われわれ初心者!

俳優が他の俳優の演技を見るとき、彼は何と一切のものを推測したり見て取ったりしていることだろう! 中略 他方画家が、彼の前で動いている人間をどんなに別様に見ることであろう! 曙光 533 抜粋 合気道の袴は、相手に膝の動きをさとられないためにブカブカであると聞いたことがあります。 一方、画家はピカソ等々平面空間を抽象的に統合して捉えたりしています。 さて、「われわれ初心者!」です。初心者ということで「初心者と学力」あたりから進めていきましょう。 誰しも初めてやることに関しては初心者であり、そうした時は「何がわからない

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必要な犠牲

「何かを成し遂げるためには、何かを犠牲にしなければならない」 はい。体育会系ですね。 ということで、特に何かを成し遂げなくてもいいですし、何かを犠牲にすることもありません。犠牲がないと何かを手に入れなれない、というようなことを思う必要はありません。 必要な犠牲ということで、何かのためには、何かしら犠牲が必要であるという様な論調がよくあります。 犠牲が必要だとか、必要悪だとかそういった類のやつですね。 それは本当なのでしょうか? 犠牲の必要性を説くために、すぐに有名人を出して犠牲を美徳化しようとします。客観的に見た感

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「愛は平等にする。」

愛は、それが一身を捧げる相手から、よそよそしさの感情をすべてなくそうとする。したがって愛は偽装と擬態とで満ち満ちている。愛は絶えず欺き、実際には存在しない平等のお芝居をする。 曙光 532 前半 平等ということなので、絶対的なモノの見方と相対的なモノの見方についてでも書いていきます。 平等が語られる時は、だいたい社会目線です。経済学の永遠のテーマとされる、ピザを均等割りするのか、体格に合わせて分けるのかといった分配なんかも社会的です。 ほとんどの場合、「平等」という言葉は、弱者側からの説得材料として使われる程度で、

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体を軽くして1ミリずつ楽になろう

うつに関しては、意識的なアプローチが一番で、一瞬で治すという感じで言えばもちろん錯覚へのアプローチなのですが、アイツの内にいる場合は、「ひとまず何とか、何かをしなくてはならない」と焦ってしまいます。 本当は「何かをしなければならない」ということのほうがアイツの屁理屈で、行動や条件などいらないのですが、 「それではどうすればいいのか?」と、ひとまずアイツの騒ぎに振り回されてしまう人もいると思います。 「何もしないってのもなぁ」 なんてな感じで、「何かをすること」が必要だという焦燥感がある人もいるでしょう。 ということ

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感情を認めその中に飛び込もう

前回のうつテーマでは、嫌いなものは嫌いと認めようなんて感じで、感情に蓋をするのはやめましょう、というような内容を書きました。 その続編のような形で、感情エネルギーについてでも書いていきましょう。「感情を認めその中に飛び込む」というようなものです。 感情が騒いだ時であっても、基本的に本当は何もしなくていいのですが、「何とかしなくてはならない」という変な執着があるはずです。 ということで普通、嫌な感情がやってきたら「感情を消そう」としてしまいます。 でも、そうした消そうという姿勢自体が一種の抵抗であり、抵抗している限り

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芸術を別様に感じとる

人々が孤独でありながら交際し、吸収しながら吸収され、深く実り豊かな思想を持ちながらも辛うじてその思想を抱くだけで生きる時代となって以来、人々は芸術からもはや決して何も望まないか、あるいは以前とは全く違ったものを望むかである。 曙光 531 前半 そう言えば先日、今 敏さんが出演されている番組の動画を見ました。20代前半の頃に「妄想代理人」を観てからというもの、一気にハマり、全作品を観ました。既に故人ですが、大好きなアニメ映画監督です。パプリカや東京ゴッドファーザーズもいいですね。 今敏さんも、そして僕の周りの全ての

