カテゴリー別アーカイブ: 曙光(ニーチェ)

曙光(ニーチェ)

仕事と信仰

依然として新教徒の教師たちによって、一切はただ信仰次第であり、仕事は信仰から必然的に出てくるはずであるというあの根本的な誤謬が植え付けられている。 曙光 22 仕事と信仰ということで、信念として持っていることや信仰として持っていること、そして話していることなどと仕事内容に矛盾があるケースについて思うことがありますので、そんな感じで書いていきます。 行動との矛盾 昔からよく思うことがあります。仏教でもなんでもいいのですが、その教義を説くわりに、「それならばこの人はどうやって糧を得ているんだろう」と思うことがあります。

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法の履行

本来的に罰則規定のない努力義務規定というものは、民事的な賠償問題に発展した時に加味されるようなもので、特に「白い靴下しか履いてはいけない」というような義務教育の「校則」というものは、何の拘束力もないようなことです。 一応相談室に呼び出して、拘束し、指導することが「正当」になる根拠として置かれていますが、その「校則」自体の正当性はどこにもありません。 私立の学校なら、私立の学校法人が教育というサービスを提供するにあたり、その利用規約として定めている、というようなこともまかり通りますが、公立の中学校などではそれは理屈が

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自由行為家と自由思想家

肩書きに「自由人」というふうに書く人は、あまり好感が持てません。そんなことは他人に主張するようなことではないからです。 あくまで相対的に見て、「サラリーマンのように社畜にはなってないぞ」というような比較から生まれる思想ですが、寒くなったら服を着なければ寒く感じて苦しい、そしてそのままだと凍えて死んでしまう、ということは体にある程度の自由は奪われているはずです。 100%オリジナル たまに「自由表現者」というような事を主張するような自称アーティストがいますが、本気の自由とは、少し違うような気がします。 たとえば自分が

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倫理と愚化

風習とは、利益になるあるいは害になると思われるものについての、昔の人間の経験を代表する。 ― しかし風習のための感情(倫理)は、ある経験そのものに関係しないで、風習の古さ、神聖さ、明白さに関係する。そしてこれによってその感情は、人が新しい経験を重ね、風習を修正することに反対の働きをする。 ― 倫理は人を愚化する。 曙光 19 株式会社は利潤の追求を目指しますが、利潤が最大化するように働かせるために組織化し、階層化したりします。 その組織化・階層化の最大の目的はあちらこちらで個性を出されるより、ある安定的な手法、明確

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自発的な意志による苦悩の道徳

友人が自発的に「新興宗教に入った」と告白してきたことがあります。 実はそれは後に告白されたというより、その宗教団体に属しているということを先に知ってから、友達になったのですが、僕はご周知の通り宗教には絡んでいません。宗教ではないというような団体にも属していません。 何かの団体に入ったり、団体を形成して群れたいと思いません。そういうことはライングループで盛り上がって「絆」が大好きな人がやることだと思っています。 ただ、宗教に絡んでいるからといって、すぐさま拒絶することはありません。宗教関連の話題以外なら特に問題ないわ

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よい自然と悪い自然

自然か人混みかの二択なら、断然自然によく行きますが、三流のコンサルですら何かの本で読んで知っているように、自然を見て「いいなぁ」と思える原因としては、「視界が開ける」ということが一つのポイントになります。 これを何処かでサービスとして味わおうとすると、ただ単に視界が開ける、ということを味わうがために料金は数倍になったりしますが、それでも需要があるということは、それだけ不自然な状態の中にいつもいるということでしょうか。 空間の認識として 自然の中で、どこまでも視界が開けているように見えても最後は霞んでたいてい白みたい

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文明の最初の命題

野蛮な民族にあっては、― 一種の風習がある。 綿密すぎる、そして根本において余計な規定がある。 余計な規定はこの世の中にたくさんあります。 「それがみんなのためになる」とか、「地球温暖化防止のため」など、なんでも理由をつければ相手は従うだろう、というようなもので、自分の都合だということは隠しながらそれが文明だと主張し、相手への服従の強制とは表立っては言いません。 この風習、文明、そして余計な規定を作る側も問題ですが、それよりも問題なのは、そういうものの後押しがあると、ここぞとばかりに強気になるようなB層です。 規定

