bossu のすべての投稿

キリスト教の臨終の床で

真に活動的な人間は、現在内面的にキリスト教を持っていない。そして一層穏健で、一層観想的な、精神的には中流階級の人間は、整頓されたキリスト教、つまり驚くほど単純化されたキリスト教をかろうじて持つにすぎない。 曙光 92 序 確かニーチェは、本来のキリスト教徒らしいキリスト教徒はイエス・キリストだけであるというようなことをどこかで書いていました。 イエス・キリストを離れたキリスト教は、歪んで歪みつつ資本主義という形で現代にも残っています。ウェーバーのプロ倫なんかでプロテスタンティズムと資本主義の関連性が書かれています(

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悪い食事に反対

悪い食事に反対ということで、腹の健康などについて書いていこうと思います。 個人的には白米が大好きなのですが、どうしても白米の代替物として小麦製品を食べる機会が続くと腹の中にグリップがかかり、腹の具合がおかしくなります。 人生で最も辛い瞬間は懺悔タイムこと腹痛のときであり、その時の苦しさに比べれば他のものは大したことがないと思っています。 といいながら、素晴らしいことにこの数年間はほとんど腹痛にみまわれたことがありません。 懺悔を呼び起こす下痢や便秘の苦痛 人生で一番辛い瞬間は、腹痛の時だと今でも思っています。 止ま

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損失

悲嘆を抑制し、ちょうど高く暗い糸杉の下のように沈黙して歩む崇高さを、魂に分かち与える損失が多々ある。 曙光 570 損失ということで、人生の無駄についてでも書いていきましょう。 世の中にはたくさんの無駄があります。結果的にそんな無駄な経験があとになって良い経験として解釈されることもありますが、特に大人になってからの無駄な経験は身を滅ぼすようなものがたくさんあります。 そしてそれが無駄だということを頭ではわかっていてもやめられないということもよく起こります。 動機は無意識的であり情動が最優先される その原因は無意識の

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悲惨に耳をふさぐ

他の人たちの悲惨と苦しみのためにわれわれが陰鬱な気持ちになり、われわれ自身の空を雲で覆うのなら、だれが一体この陰鬱の結果を引き受けなければならないのか?まさしくやはり他の人たちである。 曙光 144 序 ある感情が起こった時、その感情を自らが受け入れぬまま人と会うことによって「感情から目をそらす」ということをよくやっている人がいます。 人の暗い話を聞くと、聞いた側までも暗くなってしまいます。ということは、いつも周りにグチグチ言っているような人は、一種の害ということになります。 人から暗い話をされたときに取る対応は、

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健康保護のために

犯罪者の生理学を考察し始めるや否や、犯罪者と精神病者の間には本質的な区別がない、という避けがたい洞察の前にすでに立つことになる。 曙光 202 序 思考によって生じた嫌な感情、抑圧されたエネルギーが吐出口を求める時、その人の気質が外向的であれば暴力的に、犯罪の方に走り、内向的であれば自傷行為に走る傾向にあります。 そう考えると、犯罪者も精神病患者も元のエネルギーの質としては同じようなものを抱えているという感じになります。 うつ病などにしても、それが一瞬で治ることがあるケースにおいては、一般にイメージされているような

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古本屋

(2006年10月10日02:09) 先日、神戸に行ったときにたまたま寄った古本屋の様な本屋は近くに無いかと思い返してみた。 あった。 すぐ近所に。 立ち寄ってみた。 大抵の古本屋は小説と漫画ばかりで、岩波文庫すらあっても文学系しか置いていない事が常である。 近くの図書館も京都市中の図書館の本が巡り巡るとは言え、私好みの本はなかなかやって来てはくれない。 まあ取り寄せてもいいのだが。 この類の古本屋に行くと、見たことの無いような類に出逢えたりで好奇心を擽る。 書物の歴史を感じさせる褐色の店内は、その色彩とマッチする

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夜櫻(嵐山にて)

