カテゴリー別アーカイブ: 第四書

曙光(ニーチェ) 第四書 曙光(ニーチェ)全記事一覧

専門家の名誉のために

ある人が、専門家でもないのに審判員の役割を演じるや否や、それが男性であれ、女性であれ、われわれは直ちに抗議すべきである。ある事物やある人間に対する熱中と有頂天は何ら論拠にもならない。嫌悪や憎悪よりもやはり論拠にならない。 曙光 372 「褒め教育」や「愛され何とか」みたいなものについて書こうと思いつつ、曙光のページをめくるとちょうどぴったり良い項目になっていました。 さて、「ほめる」や「威厳と恐怖心」などなど、今まで「褒め」については幾度となく書いてきましたが、基本的な内容は同じものの、なぜ「褒めない教育」の方が良

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強さの悪

情熱の、例えば怒りの結果としての暴行は、生理学的にいって、窒息の発作の恐れを予防する試みとして理解される。他の人々に己れををされけだす無数の傲慢な行為は、強い筋肉運動による突発的な充血の放水路であった。もしかすると「強さの悪」の全体はこの視点に該当するかもしれない。 曙光 371 前半 個人的には元々怒りタイプなので、特に欲はないのですが、何事も心の安穏の条件は少ないに越したことはありません。 怒りも、目の前の状況が不快だからそれを改善したいという欲として考えることができるのですが、こうした怒りにも幾つかのタイプが

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思想家はどこまでおのれの敵を愛するか

君の思想と反対に考えることのできるものを決して抑制するな。口外せずにおくな!自分にそれを誓え!それは思想の第一の誠実に属している。 曙光 370 前半 かなりご無沙汰しております。bossuです。 何だかんだで投稿自体は1ヶ月以上ぶりですね。 やはり世間と接していると、俗世間の垢のようなものがついてきます。 久しぶりにアナリティクスを見ていたら、更新をしなかったにも関わらず、リピートユーザーさんの数とPV数、そして滞在時間の長さに驚き、「そろそろ書き出そう」と思ってしまいました。 以前からその傾向はあるものの、人に

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自分のみじめさをこえて高まること

自分たちの威厳と重要さの感情を作り出すため、怒鳴りつけたり暴力を加えたりすることができるような他の人たちを― つまり、無力で卑怯なため、その面前である人が崇高な挙動や憤慨した挙動を示しても罰せられず―、差支えがないような者たち!― いつもまず必要とするのは、自負心の強い奴らであると私には思われる。― それゆえ彼らは、ちょっとの間、自分自身のみじめさをこえて高まるために、その環境がみじめであることが必要である! 曙光 369 前半 みじめであることの感情も、その場での自我の反応にしか過ぎません。 そして、嫌だと思った

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多くの誤認の理由

増加してゆく神経の力にもとづく道徳は、朗らかで落ち着きがない。減退してゆく神経の力にもとづく道徳は ―すなわち夕暮れや、病人や、老人の場合 ―苦しみ、和らぎ、傍観的であり、憂鬱であり、それどころか陰鬱であることも珍しくない。 曙光 368 前半 先日、生命保険の無面接募集契約の無効についてお伝えしましたが、難なく無効が決定しました。 詐欺まがいの営業や、体育会系営業、情報強者ぶって人をなめてくる輩などを打ち倒せた気分でした。 非常にいい経験でした。少し嬉し涙が出るほどでした。 難なく無効にできたのは、一応金融の分野

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いつも幸福そうに見える

「幸福」 なんだか変な気分になる単語ですね。 まあ某集団のせいでさらに変な感じのする単語になってしまいました。 さらにいうと「最高」を「最幸」という人のせいでさらに変な気分になるようになってしまいました。 さて「いつも幸福そうに見える」です。 以前何かの記事で書いたかもしれませんが、最高の状態とか言うのがあるとすると、その状態というものは普通維持されずに下降の一途をたどるはずです。 「いつも幸福」とはどんな状態か? いつも幸福そうに見えるというよりも、いつも幸福なのはどんな状態でしょうか? たいてい心というか感情は

