カテゴリー別アーカイブ: 第四書

曙光(ニーチェ) 第四書 曙光(ニーチェ)全記事一覧

悪い気質の由来

多くの人間の気質の不正なところや突飛なところ、彼らのだらしなさや節制のなさなどは、その祖先が犯した無数の論理的な不正確や、不徹底、また性急な推論などの究極の結果である。 曙光 247 前半 論理的な不正確というものは、それがどう不正確なのか知るには、通常は正確な論理というものが必要になります。しかしその不正確は、論理思考の不徹底からという原因が、容易に想像されます。つまり不正確か否かは、確定はしていないものの、「不徹底であるから、確定的ではない」ということは理屈ですぐに分かります。 この方法論をもって、すぐに盲信と

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アリストテレスと結婚

偉大な天才たちの子供には狂気が、偉大な有徳の人々の子供には愚鈍が突然出て来る。― こうアリストテレスは述べている。彼はそれでもって例外的な人間たちに結婚を勧めるつもりであったのか? 曙光 246 アリストテレスの師匠の師匠「ソクラテス」の奥さん、クサンティッペさんは相当の悪妻だったようですが、ソクラテスは「良い妻を持てば幸せになれる。しかし悪い妻を持っても哲学者になれるよ」と自己啓発に洗脳されたレベルのポジティブシンキングをしていました。アリストテレスの奥さんはピュティアスさんと言うそうです。 妻子について 妻子と

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力の感情の鋭敏さ

権威にぶらさがったりしている人の取る態度は虚しいモノがあります。権威にぶらさがっていることも醜い態度ですが、権威の目から離れた瞬間に横柄になるという態度が最も冷笑の対象になります。 ある種の力が欲しいと思うことは、弱者であることを認めている、つまり弱者だと自認しているようなものです。 特に経済社会では、極めて力を欲していることがバレている人がたくさんいます。いつでも横柄も嫌われますが、謙遜と横柄という両極面を見せられた側は、一気にその人への信頼がぐらつきます。 力の魔物 本当は威張りたいのに、そこまでの実力がないか

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現実的なものを喜ぶ

評価は評価として「現実的なもの」として扱われますが、その評価からの喜びは、頭の中で「作り出しているもの」です。喜びも作り出しているのだから、苦しみも頭の中で作り出しているものです。 温泉につかるように直接心地良いというわけではありません。温泉での心地よさも、結局は体からの信号を感じているだけですから、さほど変わりありません。 しかし、どうしてわざわざ苦悩を抱えて基準を作り出し、その基準が満たされた時にだけ喜ぼうとするのでしょうか。 ただでさえ体は自分の意志とほとんど関係なく基準を設けています。その基準は生命維持とし

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二つの方向

もしわれわれが鏡それ自体の観察を企てるなら、われわれは結局鏡に映った物以外の何ものをも見出さない。もしわれわれが物を把握しようとするなら、われわれはついに鏡以外の何ものにも到達しない。― これが、認識の最も一般的な歴史である。 曙光 243 一般的な「物の把握」ならばそのような形になりそうですが、視覚情報は光の情報です。慣れれば立体感を消すことも、光としてのみ把握することもできるようになります(空間認識をちょっとだけ突破)。 感覚というものは不思議なもので、前後と上下の空間認識にも大きな違いがあったりしますし、集中

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自主

自主(その最も僅かな服用量では「自由の思想」と呼ばれる)とは、権力を好む者が結局受け入れる諦めの形式である。― 支配することの出来るものを長いこと求めて、自分以外の何ものをも見出さなかった、その彼が。 曙光 242 自主は自主以外の用途で使われることがあります。プライドを保ったまま服従するために、自己説得を行う場合と、「任意という名の強制」を支配者側がこれもプライドを保ったまま、美しく見えるように、また、法の穴をくぐり抜けるために用います。 自主的にという場合には、本当に自分発端で行うものです。しかし「自主的に動け