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思索家の廻り道

多くの思索家にあっては、その思索全体の歩みは、厳しく、仮借(かしゃく)なく、大胆であり、それどころか、時々自分に対して残酷である。しかし細部にわたると、彼らは穏やかでありしなやかである。 曙光 530 アイツこと自我は、危険回避を中心に汎用性の高い法則を好みます。 そういうわけで、若いときから様々な物事に対して「どうやったらいいんだろう?」という疑問がわくたび、「バッチリな答えはないかなぁ」なんてなことを思い、思索を繰り返してきたのではないでしょうか。 一人で思索することもあれば、誰かに相談して知恵を借りようという

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どの程度まで同情を警戒しなければならないか

同情は、それが実際に苦しみを作り出すかぎり― そしてこれがここでわれわれのただひとつの視点であるが―、およそ無害な感動に迷いこむことと同じように、ひとつの弱さである。同情はこの世の苦しみを増大させる。 曙光 134 序 人に影響を受けてしまうということは、この心の状態に関して他人が条件となっており、また「人に影響を受けたくない」という抵抗感も、人からの影響を示していることになります。 そして人を励ますという場面においても、根底に同情があり、「○○だから大丈夫だ」と慰めてしまった場合、「○○」についての執着が増してし

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人間と国民は何によって光沢[ツヤ]が出るか

われわれがそれを行う前に、誤解されることを見抜いたり邪推したりするために、どんなに多くの純粋に個人的な行為が中止されることであろう! 曙光 529 前半 まれに、自分で「交渉上手だ」と思っていながらも、結局損をしている人がいます。 確かに「厚かましいお願い」でも、プラス10%くらいのオマケなら、ゴリ押しで何とかなります。 でも短期的には得をしても長期的に見ると損をしている人が案外多いのです。 「厚かましいお願い」やゴリ押しで、その場は得しているように見えますが、結局大きなものを失うという感じになっていきます。 とい

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考えうる将来から

すごく単純なことなのですが、「夢と責任」などで、安易に夢を聞くこと自体が夢を潰している可能性があるということについて触れたことがあります。 幼い時、若いときの少ない情報量でカテゴライズされた中から一つを選ばせるということは、視野を狭め、その他の可能性を排除することになりかねないからです。 そんな時期に「将来の夢は何?」と聞くことは、様々な分野、可能性への興味関心を奪ってしまう可能性があります。 さて、僕が小学校低学年の頃は、インターネット自体が存在していませんでした。おそらく一応存在はしていましたが、まだまだ軍事利

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めったにない節制

他人を判定しようとせず、他人について考えることを拒むのは、しばしば人間性の少なからぬしるしである。 曙光 528 めったにない節制ということで、浪費家についてでも書いていきます。 節制は、浪費の対極にあるものであり、必要な消費に関して惜しむことはありませんが、必要ではない浪費は一切しないという感じです。必要なものすら出し惜しみするというのは吝嗇、つまり「ケチ」であり、節制とはまた異なった概念になります。 節制家の対極にあるもちろん浪費家であり「お金を貸す人借りる人」で触れているような、すぐにお金を借りてしまう人です

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隠れた人たち

世の中では表舞台に立たずに黒幕に徹している人たちが結構います。 そうすることで、ふとした時の怒りの矛先が自分に向くこともないからです。 意図的に誰かを担ぎ上げているというわけではなく、そうした人を自由に泳がせて、間接的にサポートする形で表舞台に立たせ、いいように使っているという場合もあります。 あえて表には出てこない隠れた人たちは、世の中を動かしつつ「世間からは隠れているため、怒りの矛先が自分たちには向くことはない」という構造をうまく利用しています。 黒幕に徹する理由 企業などの組織でやたらと階層・階級などもが多い

