カテゴリー別アーカイブ: 曙光(ニーチェ)

曙光(ニーチェ)

曙光(ニーチェ)

ちくま学芸文庫より出版されているニーチェ全集7「曙光」の各節題目表よりタイトルを拝借し進めてきました特別企画「曙光(ニーチェ)」がついに全て完了しました。 本シリーズは575項目ありますので、投稿数はすごい量になっています。ということで一覧ページを設けておきます。 曙光 第一書 曙光 第二書 曙光 第三書 曙光 第四書 曙光 第五書 「曙光(しょこう)」とは、夜明けに差してくる太陽の光を意味します。暗い夜から一筋の強烈な光が差し込んでくる時のイメージです。ということで、ちくま学芸文庫の曙光の訳者である茅野良男氏によ

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われわれ精神の飛行する者!

しかしそこから、それらの前には巨大な自由がもはや全くないとか、それらはわれわれが飛ぶことの出来る限り飛んだとか、推論することがだれに許されようか!われわれの偉大な師や先駆者たちもすべて最後には立ち止まった。そして疲労で立ち止まるのは、極めて高貴な身振りでも優美な身振りでもない。私も君もそういう成り行きになるだろう!しかしそれは私にとっても君にとっても何の関係があるだろうか!他の鳥がさらに遠く飛ぶだろう! 曙光 575 一部抜粋 この「われわれ精神の飛行する者!」でニーチェの曙光シリーズ最後の投稿になります。 それで

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他人を喜ばせる

人を喜ばせることはなぜすべての喜びにまさるのか?― われわれはそれによって自分自身の五十もの衝動を一度に喜ばせるからである。ひとつひとつのものは極めて小さな喜びであるかもしれない。しかし、もしわれわれがそれらすべてをひとつの手の中に入れるなら、これまでかつてなかったほどわれわれの手は一杯になる。― そして心も同様である!― 曙光 422 人を喜ばせる最たるものは、自分が喜ぶことです。 人が喜んだところを見て喜ぶのが正しいのであれば、他人のそうした行動を受け入れて、その人の行動の正しさを示すことも逆説的に「人を喜ばせ

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道徳に対するドイツ人の態度

ほかならぬこの民族に満足を与えるのは、いかなる道徳であろうか?たしかにこの民族は、その心から服従癖が道徳の中で理想化されてあらわれることをまず望むであろう。「人間は、無条件的に服従することの出来る何ものかを持たなければならない。」― これがドイツ的な感覚であり、ドイツ的な首尾一貫性である。人はすべてのドイツの道徳学的の根底においてこれに出会う。 曙光 207 中腹 一部抜粋 なんだかんだで、いまだに明晰夢のようなものをよく見ます。寝る前や起きる直前も多いですが、おそらくその間であろう時間帯にもよく見ます。 つい先日

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「この印において汝は勝つであろう。」

その他の点でヨーロッパがどれほど進んでいようとも、宗教的な事物については、ヨーロッパは古代のバラモンの素朴な囚われない心にまだ到達していない。 ― さしあたりわれわれは、インドで、思索者の民族の間で、すでに数千年以上前に思索の命令として実行されたものを、ヨーロッパが取り戻すように気をつけよう! 曙光 96 一部抜粋 ニーチェによる「曙光」一書の締めくくりは、インドにおけるバラモン、そしてブッダの記述が見られ、ヨーロッパにおける心に関する考え方自体への警鈴が示されています。 さて、「この印において汝は勝つであろう。」

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忘れるな!