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恐怖と知性

恐怖心を抱く度合は、知性のひとつの分度器であるから。そして、しばしば盲目的な怒りに身を委ねることは、動物界がまだ全く近くにあり、それが再び確かな地歩を占めたいと思っていることのしるしであるから。曙光 241 抜粋 ある対象について、それがうまくいくか、どのようなものなのか把握できていれば、大半の恐怖心は和らぎます。「それがうまくいくかどうか」という把握したい気持ちがなければ、恐怖に駆られることもありません。 だからこそ若干大雑把であっても常に今に集中しておくべきなのです。なぜなら、そうした恐怖心は過去の記憶や未来へ

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舞台の道徳について

舞台、狭義には演劇を観ることには特にお金をかけたことはありません。 出演者が同級生、という誼で何度か行ったことがありますが、やはり体質的に合いません。悲劇対喜劇という項目で少し引用しましたが、かつて演劇には「感情の解放」という目的があったのでしょう。喜劇なら笑いに、悲劇なら悲しみや恐怖心をぐっと捉えることによって、感情移入による心的エネルギーの解放という役割があるような気がしますね。 ところが、ことに演劇を見せられると、そこで感じるのは悪寒しかありません。上手い下手というよりも、演劇そのものがもっている、日常とは異

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道徳学者への忠告

われわれの音楽家たちは大きな発見をした!興味を引く醜さは、彼らの芸術でもやはり可能なのである! 曙光 239 冒頭 「フックとしての醜さ」という手法が取られるようになりました。違和感を覚えさせることによって、興味関心を惹くという手法です。怒りやがっかりすら使われるようになりました。アイドルにボクシンググローブを付けさせるような手法ですね。 そうした手法を垣間見た時、ふとイワン・シャポヴァロフ氏を思い出したりしてしまいます。 t.A.T.u.とイワン・シャポヴァロフ氏 そういえば、十年ちょっと前にt.A.T.u.とい

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優美への努力

もし強い性格の人が、残酷への傾向をもたず、いつも自分自身のことにかかわるのでないとすれば、彼は知らず識らずのうちに優美を求めている。― これが彼の目印である。弱い性格の人は、これに反して辛辣な判断を好む。― 彼らは、人間軽蔑の英雄たちや、存在を宗教的または哲学的に誹謗する者たちの仲間になるか、または厳しい風習や苦しい「職業」の背後に引っ込む。こうして彼らは、性格と一種の強さを得ようと努める。そして彼らは、これを同じように知らず識らずのうちに行うのである。 曙光 238 「人間軽蔑の英雄たちや、存在を宗教的または哲学

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党派の悩み

友人との雑談の中にも、内容に少し社会的なことが混じるといきなりギクッとせざるを得ない時を迎えることがあります。それは、当の友人のご両親などに「君、政治に興味ないか」と迫られる時がある、という場合です。 これは一種の宗教勧誘のようなものであり、信者とは言わず党員になれという脅迫の瞬間です。そんな時にはすぐに「無いです」と答えねばなりません。 友人のお父さんを論破したところで、何の実りもありません。かといって、ある程度の意見が同一であっても、同調などしてしまえば何かの集会に参加させられたりなど、ひとつの駒としての役割を

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不思議なものだ、われわれの罰というものは!それは犯罪者を浄化しない。それは罪滅ぼしにはならない。それどころか、それは犯罪そのもの以上に顔に泥を塗る。 曙光 236 罰則そのものはどちらかというと、事後的な「更生への導き」や「罪滅ぼし」という規定というよりは、最後の一歩、つまり行動のゴーサインを出すことに対しての「予防的、抑止力的な意味合いが強い」ということは最近ではたまに出てくるようになりました。 さて、この項目では、まさに白靴下か黒靴下かでの一悶着の時のような、事柄についてつぶやいています。 具体的な罰則規定が無

