カテゴリー別アーカイブ: 第五書

曙光(ニーチェ) 第五書

抵抗に驚く

あるものがわれわれにとって透明になったので、それはもはや何の抵抗もなし得ないだろうとわれわれは考える。― しかしそのとき、われわれは見透していながら貫通できないできないのに驚く!これは、蝿がすべてのガラス窓の前で陥るのと同じ愚劣であり、同じ驚きである。 曙光 444  たまに、自分は管理者などになったのだから、部下は逆らってこないだろう、と勘違いする人がいますが、そういう人は大抵体育会系思想を持ち、論理で負けそうになると「私は部長だぞ!」と感情で仕返しすることしか頭にありません。 思考の世界に感情を含めると、話がや

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教育のために

われわれの流儀の教養や教育の最も一般的な欠陥が、次第に私に分かって来た。だれも学ばない、切望しない、教えない― 孤独に耐えることを。 曙光 443 孤独は耐えるものではなく気づくものです。引用には孤独は苦しいものだという前提があります。孤独でなかった試しはありません。そしてその孤独はただの事実であって、苦しいものという属性は恐怖心からの結論です。そんなものに信頼をおいてはいけません。 しかしそれ以前に、教育では「みんないっしょ」「みんなで一緒に」が、たくさん教えられます。あたかもみんなで一緒にやらないいことがおかし

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規則

「規則は私にとっていつも例外よりも興味がある」― こう感じる人は、認識が広く進んでいる人であって、大家に属する。 曙光 442 規則というものは何のためにあるのでしょうか。世の中には意味のわかる規則と、意味のわからない規則、そして、ギムキョな発想の規則と、タダのわがままの部類に入る規則があります。 「規則を守れ」と声高々に言うことはいいですが、その規則がどういう趣旨のものかもきちんと説明できないと、僕のような中学生などに相談室で数時間拘束されることになります。 規則的には合理性があっても、ギムキョなままだと社会では

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身近なものがますます遠くなるわけ

家族がいる人には、「家族」というものは嫌でも身近にいてしまいます。離れて欲しくても近くに寄ってきます。 「家族には寄りつかれる」という属性を持っていますが、家族だからといって気が合うかどうかは別問題です。ほとんどの場合は気が合わないでしょう。気が合いすぎるというのも、自分よりも子どもや両親などを優先してしまう要因になるので、適度な距離を置かねばなりません。 近くにいる者同士ほど軋轢が生じるのは当然のことです。国家間一つとっても近隣諸国とは仲が悪いのに、遠く離れた国とは仲がいい、ということはよくあることです。 ある程

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諦めるな!

「諦めるな!明らめろ!」というような、言葉遊びをするつもりはありません。そういうちょっとした落語家のようなことして興味関心を惹こうというようなことがよくソーシャルネットワークで行われています。 今回は、気合と根性で突き進みつつ、どうもうまくいかない時の対処法について触れていきましょう。 世の中では様々な方法論が語られていますが、実務的なことは実務的なこととして参考にしてもいいですが、それよりももっと簡単で今すぐにできる実践的な事柄をお伝えします。 うまくいかない時の対処法 休んでください。 以上になります。 ウソの

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幸福の目印

あらゆる幸福感の共通点は二様である。感情の充実とその点の自負とであり、それ故にわれわれは魚のように自分の本領を身の回りに感じ、その中で踊る。 曙光 439 前半 何度か触れていますが、「幸福」という言葉が苦手です。その言葉には良いことがあったというような、「今までにはなかった」という認定があるからです。それに加えて、宗教屋や自己啓発洗脳が多用しているということも加味されているのかもしれません。 幸・不幸自体が虚像です。何かの感情、感情の充足とその確認・自負を求めて、何かの行動などを条件化して幸福を追い求めている限り

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人間と物

なぜ人間は物を見ないのか?彼自身が妨害になっている。彼が物を蔽っているのである。 曙光 438 パスカルが嘆いたように、花の絵は見て実物の花は見ないという不可解な現象があります。芥川龍之介氏が春画を買いあさっていた時に菊池寛氏が「そんなことにカネを使うなら本物のほうがいいだろう」というようなことを言ったことは結構有名ですね。 実際の景色よりも写真が評価され、実物よりも絵が評価され、オリジナルよりもアイドルがカバーした方が売れる、ということは、何も今に始まったことではないのでしょう。 食べ物にしても、純粋に味わうこと