夜櫻

(2007年04月08日19:24) あいにくの小雨。 近々行こうと約束した花見へと向かう。 自宅まで拾いに行った頃には止んでいた。 例年通りの北区某所は外して自転車で嵐山へ。 異常に交通量の多い三条通を西へ。 途中、もう一人の参加者と合流。 コンビニへ入り、ビールを買って店前でとりあえずの乾杯。 男三人もなかなか楽しい。 多少の無茶は全く気にならない。 そんな不思議な空気になる。 誰かがボケれば絶妙のツッコミがくる。 そんな安心感で溢れている。 嵐山特有の妖艶。 何回来ても拭えはしない。 そこに咲き乱れる淡い色彩

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天体望遠鏡

(2007年05月11日01:06) 大坂方面に行く機會があつたので更なる刺戟を求めて天體望遠鏡を買つてみた。 流星群を觀に行くには雙眼鏡の方がいい。 でもやつぱり昔から欲しくてたまらなかつたので心の聲に從つて店先に足を運んだ次第である。 集光力云々、有效最高倍率云々。 あまりに訊ねる僕に店員はほとほと困つてゐたに違ひない。 そんな陰りは寸分も見せず、丁寧に說明してくれた。 星座や星の名前などはそんなに知らない。 でも何故か流星群の名前とシーズンは覺えてゐる變な僕。 昔、當たり年に觀たしし座流星群が忘れられないのか

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猛禽の眼と猛禽の思考

猛禽の眼と猛禽の思考

猛禽の眼 見えないものが次々と見えるようになると、 なんだか眼から光が出ているんじゃないかと、 そんな錯覚を覚える。 良くも悪くも見える。 見たくない。 そんな泣き言は通用しない。 これが僕の望んだ世界だ。 ずっと待ち望んだ景色だ。 愚者の道には戻れない。 ひたすら先に待ち構えるのは。 果てしない距離。 辿り着くか見当もつかない光。 おそらく僕には狩猟の血がめぐっている。 遠く先の獲物を貪り屠る本能が眠っている。 僕の犬歯は恐ろしく鋭い。 肌に合わないことは避けていこう。 最近はオセロがとにかく楽しい。 そして黄金

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過ぎ去りし豪雨に捧ぐ

過ぎ去りし豪雨に捧ぐ

(2008年06月09日02:55) 俺も、空飛んでいいか。 機械を使うと、機械に気を使うから嫌なんだ。 誰に可愛がられなくても、一羽の猛禽がいい。 勇猛に凛と立ち、時に大空と一体になる。 全てが鳥瞰図に見えてもいいだろう。 醜さも憂いも傍観しようじゃないか。 戯言はもういい、御託も聞き飽きただろう。 雨音が漏らす吐息に、その誘惑に溺れてみよう。 美しきものは純粋で、官能的でなければならない。 関連しているかもしれない記事です: Kさんちのうさちゃんと我が養子 角家の兎 2007年01月31日03:31 よく通る道

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tune

tune

(2007年04月10日04:17) 僕はよく歩く。 なので通りがかりに古本屋などがあると迷わず入る。 20冊ほど抱えて出てくる。 そんな風にして生きているものなので、部屋にはまだ読んでいない山積みの本がある。 図書館にありそうな本はあまり買わない。 でも新刊も買わない。 最新作が良作とは限らない。 幾ら目利きになっていったとしても十冊中の数冊はハズレたりする。 然し、作品が古いから使い物にならないと言うのは聞いた事が無い。 法改正前の本を読んでも思想と解釈、その時代の倫理観くらいは摑めるし、多少無茶を言うならばそ

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若き日のbossu 2005年12月~2006年1月

若き日のbossu 2005年12月~2006年1月

養子のうさぎが亡くなってからというもの、彼と出会う前の僕と今の僕がつながってきたような感覚に陥っています。 そう言えば、本ブログは僕の集大成サイトにもかかわらず、まだ集めきっていない思考の痕跡があることを思い出しました。本当に一部のものは本ブログに移管してありますが、なるべく本格的にちょろちょろ移管しておこうと思います。 ということで、この投稿は「若き日のbossu 2005年12月~2006年1月」という感じでいわば番外編です。番号がつくようなタイトルのもので言えば「ゼロステージ」というような感じです。 さて当時