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感謝を拒絶する

われわれはなるほど願い事は拒絶しても差し支えない。しかし感謝は決して拒絶してはならない(あるいは、同じことであるが、感謝を冷たく形式的に受け取ってはならない)。これは深い侮辱である。― だがなぜなのか? 曙光 235 「感謝は決して拒絶してはならない」 「感謝を冷たく形式的に受け取ってはならない」これは、相手の行動や意志が自分の意志よりも優先されるという意味で、深い侮辱になりえます。つまり、感謝を受け取らざるをえないという一種の脅迫であり、恩を先に着せるという手法がこの世にはあるからです。 しかし、感謝はわざわざ拒

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名声を憚る

甲。人がその名声を避けるということ、彼に讃辞を述べる者を故意に侮辱するということ、讃辞を憚って、自分に関する判断を聞くのを憚ること。― これは見当たることだし、よくあることだ。― 信じようと信じまいと! ― 乙。それは明らかだし、当然のことだ!一寸だけ我慢したまえ、高慢な貴公子殿! 曙光 224 「憚る(はばかる)」は、差し障りをおぼえてためらい、遠慮することさすようですが、名声を避けるという点については、先日の威厳と恐怖心で触れましたね。これは相手の高慢を避けるという意味で、こちらが高慢になってしまうという一種の

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「良心的」な人々

最も厳しく良心的であることに最も多くの価値を認めるのはどういう人間であるか、諸君は注意したことがあるか?多くの悲惨な感覚を意識し、自分のことを自分で心配し、他人を恐れる人々、その内心を出来る限り隠そうとする人々、― 彼らは、あの良心的であることの厳しさと義務の苛酷さによって、他人が(ことに部下が)それによって受け取るに違いない厳しくて過酷な印象の力で、自分自身に畏敬の念を起こさせることを努めるのである。 曙光 233 昔、といっても小学生くらいから「あの人はいい人だ」と言われる人に対して何かの違和感を感じていました

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ある討論から

甲。ねえ君、君は声がかれましたよ!― 乙。それでは私は論破されたのです。もうその話はこれ以上しないようにしましょう! 曙光 232 声が枯れてしまうのは、それだけ力んで話した証拠です。それだけ感情的にそれだけ情熱的に、必死に語り尽くした証です。 「ある討論から」ということで討論とその結果にかかる、権限や感情の問題について触れていきましょう。 討論に勝ち、表面上は勝ったようになっていたとしてもその結果自体が求めていたものとは異なったものになるというケースはよくあります。 討論と結果 討論には勝てたものの、結果は求めて

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ドイツ人の徳について

世界中どこを旅していても出会うのがドイツ人というのが相場です。中国人は集団で観光に来ますが、各国で出会ったドイツ人はほとんど独りです。たまに船岡温泉が外国人でいっぱいになる時がありますが、話しかけてみるとドイツ人だったというケースが結構多いように思います。 さてドイツ人といえば次のようなお方です。 頭文字D(イニシャルD)が好きすぎて日本に来たドイツ人…”という動画でしたが、youtubeに著作権侵害の申し立てがあったため削除されました。 別のものを見つけました また削除されていました。 イ

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「効用的。」

現在、道徳的な事柄の感覚はきわめて縦横無尽であるので、ある道徳が、この人間に対してはその効用によって示され、あの人間に対してはほかならぬ効用によって反駁される。 曙光 230 効用というものは極めて主観的なものです。主観的でしかありえないものなのに、その「ご意見」を寄せ集めて「客観」とし、様々な説得に使われていきます。まずは効用そのものについて触れていきましょう。 効用とは 広義には、「使いみち・用途」や「効き目・効能」などを意味しますが、狭義の効用(utility)とは、ミクロ経済学の消費理論に出てくるものです。

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誇り

ああ、諸君はみんな、拷問をうけた者が、拷問のあとその秘密を抱いたまま独房に連れ戻されたときの感情を知らない!― 彼は相変わらず歯を食いしばり秘密をしっかりと守っている。諸君は人間の誇りの歓喜について何を知っていようか! 曙光 229  誇りについては以前に「精神に対する誇り」で触れました。この項目でニーチェは、「秘密を抱いたまま独房に連れ戻されたときの感情を知らない!」と言っていますが、それは誇りではなく「したり」ではないかと思ってしまいます。 ここでは「やったぜ」という意味ですね。 さて、世の中では、その実「した