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特権

自分を自分で完全に所有している者、すなわち自分を究極的に征服してしまった者は、自分を罰したり、自分を赦したり、自分を憐れんだりすることを、今後は彼独自の特権であると見なす。 曙光 437 前半抜粋 自分を自分で完全に所有している者と自分を究極的に征服してしまった者という表現はいずれも、まだアイツの内にいることを示します。まず自分というものがあるという前提ですから当然ですね。少しややこしいですが、自分の実在と所有という考え方を保持している時点でまだアイツの内です。 自分を罰することも赦すことも、憐れむこともありません

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決疑論的

どんな人の勇気や性格も耐えられないようなある悪辣(あくらつ)な二者択一がある。ある船に乗っていて、船長や船手が危険な誤ちを犯し、彼らよりも自分の方が航海の知識の点ですぐれていることを発見し、―そこで自分に次のように問う。どうだろう!おまえが彼らに対して暴動を起こし、彼ら二人を監禁してしまったら?おまえの優越はそうするように義務づけないか?だが一方彼らも、服従しないという理由でおまえを拘禁するのはもっともではないか?と。 曙光 436 前半抜粋 あらゆる選択をするときに指針となるのは、道徳・倫理・宗教上の戒律などです

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気づかれないままでは破壊しない

そもそもは認識の誤謬、錯覚というものから起こる悲劇ばかりですが、単純に日常のモヤモヤというものは、奥深くに眠っている「何か」が引っかかっていることがほとんどです。怒りの本音で触れましたね。錯覚がなくなればすべてがガラッと変わり、一気に消えますが、それは少しハードルが高いのかも知れません。 モヤモヤは自分が意識して思っている思い込みによるものもありますが、自分では忘れているような経験や、本能的な危険予測もあります。それは普通に過ごしていては見つけることすらできません。 「何故かイライラする」 友人の細君がこの手で何人

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とりなす

はじめに「とりなす」という字を見た時に真っ先に思い浮かんだのが「とりとなすびの味噌炒め」です。王将か何処かであったような気がしますが、なぜかそんなものが浮かびました。 これは中学校の時に先生が「Michigan(ミシガン)」と書いてあるトレーナーを着ていたのを見て、同級生が「あれって琵琶湖の船け?」といったレベルのボキャブラリを想起させるレベルです。 そんなことが浮かんだので、せっかくと言ってはなんですが、「茄子」についてでも書いていきましょう。 茄子 中学生くらいの時までは、黒々している風貌から何故かなすびを食べ

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新しい眼で見る

「新しい視点」と銘打って、それまでの考え方から一歩進んで物事を考えてみよう、と学校や研修で説かれることがありますが、説いている方も大したことがない上に、「人が一応納得するレベル」の話しかしてくれないので、根本からガラッと変わることは少ないでしょう。 たまにガラッと変わるようなこともありますが、基本的に人間は、とてもショックな出来事がないとなかなか考え方は変化しません。 頭で一度理解したようなことでも、感情による抵抗によって元の木阿弥になることはよくあります。 パラダイムシフトで一時的に興奮状態に ちょっと想像した「

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探求者で実験者

学問には知識を得るたったひとつの方法というものはない!われわれは事物に対して実験的なやり方をしなければならない。われわれは事物に対してあるときは好意をよせ、あるときは悪意をもち、それらに対する公正や、情熱や、冷静さを次々にもたなければならない。 曙光 432 前半抜粋 それが学問であれ、芸術であれ、師弟関係があるまではいいですが、学会の時に「酒を買ってこい」など、どうしてそういう体育会系の要素を持ち込むのでしょうか。どうしてお歳暮を贈らないとステージに立てないのでしょうか。 ひとことで言えば、そういう無駄な上下関係

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敵の意見

もっとも物分りのよい頭脳であっても、生来どれだけ緻密であるか、あるいはどれだけ低能であるかを測るためには、それらがその敵の意見をどのように把握して再現するかを、われわれは注意すればよい。このときそれぞれの知性の生まれながらの度合いが自分の秘密を漏らす。― 完全な賢人は、そうしようと望むわけではないのに、彼の敵を理想にまで高め、敵の矛盾を一切の汚点や偶然性から解放する。それによって彼の敵が輝かしい武器を持った神になったとき初めて、彼は敵と戦うのである。 曙光 431 よく敵と論争になった時、「意見そのもの」とは別の属