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犯罪者の悲哀

犯罪者であることが発覚したとき、彼が苦しむのは犯罪ではなく恥辱であり、馬鹿げたことをしたことに対する嫌悪であり、通例の生活必需品に不自由することである。この点を区別するためには、めったにないような敏感さを必要とする。 曙光 366 前半 梅雨時くらいからでしょうか、宝ヶ池に行くと「ガチョウの雪雄がどこにいるか」を示したホワイトボードが設置されています。 さて、かつてある哲人は言いました。 「反省する動機がないことが一番の問題だ」 彼によると、「故意の犯罪は、悪いことだとわかっていてやっているので、反省する動機がある

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虚栄心

虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心である。それ故に誇りの欠如である。しかし必ずしも独創性の欠如というわけではない。 曙光 365 久しぶりの曙光です。 ニーチェによると虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心=「誇りの欠如」ということになっているようです。 虚栄心(きょえいしん)は、いわゆる見栄をはり、自尊心を高めようということを意味します。ブランド品で着飾ったり、立派な肩書を得たいというものから、「有名人と知り合いである」というところをもって自分の身の回りの人から「すごい人だと思われたい」と

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環境の選択

威厳を保って沈黙することもできず、高級なことを打ち明けることもできないので、われわれの不平や要求やわれわれの窮境全体の話などを知らせるより外には道のないような環境で生活することは避けた方がよい。その際われわれは自分で不満を覚え、この環境に不満を感じる。 曙光 364 前半 よく「この環境からは逃れられない」という類のことをいう人がいますが、ほとんどの場合どころか、すべての場合においてどんな環境からも脱却することができます。 本当は環境を選択する自由はいつどこにでもあります。 その制限は、どこから来るのでしょうか?

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偶然の人間

あらゆる発明の本質的な点を遂行するのは偶然である。しかし大ていの人間はこの偶然には出会わない。 曙光 363 どんなすごいようなことでも、考えて頑張ったからだと思うと、「考えて頑張ったからレベル」の結果しか生まれないでしょう。 いろいろ振り返ってみると、今ある全てが、偶然の要素がたくさん組み合わさって現象化しているはずです。 まあ生まれたことはさておき、誰かと友だちになったことも、今の仕事に就いたことも、偶然の重なりで起こっているはずです。 偶然の重なりによる現象化 例えば、今の仕事を選ぶまでの間に、なぜその仕事に

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憎悪のいろいろ

多くの人々は、疲れて弱気を感じるときはじめて憎悪する。ほかのとき彼らは公正であり、大目に見る。他の人々は、復讐の可能性があると見て取るときはじめて憎悪する。ほかのとき彼らはとりわけ私憤や公憤を一切避け、そんなきっかけがあるときには考えを逸らす。 曙光 362 しばらく下界(という表現にしておきましょう)にいたため、少し感覚が鈍り気味です。ということで軽めに書いていきます。 といっても、最近うちのおばあちゃんが末期がんで余命一週間と言われていたため、見舞いに行った際に、おばあちゃんの体に手をあてると、痛みが取れるほど

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醜くみえる

適度は自分自身を美しいと思っている。過度なものの眼にとって適度が下品に、平凡に、したがって醜いものにみえるということは、適度の責任ではない。 曙光 361 これは、ウェーイがサラリーマンを見て「ダサい」という時の光景を思い浮かべていただければわかりやすいと思います。 ある状況にいる人の目線から見れば単に他の状況にいる人が醜くみえるというだけだったりします。 僕も、昔は着飾ることをしていましたが、今では本当に何の意味もないと思っています。 スーツやネクタイですらお下がりです。消耗の激しいシャツだけは買うことにしていま