われわれが高く上昇すればするだけ、飛ぶことの出来ない人々にとっては、一層われわれが小さく見える。 曙光 574 世間の人は客観的データによって人や物を相対的に判断しています。だからこそ広告物などにおいて、データや権威が役立つのです。 何の肩書も持たない人が、何かを話し出すよりも、大学教授という肩書を持った人が話すほうが耳を傾けられ、信憑性が高いという風に判断されるという感じです。 それはひとつの偏見であり、人を盲目にしてしまうものですが、膨大な量の情報が浴びせられる中、日常そうした枠組みを元に情報を取捨選択している

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遠くへの展望

よく定義されているように、他人のために、しかも他人のためにのみなされる行為だけが道徳的であるとすれば、道徳的な行為というものは存在しない! 曙光 148 序 人生設計やキャリアビジョンというような概念がありますが、そうしたものが語られていると知った時、なぜそうした狭い枠組みの中で夢を見させるのだろうというようなことを思いました。 以前、子供に将来の夢を聞くことは、ほとんどの場合その人の潜在可能性を潰すというようなことを書いたことがあります。 日々使い古される人々 現状知っている中の具体的にカテゴライズされたような対

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他人を通して

他人を通してちらちら光る以外には、見られることを全く望まない人間がいる。そしてこれには深い思慮がある。 曙光 421 他人を通して自らを高めようとすること、それほど醜いものはありません。 例えば、学校か何かで一番の成績を取った人が「僕が、僕が、僕が、一番なんだ!僕が一番なんだ!僕ってすごいよね?みんな僕をもっと褒めてよ!」と連呼している人がいたとすれば、その姿は美しく見えるでしょうか? 「ひとりでやっておけ」 そんなことを思うのではないでしょうか? しかしそれと同じようなことをしている人は多くいます。 先の例ほど露

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最終的な反駁としての歴史的反駁

昔、人々は、神が存在しないことを証明することを求めた。 曙光 95 序 西洋的な方法論は、論理的な証明をやたらとしたがりますが、最終的に行き着いたポイントをよくよく見渡してみると、世界各国の土着の伝承、民話に隠されたメタファーと同じだった、というようなことがよくあります。 アメリカなどの最新研究の成果としてよく騒がれているような、哲学的な分野や認知科学の分野の方法を見ても、「そんなことは数千年前から既に説かれている」というようなものが多くあります。ただ、その頃の説明は、隠喩的でわかりにくかったというだけで、「何をい

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不可能な階級

貧しく、楽しく、そして独立的!― これは一緒に可能である。貧しく、楽しく、そして奴隷!― これも可能である。― そして私は、工場奴隷制度の労働者たちにとってこれ以上よいことは言えない。 曙光 206 序 階級として有名なものはカーストです。そのカーストを紐解いてみれば、単にインド・ネパール地域に侵略してきたアーリア人が自分たちをバラモンとし、現地民をスードラとし、その混血をクシャトリヤやバイシャとしたのが始まりだとされています。 人とすらみなされないバリアという階級に関しては、おそらくそのエリアの国を構成する庶民と

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不機嫌な人々の治療法

すでにパウロは、罪に対する神の深い不機嫌が取り消されるためには犠牲が必要である、という考えであった。それ以来キリスト教徒たちは、自分自身に対するその不快を、ある犠牲にむけて洩らすことをやめなかった。― それが「世界」であろうと「歴史」であろうと、「理性」であろうと、喜びであろうと、他の人々の安穏な平和であろうと― 何らかのよいものが彼らの罪のために死ななければならない(姿においてだけであっても)! 曙光 94 不機嫌な人々を見ると、その不機嫌をなんとかしてあげようと思ったりして、その不機嫌さに同調してしまうというこ

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脱皮する

脱皮することの出来ない蛇は破滅する。その意見を変えることが妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることを止める。 曙光 573 「脱皮する」ということで、人の成長について書いていきます。 十代の頃は、小学生から中学生、その先は人によりますが、高校生や大学生などになったり、働きだしたりと、その度に何となく違った世界が広がっていって成長しているような感じになります。 人間で言う脱皮という表現に当てはまるのが、世界の見え方です。 大きく成長というか脱皮する感覚になる時は、概ね自分の周りの環境が大幅に変化し