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讃辞の中の復讐心

讃辞、つまり褒めの言葉には、皮肉に代表されるように同一コミュニティに属しているかというような確認の属性から、お世辞のように煽てて物買わせようというもの、ただの羨望からの賞賛といった具合に、ただ単には測れず、一律には論じ得ないという属性があります。 皮肉の中には、相手の反応で相手の教養高さを測るというものもありますが、タダ単なる攻撃の場合ももちろんあります。ほめる・ほめられるという関係で自分の力を誇示しようというケースもあります。 讃辞と皮肉 讃辞(さんじ)とは、その字面のごとく賞讃の「讃」であり辞典の「辞」であるた

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鎖につながれているもの

鎖につながれているすべての精神に注意せよ!たとえば、その運命のために、狭くて見苦しい境遇の虜にされ、そこで老いてゆく賢明な女性たちに注意せよ。 曙光 227 前半 ふとしたことで精神はすぐに鎖に繋がれてしまいます。世の中で良しとされ、みんなが持ちたがるものでも、やがてそれはただ単に手に入れたと言うよりは鎖へと変化していきます。 入りたかった会社に勤めたとしても、欲しかったヴィンテージのギターを手に入れたとしても、それが自分への鎖になります。 「鎖につながれているもの」ということで「絆」と呼ばれるものやネットワーク、

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知名の士との交際について

甲。しかしどうして君はこのえらい人を避けるのか― 乙。僕は彼を誤解したくない!われわれの欠点は一緒に調和しない。僕は近眼で疑い深く、彼は贋のダイヤモンドを本物同然に身につけるのが好きなのだ。 曙光 226 ニーチェ 「しかしどうして君はこのえらい人を避けるのか」 bossu 「彼は、自らの従業員に違法な労働環境を与えながら、自らはMaseratiやLamborghiniをSNSのカバー写真にしているのが好きなのだ。そしてオーナーという言葉を使うことが好きなのだ」 ニーチェ 「しかしどうして君はこの手の車を避けるのか

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急速に軽蔑される手段

早口に沢山のことを口にする人間は、ほんの短期間交際しただけで、たとえ彼がもっともなことを口にするとしても、われわれの尊敬を異常なほど大きく低下させる。 曙光 225 前半 早く多くしゃべることは、マイナスだとよく言いますが、早く多くしゃべることには、その奥に様々なタイプの動機があります。マイナスになるのは印象ですが、間を埋めて、相手が理解する前に、何か別の話題に切り替えようというものから、要約力がないというものから、必死の暑苦しさまで様々です。急速に軽蔑される手段ということになりましょう。 早口で話すことついては、

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隣人の不幸で「心を高める」こと

彼は不幸である。そこで「同情する人々」がやって来て、彼にその不幸を鮮やかに描いて見せる。― とうとう彼らは満足し、心を高めて立ち去る。彼らは自分自身の驚きと同様に不幸な者の驚き楽しみ、すばらしい午後を過ごしたのである。 曙光 224 「隣人の不幸で心を高めること」とは、俗にいう「メシウマ」というものに該当するでしょうか。繰り返すようですが、他人を自分の飯のうまさの条件にしてはいけません。 それは倫理的にいけないというようなことではなく、他人の態度や経験が自分の気分の指針になってしまうからです。 「飯はいつでもうまい

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恐れられる眼

威嚇された時よりも、こちらがギクッとする時の「こちらを見ているの眼」の方が恐ろしく感じる時があります。 それはまさに電車の中で英書を読んでいる人が、その真意を悟られた時です(電車で隣に掛けた客の本)。 世の中には、恐れられているものがたくさんありますが、その相手が「強いかどうか」より、「本気かどうか」の方が重要な事は言うまでもありません。 一見体つきは弱そうな人でも、命がけになればどんな手でも使いますから、そちらのほうが厄介です。 ミナミの帝王で、強面のお兄さん相手に、零細企業の社長が、「社員や家族守るためやったら

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