魂の野戦薬局

一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。 曙光 571 一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。と、すごくシンプルでわかりやすいですね。 あれこれうじうじ言っていた人も、勝利のようなことが起こるとそれまでの陰鬱が全て吹き飛んで、周りを辟易させていたことなどすぐに忘れたりします。 借金体質の人の勝利、それはお金を借りれた瞬間です。 フラれた人の勝利、それは新しい出会いです。 就活難民の勝利、それは内定です。 そのような瞬間にそれまでの陰鬱が全て吹き飛びます。 しかしながらその程度と言っては何ですが、そのようなこと程度で陰鬱が吹き

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「利己的でない!」

あの人は空虚であって充実することを望んでいる。この人は満ちあふれていて空になることを望んでいる。― 双方とも、そのため彼らの役に立つ個人を求めるように駆り立てられている。そしてこの過程は最高の意味で理解されたとき、どちらの場合も、愛、という一語で呼ばれる。― 何だって?愛は利己的でないものであろうか? 曙光 145 利他精神を賞賛しようが、どこまでいっても利己的でありつつ、利己的であることを突き詰めると利他的にもたどり着く、というのが本当のところです。 世間で語られているような利己的や利他的はいわゆる二元論になって

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誠実な遊戯

多くの者は誠実である。― 感覚を佯ることが嫌いだからではなく、その佯りに信用を得させることがうまくゆかないであろうからである。要するに、彼は俳優としての自分の才能を信用しないで、誠実を、「誠実な遊戯」を好むのである。 曙光 418 「佯る」は「いつわる」と読みます。字義的には「偽る」と変わりありませんが、もしかすると何かのニュアンスの違いがあるのかもしれません。訳者の意図するところは知りませんが、一応「出会い」を無駄に「出逢い」と書きたがるような感じで使用されているのではないと思っておきます。 さて、誠実な遊戯です

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キリスト教の臨終の床で

真に活動的な人間は、現在内面的にキリスト教を持っていない。そして一層穏健で、一層観想的な、精神的には中流階級の人間は、整頓されたキリスト教、つまり驚くほど単純化されたキリスト教をかろうじて持つにすぎない。 曙光 92 序 確かニーチェは、本来のキリスト教徒らしいキリスト教徒はイエス・キリストだけであるというようなことをどこかで書いていました。 イエス・キリストを離れたキリスト教は、歪んで歪みつつ資本主義という形で現代にも残っています。ウェーバーのプロ倫なんかでプロテスタンティズムと資本主義の関連性が書かれています(

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悪い食事に反対

悪い食事に反対ということで、腹の健康などについて書いていこうと思います。 個人的には白米が大好きなのですが、どうしても白米の代替物として小麦製品を食べる機会が続くと腹の中にグリップがかかり、腹の具合がおかしくなります。 といいながら、素晴らしいことにこの数年間はほとんど腹痛にみまわれたことがありません。 人生で一番辛い瞬間は、腹痛の時だと今でも思っています。 ゆかたビフォーアフター(下痢促進着である浴衣と懺悔タイム) 第七日に(七日間続いた下痢) そのおかげとあってか、若いときから辛いような瞬間が訪れても腹痛との相

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損失

悲嘆を抑制し、ちょうど高く暗い糸杉の下のように沈黙して歩む崇高さを、魂に分かち与える損失が多々ある。 曙光 570 損失ということで、人生の無駄についてでも書いていきましょう。 世の中にはたくさんの無駄があります。結果的にそんな無駄な経験があとになって良い経験として解釈されることもありますが、特に大人になってからの無駄な経験は身を滅ぼすようなものがたくさんあります。 そしてそれが無駄だということを頭ではわかっていてもやめられないということもよく起こります。 その原因は無意識の中にあるプログラムのような法則性です。そ