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教育

教育とは生殖の継続である。またしばしば、一種のあとになってからの生殖の体裁つくろいである。 曙光 397 以前どこかで書いたと思うのですが、子孫を残そうとする生殖行動自体がDNAレベルで自分の情報を残そうとするということの表れなのであれば、書籍などはもちろん「自分の名前のついた橋」なんかを作ろうとすることも、後世に情報を残すという意味で生殖行動と変わらないという感じです。 ということで教育も生殖行動と変わりありません。もちろんブログの投稿配信も一種の生殖行動です。 何某か情報を後世に残そうという感じの部分があります

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象徴であることを望まない

大物であれ、という不断の強制によって、彼らは結局事実上儀式張った零に等しい者になる。そしてこれが、象徴であることに自分の義務を見出すあらゆる人たちの常である。 曙光 526 後半 今は亡き大物芸人が「いつまでこのキャラ続けなあかんのやろ」と嘆いていたというのは知る人は知る話です。 世の中ではキャラ付いていたほうが、覚えられやすく得をすると思われていますが、そうした場合世間の短期的な暇つぶしの踏み台とされ、消費されてすぐに終わっていきます。 すぐに小学生やB層にマネをされるようなわかりやすいキャラ付けがなされると、そ

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狩猟

あの人は快適な真理を捕らえようとして狩猟をする。この人は― 不快な真理を。しかし前者もやはり獲物よりも狩猟の方が好きなのである。 曙光 396 狩猟ということで「狩猟免許」の案内を思い出しました。狩猟の発想から、食物連鎖の域を越え、特定の動物を経済動物と呼んだりすることで、己の良心を説得しながら、己の快楽を追求しています。 そう言えば先日銭湯に行った時にテレビがついていて少し見ていたのですが、福島かどこかで猪が街中をウロウロしているという特集でした。 事あるごとに、「猪が悪い」と結論づけようとしますが、別に猪が悪い

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賞賛の効果

ある人たちは、大きな賞賛によってはにかみ、他の人たちは、あつかましくなる。 曙光 525 誉めることは素晴らしいと語られていることがありますが、僕は誉められて喜んでいる人を見ると、冷めた目で見てしまう癖があります。 本気で反応しているのではないという場合ではそんなこともないですが、誉められて喜んでいる人を見ると、「かわいそうだなぁ」と憐れみの気持ちで見てしまいます。 結局は他人からの評価で生きているということですから。 賞賛を真に受けると相手の力、影響力を認めることになる こうした「賞賛」にしろ「何かしらの評価」に

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孤独な人たちの嫉妬

これはおそらく孤独を愛する文化系特有なのですが、嫉妬でも羨望でもない特殊な感情があります。 嫉妬は、「自分もそのように評価されるべきなのに、まだ評価されていない」という時に起こり、羨望は同一のフィールドにありながらも「すごいなぁ。でもこれは自分では届かないや」というような感情です。 ただ、「こんなものを作れてすごいなぁ」「ここまでこんな表現をしてしまうなんて」と何となく悔しくなるような、でも、別物だから悔しいとはまた違う、そんな変な感情があります。 文化系の特徴はランキングが通用しないことです。 売れればすごいとい

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背後の問題

ある人間がいくら明らかにして見せても、人は次のように問うことができる。それは何を隠しているのだろう!それはどこから眼差しを逸らさせるのだろう?それはどんな偏見を刺戟するのだろう?そしてそれからさらに。この偽装の精巧さはどこまで及ぶのか?そしてその際どこで彼は失敗するのか? 曙光 523 とにもかくにも、ほとんどの場合、議論の裏には感情が隠れています。 やれ常識だ、理論だというものを持ち出していた場合でも、その奥には主義思想、それも感情的なものを源流としてあれこれ言っているにすぎないことがほとんどです。 まれに、きち

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耳をもたない賢明さ

われわれについて語られたり、賞賛されたり、非難されたり、期待されたり、希望されたりしても、それに耳を傾けないようにしよう。それについて考えることすらしないようにしよう! 曙光 522 後半 耳をもたない賢明さということで、人を意識したり、人の意見に翻弄されることのない賢明さについてでも書いていきましょう。 人を見返してやろうとか、人の期待に応えようとか、そうしたことを繰り返している限り、大したことはできませんし、心の安穏を感じることはできません。 「人から影響を受けてしまう」というのは、ある地点に到達しない限り避け