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神の誠実

全知全能であり、しかも自分の意図がそれから想像されたものによって理解されることを配慮さえしない神、― それは慈悲の神であろうか?数かぎりのない懐疑と疑念を、人類の救済にとって危険なものでないものであるかのように、数千年も長いこと存続させる神、しかも真理をつかみそこねた場合には、再び最もおそろしい結果を約束する神が?真理を持っていて、人類が真理を求めて悲惨に苦しむ状態を観察しうるのは、残酷な神ではないのか?― しかしおそらくそれはやはり慈悲の神であるであろう。― 彼はただ自分をそれ以上にはっきりとは表現することができ

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あらゆる謙遜の限界

不合理なるがゆえに私は信じると語り、その理性を犠牲に供するような謙遜は、おそらくすでに多くの者がなしとげたであろう。しかし私が知るかぎり、それからともかく一歩だけ離れていて、私が不合理なるがゆえに私は信じると語る、あの謙遜をなしとげた者はいない。 曙光 417 あらゆる謙遜(けんそん)の限界ということで、謙ることについてでも触れていきましょう。 慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように必要以上の謙りは一種の皮肉となり、時に相手に対して失礼になったりします。 謙遜はマナーのひとつとして考えられていますが、己の

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最悪の敵はどこにいるか?

自分の仕事を立派に果たすことができ、そのことを意識している者は、その敵に対して大ていは和解的な気分を抱いている。しかし、別個の立派な仕事をもっていることを信じていながら、それを守ることに巧みでないということが分かると、― 自分の仕事の敵対者に対する怨恨の念にみちた和解できない憎しみが生まれる。― 各人はそれに応じて、自らの最悪の敵がどこで求められるかを見積もるがよい! 曙光 416 人類史上、最も優れた発明は「ゼロ」の発見であるということを言う人がいます。しかしながら一方で、その「ゼロ」は、数学的には偉大な発明であ

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貴族の将来

高貴な人々の挙動は、彼らの身体の中で、絶えず力の意識が魅力的な演劇を演じていることの表現である。そこで、貴族的な風習の人間は、男性であれ女性であれ、さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌いである。 曙光 201 序 先日の投稿「貧困に耐える」で触れた貧乏マインドの反対にあるのがこうした貴族的な風習です。「さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌い」という感じです。 まあまた新約聖書マタイ6章的ですね。引用しておきましょう。 断食を人に見せようとする偽善者 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つ

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孤独な人々に

われわれが他の人間の名誉を世間の目の前で大切にするのと同じように、独言を言うときにも大切にするのでないならば、われわれは行儀の悪い人間である。 曙光 569 孤独な人々と独り言、ということで、稀に誰に話すわけでもなく一人でブツブツ言っている人について書いていきましょう。 僕は昔から変な人が好きです。およそ誰からも相手にされていないような、世間で言う変人の人には積極的に声をかけていました。ということでおそらく僕も変人なのです。 仲間内で前日のスポーツ報道や今朝のニュースの話をしているような、いわゆる「普通の人っぽい人

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愛の治療法

相変わらず大ていの場合愛にはあの古い荒療治が効く。愛し返すことである。 曙光 415 愛の治療法ということで、冷めた男女の治療法についてでも書いていきましょう。 冷めた男女の治療法を求め、冷めた関係の修復や復縁を切に願っているというケースもよく見られますが、たいていはその執着によって関係修復や復縁とは逆行した流れになることがよくあります。 「前と同じとまではいかないが、そこそこ愛し合えるような関係に戻れたらなぁ」 そうは思いつつも苛立ちばかりが募り、最も愛した相手であるのに最も憎らしく思ってしまう程になってしまうこ

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貧困に耐える

貴族の素姓の大きな美点は、その素姓が貧困をよりよく耐えさせることである。 曙光 200 貧困と貧乏マインドは相関関係どころか因果関係ですらあります。 寄付をすると金持ちになる、というようなことが囁かれる場合がありますが、問題はその行動ではなく、その行動時のマインドにあります。 実際の行為行動よりもその時の精神状態の方が重要です。 貧乏マインド その理屈は非常に簡単で、貧乏マインドなら「惜しい」と思い、「数限りあるお金が減っていく」ということや「その分を稼ぐにはまたあれほどの辛い思いをしなければならない」というような