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最も古い慰めの手段

人が慰めを欲する時は、自尊心が欠落した時です。自尊心の欠落は本能的恐怖心が社会的フィルターにかけられた時に顔を出してきます。 世の中には、自尊心の欠落を食い止める、もしくはその充足に関する提言で溢れていますが、自尊心自体が虚像であり、それに関する解明解決策は、アイツの内で踊っているだけです。 気質によって「欲」と出たり「怒り」と出たり 自尊心が欠落し、慰めが必要だと感じたとき、欲と怒りのうち、欲が強い人は他人に憐れみを乞い、怒りの強い人は、他人に罵声を浴びせたりします。 欲と怒りは、同じような性質を持ちつつも、ある

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道徳の歴史における狂気の意義

狂気という言葉は、「みんながやっていないことをやっている」という意味で、常識はずれの範疇にあります。 その常識はずれの中でも自分に害がありそうなものは狂気になり、自分の利益になりそうというようなことは偉業などと言われたりします。 無害というかほとんど自分とは関係なさそうならば、印象は「変な人」くらいのものです。 「危害がない」と「正気」は関連しない 道徳というものに採用される時に、根拠はよくわからないものの「まあいいか、特に悪いことではない」というようなことが基準になります。 そしてその道徳にかなっていればそれでよ

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人類の新しい教育のために

たまに掲示板みたいなところに標語が貼ってあったりします。 標語を集めて意識を高めようというのは義務教育と公務員の発想ですが、実際に選考に関わる審査員はやっぱりギムキョなので、何が問題かということに気づいていないことがよくあります。 たとえばこのような標語ですが、まず「君なんだ」ということで、どうして他力本願なのか、という疑問が残ります。 つまり、「あなたはしないんですね」というようなツッコミが入ることを想定していません。 逆に「僕なんだ」とか「私なんだ」、とか言うのも、他力本願ではないものの、少し傲慢なような気がし

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付加物としての結果

昔、人々は、行為の結果ではなくて、自由な付加物―つまり神の付加物であると信じた。これよりも大きな混乱が考えうるであろうか! 曙光 第一書 12 行為の結果ではなくて、それが「もたらされた」というような勘違いですが、どうしてそのようになるかというと、アイツにはその因果関係が理解不能だからです。 それよりも少し小さい混乱としては義務教育の混乱があります。 「みんなで頑張ったんだから成功したんだ」というようなものです。 絶対にない「失敗」 どうせ文化祭などは、まず準備の段階で「成功させよう」と掲げられ、それがかなり寒いよ

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民間道徳と民間療法

民間道徳であっても、それが心をきれいにするようなことであれば、基本的には問題ありません。基本的には問題がないのですが、それを条件化してしまうので、最後の壁で結局逆戻りしてしまうことがあります。 たとえば、苦しんでいるような人を民間療法で苦しみを一時的に解除することはいいですが、その民間療法を条件にしてしまうとそれに捉われていきます。 占い師 占い師に「あなたは大丈夫」と言ってもらって、ひとまず騒ぐ心が落ち着くのは結構ですが、その結果感情から占い師に依存したりします。つまり占い師無しでは大丈夫ではいられなくなるという

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倫理の感覚と因果関係の感覚との相互運動

ニーチェはまさに曙光のこの項目で、核心に迫るようなことを言っています。 「必然的な作用を把握する」、つまりあるがままの因果関係だけ把握できれば、アイツの特性である、空想的な因果関係が破壊されるということについて触れています。 空想的な因果関係を観察する 「空想的な因果関係」とは先に触れたような風習によってもたらされる倫理的規定からもたらされる妄想であり、アイツの得意とする「関連思考」に無意識的な信念まで組み込まれてしまっているような状態です。 つまり、迷信のようなことです。現象は、ただそれだけの現象であるにもかかわ

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風習の倫理の概念

倫理とは、いかなる種類の風習であるにせよ、風習に対する服従より何ものでもない―。 風習とはしかし行為と評価の慣習的な方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理も全くない。 さて、風習とはいったいどのようなものでしょうか。 義務教育でも「宗教的なことはやはり憲法に違反するので、やめておこう」という思想がありますが、「これは風習であって宗教ではない」という霞ヶ関・永田町スタイルで、結局宗教的なことを風習や文化だと解釈して倫理を定義していきます。 合掌を拒否 僕は昔から合掌を拒否してきました。「いただきます」だけなら

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変容

ずっと変わらないものというものはありません。「常に変化している」と知りつつも、それを思い浮かべるとき油断していると「この街もずいぶん変わったなぁ」というような感想を持つのがせいぜいです。そういうことではなく、一瞬一瞬で捉えきれないほどのスピードで全てが変化しています。いわゆる諸行無常です。 変化を認識するために 「変化している」というのはある意味で、印象であって、時間という「軸」の解釈をする機能を持ったものがない限り、変化を認識することはできません。 世の中には「魂だけは不変である」とか言う人がいますが、その魂が不

