭、「ステキですね」の一言を欲して仕方ないという感じでしょう。 そう言えばその頃くらいに、メディアが「セレブ」という言葉を浸透させようと躍

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序列をその国民に与える

多くの偉大な内面的な経験を持ち、精神的な眼でそれを見つめ、見渡すこと― これが文化人たちを作り出す。彼らがその国民に序列を与えるのである。フランスとイタリアでは、貴族がこれを行なった。貴族がこれまで一般に精神の貧困者に属していた(おそらくもはや長いことではあるまいが)ドイツでは、司祭や、教師や、彼らの子孫がこれを行なった。 曙光 198 少し昔までの日本では、「わかりやすい普通」が作られていました。エコノミックアニマルと呼ばれたりして、愛社精神を持ち、ひとまずがむしゃらに働く人が賞賛されていました。モーレツ社員とい

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啓蒙主義に対するドイツ人の敵意

過去のものの完全な、また最も究極的な認識という外見のもとに、認識を一般に感情の下に押さえつけること、そして― 自分自身の課題をそのように規定したカントの言葉を借りていうと― 「知識にその限界を示すことによって、信仰に再び道をひらいた」ことは、決して少なからぬ一般的な危険であった、ということである。われわれは再び戸外の大気を呼吸しよう。この危険の時は過ぎ去った! 曙光 197 中腹 啓蒙主義(けいもうしゅぎ)は、封建・地主思想やキリスト教を前提とした思考方法、世界観を批判し、なるべく純化された理性による人間性の解放を

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最も個人的な真理問題

「私がしていることは、そもそも何であるのか?ほかならぬ私は、それで何を望むのか?」― これは、われわれの現在の教養の在り方では、教えられず、したがって問われない真理問題である。 曙光 196 序 「私がしていることは、そもそも何であるのか?ほかならぬ私は、それで何を望むのか?」そんなことを中学生くらいにもなればほとんどの誰しもが思うはずですが、誰もその疑問に答えてはくれず、その先自分をごまかすように大人になっていきます。 「これが答えだ」と束の間の錯覚を覚えることもありますが、寝て覚めればそれもなんだか色褪せ、また

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いわゆる古典教育

われわれはあの詩を、しばしば感動して真に受ける。 「運命よ、お前に従おう! 心のすすまぬときも、そうしなければならぬわたし 吐く息も悲し!」 曙光 195 序盤抜粋 どうしても何となく調子が悪い時があります。そうした時には「風の流れが変わるのを待つ」ということをした方が賢明です。 風向きが悪い時に踏ん張り続けるとロクなことがありません。 しかしながら「待つ」というときにもやることはあります。 それは、ひたすら気を落ち着かせることです。 一ミリでも気分が良い方向に向かうように舵だけは切らねばならないのです。 仕事の時

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道徳教師の虚栄心

道徳教師が全体として成功することが少ないのは、彼らがあまりにも多くのものを同時に望んだこと、すなわち、野心に燃えすぎていたことで説明される。彼らはあまりにも快く、万人に対する処方箋を与えようとした。 曙光 194 序 万人がこぞって理解できるような道徳というものはなかなかありません。道徳が倫理的なものであり、社会の中の関係性を示すようなものだからというのがその最たる理由でしょう。 ともすれば、全体に適用するのか個に適用するのかというような尺度を元に、功利的・数量的に全体を包括しているもののほうが優れているというよう

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エスプリと道徳

精神や、知識や、心情を備えていながら退屈であるという秘密に通じ、退屈を道徳的なものと感じることに馴れているドイツ人は、― フランスのエスプリに対して、それは道徳の眼をえぐり抜きはしないか、という不安を抱く。 曙光 193 エスプリ(esprit)は精神というような意味ですが、フランス語のためフランス的な精神という感じで使われます。まあ日本で言う「大和魂」「島国根性」といった感じで捉えても問題ないでしょう。 フランスについてもフランス語についても特に関心がなくほとんど知らないので、エスプリについては特に触れることがあ

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申し分のない相手を望む

申し分のない相手を望むということで、「理想の相手」について触れていきましょう。「本当に理想的なパートナー」というものを思い浮かべる時、どんな人を思い浮かべるでしょうか? 思う存分わがままに設定したとして、もう一度その設定を振り返ってみてください。 おそらく、どこかしら抵抗があるのではないでしょうか? 例えば、相手は金持ちの方がいいということを思っていた場合でも、気持ちの奥底では「金持ちの家の風習についていけないかもしれない」とか「不動産収入があるのはいいけど、何だかんだで自分のために外で頑張ってくれている姿を見たい

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よりよい人間たち!