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悲惨に耳をふさぐ

他の人たちの悲惨と苦しみのためにわれわれが陰鬱な気持ちになり、われわれ自身の空を雲で覆うのなら、だれが一体この陰鬱の結果を引き受けなければならないのか?まさしくやはり他の人たちである。 曙光 144 序 ある感情が起こった時、その感情を自らが受け入れぬまま人と会うことによって「感情から目をそらす」ということをよくやっている人がいます。 人の暗い話を聞くと、聞いた側までも暗くなってしまいます。ということは、いつも周りにグチグチ言っているような人は、一種の害ということになります。 人から暗い話をされたときに取る対応は、

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健康保護のために

犯罪者の生理学を考察し始めるや否や、犯罪者と精神病者の間には本質的な区別がない、という避けがたい洞察の前にすでに立つことになる。 曙光 202 序 思考によって生じた嫌な感情、抑圧されたエネルギーが吐出口を求める時、その人の気質が外向的であれば暴力的に、犯罪の方に走り、内向的であれば自傷行為に走る傾向にあります。 そう考えると、犯罪者も精神病患者も元のエネルギーの質としては同じようなものを抱えているという感じになります。 うつ病などにしても、それが一瞬で治ることがあるケースにおいては、一般にイメージされているような

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古本屋

(2006年10月10日02:09) 先日、神戸に行ったときにたまたま寄った古本屋の様な本屋は近くに無いかと思い返してみた。 あった。 すぐ近所に。 立ち寄ってみた。 大抵の古本屋は小説と漫画ばかりで、岩波文庫すらあっても文学系しか置いていない事が常である。 近くの図書館も京都市中の図書館の本が巡り巡るとは言え、私好みの本はなかなかやって来てはくれない。 まあ取り寄せてもいいのだが。 この類の古本屋に行くと、見たことの無いような類に出逢えたりで好奇心を擽る。 書物の歴史を感じさせる褐色の店内は、その色彩とマッチする

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夜櫻

(2007年04月08日19:24) あいにくの小雨。 近々行こうと約束した花見へと向かう。 自宅まで拾いに行った頃には止んでいた。 例年通りの北区某所は外して自転車で嵐山へ。 異常に交通量の多い三条通を西へ。 途中、もう一人の参加者と合流。 コンビニへ入り、ビールを買って店前でとりあえずの乾杯。 男三人もなかなか楽しい。 多少の無茶は全く気にならない。 そんな不思議な空気になる。 誰かがボケれば絶妙のツッコミがくる。 そんな安心感で溢れている。 嵐山特有の妖艶。 何回来ても拭えはしない。 そこに咲き乱れる淡い色彩

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天体望遠鏡

(2007年05月11日01:06) 大坂方面に行く機會があつたので更なる刺戟を求めて天體望遠鏡を買つてみた。 流星群を觀に行くには雙眼鏡の方がいい。 でもやつぱり昔から欲しくてたまらなかつたので心の聲に從つて店先に足を運んだ次第である。 集光力云々、有效最高倍率云々。 あまりに訊ねる僕に店員はほとほと困つてゐたに違ひない。 そんな陰りは寸分も見せず、丁寧に說明してくれた。 星座や星の名前などはそんなに知らない。 でも何故か流星群の名前とシーズンは覺えてゐる變な僕。 昔、當たり年に觀たしし座流星群が忘れられないのか

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猛禽の眼と猛禽の思考

猛禽の眼 見えないものが次々と見えるようになると、 なんだか眼から光が出ているんじゃないかと、 そんな錯覚を覚える。 良くも悪くも見える。 見たくない。 そんな泣き言は通用しない。 これが僕の望んだ世界だ。 ずっと待ち望んだ景色だ。 愚者の道には戻れない。 ひたすら先に待ち構えるのは。 果てしない距離。 辿り着くか見当もつかない光。 おそらく僕には狩猟の血がめぐっている。 遠く先の獲物を貪り屠る本能が眠っている。 僕の犬歯は恐ろしく鋭い。 肌に合わないことは避けていこう。 最近はオセロがとにかく楽しい。 そして黄金