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「もはや私のことを思わない。」

まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼がまったく好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛び込むのは、なぜか?同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。― と無思慮がいう。 曙光 133 序 「サービス精神で世話をすると、相手の欲を刺激してしまうことになるのだ」 最近はそんなことをよく感じます。 考えてみれば、不良のお母さんは、その人をよくよく世話していたりします。世話をすればするほど、相手はそれが当然だとも思ってきますし、恩を感じるどころか「

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例外で虚栄心が強い

あの人にはひとつの高尚な性質があり、それが自分の慰めになっている。彼はその本性の残余を― ほとんどすべてが残余である!― 軽蔑的にちらっと一瞥する。しかし彼はいわば自分の聖殿に行くなら、自分自身から回復する。 曙光 521 前半 いわゆる宗教やスピリチュアリズムは、ルサンチマンの典型例であり、何か別の基準を採用して自らの自尊心を高めようとする構造を持っています。 特にヒエラルキー(階層)を持つような構造の場合それが顕著です。そう考えるとまさにヒエラルキーの象徴であるテクノクラシーの世界(官僚制ね)、も自分の位置によ

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永遠の葬式

永遠の葬式ということで、葬式の話でもします。 つい昨年の今頃、おばあちゃんが亡くなりました。これで全てのおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったという感じです。 ということで、このシーズンになるとおばあちゃんのことを思い出します。 実家建て替えの間、少し離れたところに住んでいたのですが、その頃毎朝おばあちゃんの自転車の後ろに乗って小学校前まで送ってもらっていたことをよく思い出します。 そんなおばあちゃんと最後に観たテレビ番組がブラタモリの「会津磐梯山」の回でした(病室にて)。ということで、なぜか五色沼に行きたくなります

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あらゆる精神は結局肉体的にあきらかになる

ある程度の年齢になると、「自分の顔に責任を持て」なんてなことが言われることがあります。 まあ確かに普段どんな表情をしているかによって、顔の形なんかは変わりますから、それも確かにそう言えることでしょう。 目元や口なんかは顕著に出ますね。そしてあとは脂ぎり方です。 Z会は概して「なぜかいつでも脂ぎっている」という特徴があります。体型は関係ありません。概ね頭や顔が光り輝いています。 さて、光り輝くという点について、肌艶を良くしようと、肌そのものにベタベタ塗る人がいますが、こうした点については、そんなことをするよりも腹を鍛

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欺かれる

諸君が行為しようと思うや否や、諸君は懐疑への扉を閉ざさなければならない、― と、行為する者がいった。― しかし君は、このようにして欺かれた者になることを懸念しないのか?― と、瞑想的な者が答えた。 曙光 519 欺かれる(あざむかれる)ということで、「選択肢から選ぶ」ということをもって欺かれてしまうという面についてでも書いていきましょう。この「欺かれる」の「欺」は、もちろん欺くことであり、詐欺の欺です。 だいたい思考が働いている時は行動がストップします。 道が二手に分かれていて、どちらにしようかと検討している時は、

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諦め

諦めとは何か?それは病人の最も気楽な状態のことである。彼はそれを見つけようとして長いこと苦悩して輾転反側し、そのために疲れた― そしてそれをはじめて本当に見つけたのである! 曙光 518 輾転反側(てんてんはんそく)=悩んでいたり、心配事があって、何回も寝返りをうつという感じです。 さて、「諦め」です。 人生は諦めが肝心です。この諦めとは絶望という要素を含んだ諦めというよりも、執着を手放すという意味での諦めです。 執着はそれ自体が苦しみですし、現在「不足している」とか「余計な状態が続いている」という意味で、欲や怒り

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