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利己主義対利己主義

利己主義対利己主義と、これはまあ面白みのあるタイトルです。 社会の中で議論されているような題材のことは、概して利己主義対利己主義で、社会目線の議論の中で、より優れた理論を武器に結局他人を説得しようとしているものにしかすぎません。 もし、「何が正しいか?」ということに対して思索が動き出したなら、次のように考えることをおすすめしておきます。 「これは私にとって正しいのか?」 ということです。 「社会性」を徹底的に排除する 何かの基準を元に行動を選択するということを常々しているはずですが、そうした基準を持つ際に「社会性」

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詩人と鳥

不死鳥が詩人に、灼熱して炭になろうとする一巻を示した。「驚くな!」とそれは言った。「これは君の作品だ!それは時代精神を持たないし、いわんや時代に逆らう人々の精神などは持っていない。従ってそれは焼かなければならない。しかしこれはよい徴候である。多くの種類の曙光がある。」 曙光 568 ここで曙光という言葉が出てきましたね。 さて、詩人と鳥です。その両方に関連したことが思い浮かべばいいのですが、「Mrベーター」の「鳥よ鳥よ鳥たちよ。丹頂鶴はさ…」しか思い浮かばないので、ひとまず詩人について触れていきます。 文学的な短歌

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この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!

他人たちに対する愛着と配慮の衝動(「同情的好意」)が現在の二倍の強さになるとすれば、地上では全く耐えきれないであろう。日々刻々、各人が自分自身に対する愛着と配慮からどんなに数々の愚行を犯すか、またそのとき彼がいかに耐えがたいものとみられるかを、まあちょっと考慮するがよい。 曙光 143 前半 人に止められてでもやってしまうこと、それが良い方向に動けば偉業が成し遂げられ、悪い方向に向かえば我が身を滅ぼすことになりかねません。 悪い方向に向かった場合は、まさに「この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!」です。 やる

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寝たきりうさぎとの過ごし方

先日の「うさぎの死 さようならわが息子よ」で予告しましたとおり、「寝たきりうさぎとの過ごし方」について書いておこうと思います。何度か斜頸(しゃけい)症状が出ていましたが、10歳半の高齢うさぎだったため、最終的な死因は老衰だったと思います。 うちのうさぎは、「神経症状を抑えるステロイドの効きめが限界に来たようだ」ということで、片足不随になりつつ、マッサージ等々で回復と再発を繰り返しながらも、ある時点でまっすぐに立とうにも足に力が入らないようになり、その後寝たきりになりました。 以下は、獣医との相談の上で僕自身が「うさ

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不殺生戒と人を殺してはいけない理由

不殺生戒(アヒンサー)と人を殺してはいけない理由、という感じで、生き物の命について書いていきます。 戒めとしての不殺生戒(ふせっしょうかい)をただの戒めとせず、全ての生き物に対する不殺生について、その本質と不殺生戒の本意について書いていきます。また、不殺生戒と合わせて「人を殺してはいけない理由について」も書きますが、もちろん人だけではなく、全ての生き物に対する殺生を否定することについてが主題となります。 殺生を禁ずる「生き物を殺してはいけない」という戒律、「不殺生戒(アヒンサー)」と呼ばれるものは仏教における「戒め

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うさぎの死 さようならわが息子よ

寝たきりの要介護状態となり、実家の僕の部屋で家族総出で介護を続けていましたが、本日早朝前、養子のうさぎが亡くなりました。 夏頃から片足半身不随となっていましたが、マッサージなどで復活したり、また具合が悪くなったりという感じを繰り返していました(マッサージでうさぎの斜頸&片足不随を治す)。 その後完全に立てなくなったのは今年の8月13日。右側を下に向けるようにして寝たきりになりました。それから80日、家族総出でうさぎの介護が始まりました。 「小動物は寝たきりになるとそれからが早い」 と獣医は言っていましたが、毎度動物

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