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過ぎ去りし豪雨に捧ぐ

(2008年06月09日02:55) 俺も、空飛んでいいか。 機械を使うと、機械に気を使うから嫌なんだ。 誰に可愛がられなくても、一羽の猛禽がいい。 勇猛に凛と立ち、時に大空と一体になる。 全てが鳥瞰図に見えてもいいだろう。 醜さも憂いも傍観しようじゃないか。 戯言はもういい、御託も聞き飽きただろう。 雨音が漏らす吐息に、その誘惑に溺れてみよう。 美しきものは純粋で、官能的でなければならない。 関連しているかもしれない記事です: Kさんちのうさちゃんと我が養子 角家の兎 2007年01月31日03:31 よく通る道

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tune

(2007年04月10日04:17) 僕はよく歩く。 なので通りがかりに古本屋などがあると迷わず入る。 20冊ほど抱えて出てくる。 そんな風にして生きているものなので、部屋にはまだ読んでいない山積みの本がある。 図書館にありそうな本はあまり買わない。 でも新刊も買わない。 最新作が良作とは限らない。 幾ら目利きになっていったとしても十冊中の数冊はハズレたりする。 然し、作品が古いから使い物にならないと言うのは聞いた事が無い。 法改正前の本を読んでも思想と解釈、その時代の倫理観くらいは摑めるし、多少無茶を言うならばそ

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若き日のbossu 2005年12月~2006年1月

養子のうさぎが亡くなってからというもの、彼と出会う前の僕と今の僕がつながってきたような感覚に陥っています。 そう言えば、本ブログは僕の集大成サイトにもかかわらず、まだ集めきっていない思考の痕跡があることを思い出しました。本当に一部のものは本ブログに移管してありますが、なるべく本格的にちょろちょろ移管しておこうと思います。 ということで、この投稿は「若き日のbossu 2005年12月~2006年1月」という感じでいわば番外編です。番号がつくようなタイトルのもので言えば「ゼロステージ」というような感じです。 さて当時

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神の誠実

全知全能であり、しかも自分の意図がそれから想像されたものによって理解されることを配慮さえしない神、― それは慈悲の神であろうか?数かぎりのない懐疑と疑念を、人類の救済にとって危険なものでないものであるかのように、数千年も長いこと存続させる神、しかも真理をつかみそこねた場合には、再び最もおそろしい結果を約束する神が?真理を持っていて、人類が真理を求めて悲惨に苦しむ状態を観察しうるのは、残酷な神ではないのか?― しかしおそらくそれはやはり慈悲の神であるであろう。― 彼はただ自分をそれ以上にはっきりとは表現することができ

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あらゆる謙遜の限界

不合理なるがゆえに私は信じると語り、その理性を犠牲に供するような謙遜は、おそらくすでに多くの者がなしとげたであろう。しかし私が知るかぎり、それからともかく一歩だけ離れていて、私が不合理なるがゆえに私は信じると語る、あの謙遜をなしとげた者はいない。 曙光 417 あらゆる謙遜の限界ということで、謙ることについてでも触れていきましょう。 慇懃無礼という言葉があるように必要以上の謙りは一種の皮肉となり、時に相手に対して失礼になったりします。 謙遜はマナーのひとつとして考えられていますが、己の深いところでの信念まで曲げてし

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最悪の敵はどこにいるか?

自分の仕事を立派に果たすことができ、そのことを意識している者は、その敵に対して大ていは和解的な気分を抱いている。しかし、別個の立派な仕事をもっていることを信じていながら、それを守ることに巧みでないということが分かると、― 自分の仕事の敵対者に対する怨恨の念にみちた和解できない憎しみが生まれる。― 各人はそれに応じて、自らの最悪の敵がどこで求められるかを見積もるがよい! 曙光 416 人類史上、最も優れた発明は「ゼロ」の発見であるということを言う人がいます。しかしながら一方で、その「ゼロ」は、数学的には偉大な発明であ

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貴族の将来

高貴な人々の挙動は、彼らの身体の中で、絶えず力の意識が魅力的な演劇を演じていることの表現である。そこで、貴族的な風習の人間は、男性であれ女性であれ、さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌いである。 曙光 201 序 先日の投稿「貧困に耐える」で触れた貧乏マインドの反対にあるのがこうした貴族的な風習です。 まあまた新約聖書マタイ6章的ですね。引用しておきましょう。 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っ