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生贄の狡猾

身を捧げたある人から欺かれようと思い、そうであってほしいとわれわれが望む通りの姿をわれわれに見せざるを得ないような機会を彼に与えるのは、悲しい狡猾というものである。 曙光 420 犯罪者や自殺者などは、現代における生贄のようなフシがあります。 ある人が見栄のため欲のためにしたことが誰かを傷つけ、その傷ついた誰かは怒りのためにまた誰かを傷つけ、そうしているうちにある人は理性の限界を超え、犯罪や自殺というようなことにたどり着くのだと思っています。 Mr.脳筋こと孔子は、倒れている人を見た時に「これは政治が悪いなぁ」とい

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「利他主義」の原因

人間は一般に、愛を少ししか手に入れたことがなく、この食物を飽きるほど食べることができなかったので、愛を極めて強調し、偶像化して語ってきた。 曙光 147 序 「利他主義」の原因ということですが、利他主義はもちろん利己主義の対義語としての概念を持っています。利他主義とは、自分のことよりも他者の利益のことを考えるというような主義になりますが、本質的には別に自分を蔑ろにしてまで利他的であれというわけではないと思います。 しかし極端な利他主義となると、自己犠牲の上でも他人に尽くそうというような歪んだ思想になる恐れがあります

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イスラエルの民族について

ヨーロッパのユダヤ人の運命の決定は、次の世紀がわれわれを招待してくれる演劇のひとつである。 曙光 205 序 一応イスラエルはユダヤ人の国です。で、エルサレムはユダヤ教徒区画とキリスト教徒とイスラム教徒区画があったりします。 日本国内ではキリスト教以外のアブラハム系の宗派について、ほとんど認識がありません。だからその共通点も相違点もあまりわからないまま、ニュースなどで雰囲気だけ伝えられ、感情的に嫌だと思っているというのが本当のところでしょう。 しかしながら、国際的な敵対などを考えたときでも、常に国家という単位ではな

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真理とは何か?

神がまさしく真理でないとしたら、そしてまさしくこのことが証明されたとしたら、どうだろう?神が人間の虚栄心であり、権力欲であり、短気であり、恐怖であり、喜びと驚きの妄想であるとしたら、どうだろう? 曙光 93 後半 「真理とは何か?」 といきなり胡散臭いカルトのようなタイトルですが、特別企画なので仕方ありません。 カルトもよく真理という言葉を使いますが、「教祖に財産をお布施しないと地獄に落ちる」等々、それは真理ではありません。 しかしながら、そんな変な宗教や宗教まがいの自己啓発セミナーなどにハマってしまう人たちがいま

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ダナエーと黄金の神

それとは反対の傾向の方を一層よく説明しそうな状況にありながら、現在人々を犯罪者たらしめるこの極端な焦燥感は、どこから来るのか?なにしろ、この人は不正な秤を使用する。あの人は、高額な保険をつけたあとで、自分の家に放火する。 曙光 204 序盤 曙光の注釈によるとダナエーは、ギリシア神話の中のアルゴスの王アクリシオスの娘ということのようです。 ということで、そのあたりについては知らないので、黄金の神的なところから始めていきましょう。 資本主義について「洗脳だ」というようなことをたまに言っていますが、おそらくほとんどの人

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われわれは人生に安心を望む

思索家のように、通常は思想と感情との大きな流れの中で生き、夜の夢すらもこの流れを下って行くのなら、われわれは人生に安心と静けさとを望んでいるのである。― 他の人々は、彼らが省察に身を任せるとき、まさに人生から離れて休息したいと思っているのに。 曙光 572 安心と安全こそが、人生の最大のテーマであったりします。安心とはもちろん不安がない状態のことを意味します。 普通はそれを思考上で解決しようとしますが、思考上で考える安心や安全は、本当の意味での安心や安全を叶えてはくれません。 なぜでしょうか? 頭の中でいかに考えよ

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隣人をもこえて

何だって?真に道徳的なものの本質は、われわれの行為が他人に及ぼす身近で最も直接的な結果を注目し、それに従って決心することにあるというのか?これは狭い小市民的な道徳であるにすぎない。 曙光 146 序 いちばん身近な「隣人」は、家族ということになりそうですが、世の中では家族がいない人もいるので、隣人とは常に接するような身近な人という感じになりましょうか。 僕は昔から実際の家族が一番大事だということを思ったことがありません。 それが何故だったのかはわかりませんが、あまり家族というものに執着自体が無かったのでしょう。 と