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功利主義者ではない

「悪いものがたくさん示され記憶に留められるような力は、ただよいだけのものに与えられる無力よりも価値が多い。」― ギリシア人はこう感じた。すなわち、力の感情は彼らによって何かある利益や名声よりも高く評価されていた。 曙光 360 アイツだましの実験終了記念、というわけではないですが、連投です。ブログを書くことによって頭を休ませるということをしています。 普通は何かを書くときには、「頭を使う」というイメージがありますが、確かに頭は使うものの、使ったほうが休まる場合もあるという感じで、まあ一種のリハビリです。 さて、「功

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あることを是認する

われわれが結婚を是認するのは、第一にわれわれは結婚をまだ知らないから、第二に、われわれは結婚に馴れているから、第三に、われわれは婚約しているからである。― すなわちほとんどあらゆる場合に是認する。それにもかかわらず、結婚一般の品質の良否については何もそれで証明していない。 曙光 359 なんだかんだでニーチェは結婚ネタが好きですね。 ご無沙汰しております。bossuです。眼のピクピクも少し落ち着いてきました。 さて、以前結婚相談所の方と、結婚についてお話をしたことがあります。 「結婚=第三者に対する二人の関係性の外

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理由と、それが理由にならぬこと

君は彼を嫌悪しており、この嫌悪に対する理由を沢山もち出す。― しかし私は君の嫌悪を信用するだけであり、君の理由は信用しない!本能的に生じるものを、君や私に対して三段論法のように提出することは、君自身への胡麻擂りというものである。 曙光 358 感情はストレートに「真」ですが、その裏付けとなる思考には穴がある可能性が常に内在しています。 嫌いという感情は、論証の必要なくまさに正しいのですが、「なぜ嫌いか?」という理由付けは正しさを帯びることがありません。 世間で、とりわけ飲み屋で繰り広げられているこういった議論は、ほ

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道徳的な刺蠅(さしばえ)

認識への愛が欠け、人を苦しめる喜びだけしかしらないあの道徳学者たちは、小都会人の才気と退屈さを備えている。彼らの残酷なまたあわれむべき慰みは、隣人を警戒することであり、隣人が刺されるようにそっと針をさしておくことである。彼らには、生き物や死んだものを捕獲したり虐待したりしなければ楽しくなかった、幼い子供の頃の悪戯が残っている。 曙光 357 僕は怒りそのものを否定していません。「人生で最初に本気でキレた瞬間」という題名で、少し触れたことがありますが、やはり「弱いものをいじめる」どころか、人間以外の生き物をいじめる様

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幸福の効果

幸福の最初の効果は力の感情である。この力は、われわれ自身に対してであれ、他の人間に対してであれ、表象に対してであれ、想像されたものに対してであれ、自らを表明しようとする。自らを表明する最もありふれたやり方は、贈ること、嘲ること、破壊することである。― この三つはすべて、ひとつの根本的な衝動をともにしている。 曙光 356 さて、「幸福の効果」というような胡散臭いタイトルが増えてきました。 そしてニーチェお得意の「力の感情」というような言葉も出てきました。 しかしながら引用の通り「力の感情」結果として挙げられているも

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崇拝者

いたく崇拝するあまり、崇拝しない人を十字架に掛けるような者は、自らの党派の絞首刑吏のひとりである。― たとえこの者と同じ党派であっても、われわれは彼と握手しないように注意する。 曙光 355 「いたく崇拝するあまり、崇拝しない人を十字架に掛けるような者」 世界中どこにでもこのタイプの人がいます。気に喰わない場合は、晒し者にしたり、時に抹消したりするタイプですね。 何度も触れていますが、そういったことは全てアイツの内にいるからこそ出てくる考えです。 これが宗教の嫌がられる最たるポイントです。 「どうせなら」ということ

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苦しみへの勇気

われわれは現在のままの状態で、かなり多くの不快に耐えることができる。われわれの胃はこの重たい食物に適している。ことによるとわれわれはそれがないなら人生の食事には味がないと思うかもしれない。苦痛へのよい意志がないなら、われわれはあまりにも多くの喜びを逸するにちがいないであろう! 曙光 354 「いままで一度も、特に歓喜というものを味わったことがありません」 「おそらくそれは一度も『努力の末に勝ち取った』ということを経験していないからでしょう」 こういったやり取りが二十代中頃の頃に実際にありました。 実際に「苦しんで努