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やはり英雄的

われわれがほとんどあえて口にしないほどいたって評判が悪いけれども、有益であって必要であることは行うこと。―これもやはり英雄的である。ギリシア人は、ヘラクレスの大きな仕事の中に厠の掃除を入れることを恥としなかった。 曙光 430 なぜか二十歳くらいから、英雄ならば「ひでお」、正義なら「まさよし」、勝利なら「かつとし」と読んでしまう癖がついてしまいました。 引用にある大きな仕事は、ヘラクレスがヘラによって狂気にされて妻子を殺した罰としての十二年間十二難題であり、そのうちの一つが家畜小屋の清掃、ということだそうです。 以

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新しい情熱

われわれの持つ認識への衝動があまりに強いために、われわれはまだ認識ぬきの幸福を、あるいは、強い確固とした妄想の持っている幸福を評価することができないのである。 曙光 429 一部抜粋 ニーチェには残念ですが「妄想の持っている云々」は余計でしたね。彼はアンチクリストへの衝動が強すぎて、それを糾弾することに意識が向いていました。キリスト教(キリスト教会)前提の考えをやめようとする試み、その方向性はいいですが、取り外せたのなら、それ自体は最終的には手放して考えねばなりません。 ただ、主張というものは人への説得ですから、そ

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二種類の道徳学者

自然の法則をはじめて見ること、しかも全面的に見ること、それゆえ指示することは(例 略)、そのような法則を説明することとは何か違ったことであり、違った精神の持ち主の仕事である。同じように、人間の法則や習慣を見たり示したりするあの道徳学者たち― 耳や、鼻や、眼などが鋭敏な道徳学者たち― もまた、観察されたものを説明する道徳学者たちからあくまでも区別される。後者は何よりもまず発明の才がなければならず、また明察と知識とによる奔放な想像力を持たなければならない。 曙光 428 自然法則なら、まだかわいいものです。 その手法が

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学問の美化

「学問は醜悪で、乾燥し、味気なく、困難で、長たらしい―さあ!われわれにこれを美化させてくれ!」という感情から、哲学と呼ばれるものが再三再四発生する。 曙光 427 抜粋 学問を修得していけばその分野での行動は良い結果になる、というのは揺るぎなさそうに見えて、あまり関係がありません。 たくさん勉強することによって、目の前にあるものが見えにくくなっていくからです。ジャンル問わず勉強していけば、ほとんどすべての学問に共通する何かの学力だけはついていきます。 理が解る、つまり理解力やあるものとあるものの違いなどです。ただ、

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思想家の盲目

思想はただの思想で、それ以上ではありません。人を狂気に導く性質を持ちながら、問題は何も解決してくれないという性質を持っています。 以前に少し触れましたが、思想を持って、何かの活動をして、その結果社会が動いたとしても、そこで得るものは一瞬で消えます。社会が変化した様子を認識して感じているだけのことであり、結局騒ぐアイツの要求に答えているだけのこと。そんなことに振り回されるのは馬鹿げています。どれほどの力が現在思想家の中に集まらねばならぬか 思想家用語 ところで、思想家という人種はなぜ、思想家用語というか変な言葉を使う

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われわれ追放された神々

人類は、その由来や、その独自性や、その使命などに関する誤謬によって、さらにこれらの誤謬に基づいてなされた要求によって、意気が高く昂まり、再三再四「自分の腕前以上のことをして」きた。しかし同じ誤謬によって、名状しがたいほど多くの苦しみが、お互いの間の迫害が、中傷が、誤解が、また個人の内面や個人自体でのさらに多くの悲惨などが生まれた。人間はその結果、苦しむ生物になった。 ―(中略) 「苦しむ高慢な者」が当分の間相変わらず人間の最高の典型である。曙光 425 「私はこういう人間です」 そう自分に定義付けをしていけば、グラ

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誰のために真理は存在するか

今までは、誤謬というものは慰めになる力であった。現在人々は、認識された真理に同じ効果を期待して、いささか長い間すでに待ち受けている。真理が他ならぬことを―慰めることを―果たすことができないとすれば、どうだろうか? 曙光 424 前半抜粋 ニーチェには残念ですが、真理は、誰のために存在するという性質のものではありません。「○○のため」に関連される命題は、効用や効用への期待であって、純化されたものではありません。 慰めへの期待、ということは「慰められなければならない」ということになりますが、不安から安心へ、というような

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大きな沈黙の中で

「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」と言ったのはウィトゲンシュタインです。「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」で終わることで有名です。 論じえぬことに対してあれこれ論じて盛り上がるのは雑談程度で十分のはずなのですが、世の中では論じ得ないこと、論じても仕方ないことがたくさん論じられています。それに必要以上に価値を付けるのでより一層おかしくなっていきます。 どうコメントしていいのかわからない局面 生きていれば、どうコメントしていいのかわからない局

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