社会をより良くしていこうとするのはいいのですが、たいていの場合弱者にばかり合わせる形で玄人を制限し、あげく「選べない」という形で辟易させ、結果社会の加速を制限していることにそろそろ気付きましょう。 すごくわかりやすいのはガスコンロでしょうか。 「天ぷらを揚げている途中に電話がかかってきて長電話になり、天ぷら油から火災が発生」 という事が多すぎて、強火のままでいきたいのに「カチッ」と勝手に弱火になり、調理の流れが制限されるということが起こっています。 またそのセンサー的出っ張りのせいで軽めの鍋が傾くということがよく起

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かつてのドイツ人的な教養

あのドイツ人的な教養はヨーロッパ人を馬鹿にしたということ、またそれはそうした関心に、それどころかそのように模倣したり張り合って自分のものにしたりすることに値しなかったということは、否定することができない。まあ今日、シラーや、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、シュライエルマッハー、ヘーゲル、シェリングなどを捜すがよい。 曙光 190 中腹 「シラーや、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、シュライエルマッハー、ヘーゲル、シェリングなどを捜すがよい」 … 「誰?」 という感じの感想を持つ人が大半のはずです。 ということで、

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大政策について

国民同様に個々人の利益と虚栄心が、どれだけ多くの大政策に協力しようとも、それを前進させる最も力強い流れは、力の感情の欲求である。 曙光 189 序 政策なんかをみていると、何かをやればポンコツでスベりつつ、結局一部の人達を制限しているばかりのような気がします。 特に最近の京都なんかは、対外的な見栄ばかりのような気がします。 まあ政策云々というよりも社会の流れが、毎度のごとく「意識しすぎて若干ズレている」という感じです。 弱者とされる人達や外国人にばかり合わせ、そうした人たちを意識しすぎてやることなすことが「若干ズレ

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陶酔と養育

民衆というものはひどく欺かれる。彼らはいつも欺く者を、つまりその感覚を興奮させる酒を求めるからである。彼らは、それを手に入れさえすれば、粗悪なパンで十分満足する。彼らには、食物よりも陶酔の方が価値がある。 曙光 188 序 まあ有名な3S政策などなど、人を陶酔させることで、関心を逸らすということは大昔から社会の中で行われています。 なんだかんだで、大半のケースにおいて感情や感覚の興奮には勝てません。 ギャンブルもそのひとつですし、酒もそのひとつです。しかしながら最たるものは、性的な興味でしょう。 ストレートに性につ

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考えうる将来から

すごく単純なことなのですが、「夢と責任」などで、安易に夢を聞くこと自体が夢を潰している可能性があるということについて触れたことがあります。 幼い時、若いときの少ない情報量でカテゴライズされた中から一つを選ばせるということは、視野を狭め、その他の可能性を排除することになりかねないからです。 そんな時期に「将来の夢は何?」と聞くことは、様々な分野、可能性への興味関心を奪ってしまう可能性があります。 さて、僕が小学校低学年の頃は、インターネット自体が存在していませんでした。おそらく一応存在はしていましたが、まだまだ軍事利

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実務家

諸君の実務― それは諸君の最大の偏見である。それは、諸君の現場や、社会や、傾向に、諸君を結びつける。 曙光 186 前半 人にもよりますが、中高生の時は、つまらなさそうな大人を見て、そして、大学に進んだりすると、理論と実務との乖離に頭を悩ませる事があります。 だいたい学校で学んだことや資格取得の際に学んだことだけでは実務レベルで全然通用しないという感じになっていますし、学んだようなことと実務上の取り扱いとがあまりにかけ離れていると頭が混乱し、時に怒りが生じることもあります。 例えば、法律を勉強して理屈を学ぶという感

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乞食

乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから。 曙光 185 まあこの物乞いに関するニーチェのアフォリズムは、結構有名だったりしますね。この「乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから」は、事あるごとにニーチェの代表的な格言として出てきます。若干の日本語訳違いがあったとしても、結構目に触れた方も多いのではないでしょうか? といっても、禁止しようにもできないですからね。こうした問題は、社会福祉として国家がなんとかしていくしかありません。 実際に貧困

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無政府主義者の産物としての国家

馴らしつけられた人々の国には、依然として馴らしつけられない残余の人々が存外いるものである。 曙光 184 序 「無政府主義者の産物としての国家」ということで、無政府主義(アナキズム、Anarchism)について書いてもいいのですが、政府が正しいわけでも無政府主義が正しいわけでもないというようなことについて触れていきましょう。マジョリティだからと言って正しいわけでもなく、逆にマイノリティだからといって正しいというわけでもないという点です。 たまに言っていることがありますが、世の中の普通が正しいわけでもなく、常識が正し

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老いも若きも

老いも若きも。 楽しめるのが文化系。 ということでプレシジョンベースについてでも書いていきます。 わがパートナー Fender プレシジョンベース 一応初代のベースは、英会話の先生のお兄さんからのお下がりで、今ではお蔵入りですが、その後中3から使っている二代目プレシジョンベースをいまだにずっと使っています。 三代目のジャズベもあるのですが、やはり本質的なところでは自分のプレシジョンベース以外のベースを受け付けないようです。 なんせ中3からですから既に18年以上の付き合いになります。 新品を手にし、十代の頃からの汗が

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