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言論の自由

「真理は語られなければならない。たとえ世界が粉々に砕けようとも!」― 偉大なフィヒテは大きな口をしてこう叫ぶ!そうだ!全くだ!しかしわれわれは真理を実際に持たなければならないであろう!― ところがフィヒテは、すべての人はたとえ一切が混乱に陥ろうとも自分の意見を述べるべきである、という考えである。この点については、フィヒテとさらに論争することができる。 曙光 353 「言論の自由」という概念がありますが、どんなことであれ、それを社会が制限をかけてこようとしても、社会的制裁という圧力などがあるだけで、どんなことでも自由

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中心

「私が世界の中心だ!」というあの感情が非常に激しく起こるのは、われわれが不意に恥辱感に襲われた時である。われわれはそのとき、砕ける波の真中に麻痺したもののように立ちつくし、四方八方から視線を向けてわれわれを見通すひとつの巨大な眼のために、目がくらまされたような感じがする。 曙光 352 もちろん「私が世界の中心だ!」という一文から「世界の中心で、愛をさけぶ」を思い出したのですが、それはさておきましょう。 つまりはネタがスベった時に「世界には自分しかいない」と自己弁護を行い自分を擁護をしようとするあの心境です。 周り

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普通は誤解されている

会話で気がつくことだが、ある人は他の人の陥るわなをかけようと努力する。これは、人が考えるかもしれないように、悪意からだけではなく、自分自身の滑稽さを楽しむことからなのである。さらにまた、他の人に洒落を言わせるために洒落を準備しておく人々や、他の人が結び目を引き出すために輪を結んでおく人々がいる。これも人が考えるかもしれないように、好意からではなく、悪意からであり、粗雑な知性に対する軽蔑心からなのである。 曙光 351 笑いのレベルに大きな差がある場合、ボケ気質の人でもツッコミ側に回らなければならないというのが典型と

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最もよい約束の仕方

ある約束がされるとき、約束するものは、言葉ではなく、言葉の背後にあって言い表されないものである。それどころか、言葉は約束を弱めるのである。約束をするあの力の一部分にあたる力を放出し、消費することによって。諸君はそれ故に手をさしのべ、同時に指を口にあてよ。― そうすれば諸君は最も確実に誓うことになる。 曙光 350 最もよい約束の仕方というものは、何か相手から約束事を提案された時は黙ることです。 断る場合は断って、了承する場合も黙りこむ、そうすれば万が一約束を果たせなかった時でも、嘘をついたことにはなりません。 しか

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そんなに重要ではない

人の死を見守ると、われわれには通常ある考えが浮かぶが、われわれは直ちにその考えを作法通りという不適切な感情によって心の中でおさえつけてしまう。すなわち、死ぬという行為は、一般に畏敬の念で主張されているように重要であるのではなく、また死んでゆく人は、彼がここでまさに失おうとしているものよりも、おそらくもっと重要なものを生きている間に失ったことであろう、という考えである。結局はここではたしかに目標ではない。― 曙光 349 おじいちゃんやおばあちゃんが死んだ時、意外に涙は出ませんでした。 人生で一番泣いたのはインコのピ

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力の感情

次のことはよく区別するがよい。力の感情をまず獲得しようとするものは、あらゆる手段をとらえ、その感情を養うことを恥としない。しかし力の感情を所有しているものは、その趣味にひどく選り好みがあり上品になっている。彼が何ものかに満足することは珍しい。 曙光 348 なんだか「力」という字を見ると、たいていは「社会的な力」のことなのだと世間ではすぐに想起されるのでしょうか。 今までずっと社会目線でしか考えてこなかった人には当然かもしれませんが、「力への意志」とか「権力への意志」とか言われる場合の「力」はそういった社会的権力な

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