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空間感情の学び直し

たしかなことは、最高の幸福と最低の不幸の間の空間の広さは、想像された物の助けを借りてはじめて作り出されたということである。 最高の幸福を自己啓発ウェーイは「最幸」と書きます。それだけで新興宗教のような胡散臭さが拭えません。たしかなことは、最高の幸福は、群れてウェーイすることではありません。 幸福と不幸の間に空間があって、その間には多様な感情があるというように定義されそうですが、不幸な状態というのは、引用のとおり「想像された物の助け」によって生み出されています。 教養 「教養」という言葉がありますが、一般的に教養とは

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奇術師とその反対

マジシャンの方は、複雑な因果律を単純な因果かのように見せ、学問は単純な因果律を複雑なように見せて単純な因果律を放棄させる。 ニーチェはそのようなことを言いましたが、これはアイツの特性でもあり、また単純に大学の授業のことを言っています。 単純な因果律を放棄してしまう 最もわかりやすいのが経済学かもしれません。すごく簡単なことをわざわざなんとか曲線、なになに理論、というふうに言いますからすごくわかりやすいです。 経済学を知っていたからといって、株式の取引で勝てるわけでもなし、実際に聞いた感触ですが、経済学者さんほど株で

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感謝しなさい!

どうして命令されなければならないのか、多感なティーンの頃には悶々と考えなければなりません。 感謝というものはこちらが一方的に即時的に、沸き上がってくる性質のもので、「感謝しなさい!」の一言は、感謝している素振りをしなさい、ということになってしまいます。 どれだけありがたい状況か考えてみなさい もしくは「どれだけありがたい状況か、考えてみなさい」ということですが、そんなことは「笑いなさい」で有名な瀬戸内寂聴氏のコラムにとどめておいていただきたいですね。ひとまず命令形はやめておいたほうがいいと思います。 お前が言うな

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夢想された天体不調和に反対

ニーチェは時々こういった、自称アーティストの劇団員がソーシャルネットワークでつぶやきそうなことを言います。ただ、これはタイトルであって、続きがあります。彼には彼なりの考えがあったので、今回は引用します。 夢想された天体不調和に反対。―われわれは多くの誤った雄大さを再び抹殺しなければならない。それはあらゆる物がわれわれに要求する正しさに反対するからである!そこでこのためには世界を事実以上に不調和に見ないようにすることが重要なのだ! 曙光 4 戯言の領域を離れませんか、ということですが、肝心なのは「見ないようにする」と

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物には時がある

物が物として存在するためには時間が必要になります。 すごく簡単な話で、認識するためには時間が必要だからです。認識がなければ物は存在していようが、存在していないのと同じです。五感のうちのいずれかに認識されなければ、無いのと同じです。そしてほんのわずかでも認識には時間が必要になります。ストップウォッチでは測れないほどの時間かもしれませんが、時間が必要になります。もし時間という解釈がなければ、五感は働きようがありません。時間の解釈は一応意識が行っています。つまりアイツの領域です。 時間は一種の解釈 時間は一種の解釈です。

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学者の偏見

ある研究が始まり、そのことは研究し尽くされている、ということは正しい意見ではありますが、昔より今の方がその分野への理解は進んでいるというのは全く誤謬で、さまざまな方法論的なジャンルやデータはたくさん膨らんでいったとしても、それは表現が変わっていっただけで一切進歩していない場合もあります。 さらにはそれどころか、元々は純度が高かったものが、「あるランクまでは学ぶ」ということをしていった結果、余計な不純物が混じって、結果の表現がおかしなものへと変化していくのが普通でしょう。 名言の解釈 これは、よくある「名言集」につい

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つけ加えられた合理性

事物はそれが人に観察された時に解釈が生まれ、人に観察されるにつれて、「法則性」が発見され、他人に指し示しうるものとして扱われ始めます。 今その場で起こる現象の解釈が、もし誰かから教わった「法則性」というものの影響を受けないのならば、その場で起こる感情は、純粋なものになります。 一見合理的な行動も、それによって得れうる結果についての合理性が正しくても、その結果を欲し、「行動すること自体」は合理的なのでしょうか。もしかしたら「他人につけ加えられた合理性」なのかもしれません。 「家族にもすすめられないものを他人様に売るな

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