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党派の中の勇気

あわれな羊たちはその隊長に言う。「とにかく先に立って行ってくれ。そうすればわれわれは君について行く勇気を決して無くさないであろう。」あわれな隊長はしかし心の中で考える。「とにかく私の後をついて来てくれ。そうすれば私は諸君を導く勇気を決して無くさないであろう。」 曙光 419 「会社組織の中で」などなど、ある組織の内側にいる間は、その組織の内側で勇気を振り絞り、様々な知恵を巡らせ、何とかその組織を変えようとしたりすることがあります。 概ね創立から時間の経った組織はどこでも内側は腐っていたりします。仮止めの仮止めが常識

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魂の野戦薬局

一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。 曙光 571 一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。と、すごくシンプルでわかりやすいですね。 あれこれうじうじ言っていた人も、勝利のようなことが起こるとそれまでの陰鬱が全て吹き飛んで、周りを辟易させていたことなどすぐに忘れたりします。 「勝利」により陰鬱が全て吹き飛ぶ 借金体質の人の勝利、それはお金を借りれた瞬間です。 フラれた人の勝利、それは新しい出会いです。 就活難民の勝利、それは内定です。 そのような瞬間にそれまでの陰鬱が全て吹き飛びます。 しかしながらその程度と言っては何です

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「利己的でない!」

あの人は空虚であって充実することを望んでいる。この人は満ちあふれていて空になることを望んでいる。― 双方とも、そのため彼らの役に立つ個人を求めるように駆り立てられている。そしてこの過程は最高の意味で理解されたとき、どちらの場合も、愛、という一語で呼ばれる。― 何だって?愛は利己的でないものであろうか? 曙光 145 利他精神を賞賛しようが、どこまでいっても利己的でありつつ、利己的であることを突き詰めると利他的にもたどり着く、というのが本当のところです。 「利己的でない」ということは、通常の対義概念で考えると利他的で

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誠実な遊戯

多くの者は誠実である。― 感覚を佯ることが嫌いだからではなく、その佯りに信用を得させることがうまくゆかないであろうからである。要するに、彼は俳優としての自分の才能を信用しないで、誠実を、「誠実な遊戯」を好むのである。 曙光 418 「佯る」は「いつわる」と読みます。字義的には「偽る」と変わりありませんが、もしかすると何かのニュアンスの違いがあるのかもしれません。訳者の意図するところは知りませんが、一応「出会い」を無駄に「出逢い」と書きたがるような感じで使用されているのではないと思っておきます。 さて、誠実な遊戯です

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キリスト教の臨終の床で

真に活動的な人間は、現在内面的にキリスト教を持っていない。そして一層穏健で、一層観想的な、精神的には中流階級の人間は、整頓されたキリスト教、つまり驚くほど単純化されたキリスト教をかろうじて持つにすぎない。 曙光 92 序 確かニーチェは、本来のキリスト教徒らしいキリスト教徒はイエス・キリストだけであるというようなことをどこかで書いていました。 イエス・キリストを離れたキリスト教は、歪んで歪みつつ資本主義という形で現代にも残っています。ウェーバーのプロ倫なんかでプロテスタンティズムと資本主義の関連性が書かれています(

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悪い食事に反対

悪い食事に反対ということで、腹の健康などについて書いていこうと思います。 個人的には白米が大好きなのですが、どうしても白米の代替物として小麦製品を食べる機会が続くと腹の中にグリップがかかり、腹の具合がおかしくなります。 人生で最も辛い瞬間は懺悔タイムこと腹痛のときであり、その時の苦しさに比べれば他のものは大したことがないと思っています。 といいながら、素晴らしいことにこの数年間はほとんど腹痛にみまわれたことがありません。 懺悔を呼び起こす下痢や便秘の苦痛 人生で一番辛い瞬間は、腹痛の時だと今でも思っています。 止ま

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