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孤独な人々に

われわれが他の人間の名誉を世間の目の前で大切にするのと同じように、独言を言うときにも大切にするのでないならば、われわれは行儀の悪い人間である。 曙光 569 孤独な人々と独り言、ということで、稀に誰に話すわけでもなく一人でブツブツ言っている人について書いていきましょう。 僕は昔から変な人が好きです。およそ誰からも相手にされていないような、世間で言う変人の人には積極的に声をかけていました。ということでおそらく僕も変人なのです。 仲間内で前日のスポーツ報道や今朝のニュースの話をしているような、いわゆる「普通の人っぽい人

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愛の治療法

相変わらず大ていの場合愛にはあの古い荒療治が効く。愛し返すことである。 曙光 415 愛の治療法ということで、冷めた男女の治療法についてでも書いていきましょう。 よく復縁がしたいとか、冷めた男女仲をなんとかしたいという人がいますが、もしそう思うなら、たったひとつのことだけに思いを馳せておくことです。 それは「今からどうありたいか」です。 そこに過去を持ち込んではいけません。 あの時はこうだったとか、この時はこうだったとか、そうした相手に対する認定があるはずです。 そしてその認定や記憶と現状とのギャップに苦しんでいる

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貧困に耐える

貴族の素姓の大きな美点は、その素姓が貧困をよりよく耐えさせることである。 曙光 200 貧困と貧乏マインドは相関関係どころか因果関係ですらあります。 寄付をすると金持ちになる、というようなことが囁かれる場合がありますが、問題はその行動ではなく、その行動時のマインドにあります。 その理屈は非常に簡単で、貧乏マインドなら「惜しい」と思い、「数限りあるお金が減っていく」ということや「その分を稼ぐにはまたあれほどの辛い思いをしなければならない」というようなことを思い浮かべるからです。 実際に寄付をするのかしないのかという行

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利己主義対利己主義

利己主義対利己主義と、これはまあ面白みのあるタイトルです。 社会の中で議論されているような題材のことは、概して利己主義対利己主義で、社会目線の議論の中で、より優れた理論を武器に結局他人を説得しようとしているものにしかすぎません。 もし、「何が正しいか?」ということに対して思索が動き出したなら、次のように考えることをおすすめしておきます。 「これは私にとって正しいのか?」 ということです。 何かの基準を元に行動を選択するということを常々しているはずですが、そうした基準を持つ際に「社会性」を徹底的に排除すべきなのです。

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詩人と鳥

不死鳥が詩人に、灼熱して炭になろうとする一巻を示した。「驚くな!」とそれは言った。「これは君の作品だ!それは時代精神を持たないし、いわんや時代に逆らう人々の精神などは持っていない。従ってそれは焼かなければならない。しかしこれはよい徴候である。多くの種類の曙光がある。」 曙光 568 ここで曙光という言葉が出てきましたね。 さて、詩人と鳥です。その両方に関連したことが思い浮かべばいいのですが、「Mrベーター」の「鳥よ鳥よ鳥たちよ。丹頂鶴はさ…」しか思い浮かばないので、ひとまず詩人について触れていきます。 国語の臨時教

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この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!

他人たちに対する愛着と配慮の衝動(「同情的好意」)が現在の二倍の強さになるとすれば、地上では全く耐えきれないであろう。日々刻々、各人が自分自身に対する愛着と配慮からどんなに数々の愚行を犯すか、またそのとき彼がいかに耐えがたいものとみられるかを、まあちょっと考慮するがよい。 曙光 143 前半 人に止められてでもやってしまうこと、それが良い方向に動けば偉業が成し遂げられ、悪い方向に向かえば我が身を滅ぼすことになりかねません。 やる気が続くか続かないかは、よほどの達人が脇につくかマインドコントロールを行うかというレベル

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