別の隣人愛

激し易く、騒がしく、むら気で、神経質な人は、大きな情熱の反対である。 曙光 471 序 「隣人愛」といえば、新約聖書を読んだことのない人でも知っているような「あなたの隣にいる人を愛しなさい」というものですね。 しかし相手の要求には応えても応えなくても構いません。 愛することと、何かの要求に応えることは別物です。 そして「愛とは何なのか」という点も曖昧です。 要求に応えることが愛ではない 例えば、ギャンブル狂いの人の要求に応えることが愛なのでしょうか。 「もう一回勝負をかけるから金をくれ」とか、「あとちょっとで勝てる

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曙光(ニーチェ)がようやく折り返し地点です

ニーチェ全集7「曙光」の各節題目表からタイトルを拝借するという旨で始まった特別企画 その5ですが、予想通りロングランです。現在575の節のうち半分通過の288の投稿が終わったところです。 スタートは昨年2014年の10月27日です。第一発目の「つけ加えられた合理性」からだいたい10ヶ月が経ちました。 10ヶ月で半分です。やはり途方も無いロングランですね。曙光の各節自体は長いものは数ページに渡っていたりしますが、数行のものもたくさんあります。このままのペースで行くとおそらくニーチェ以上に書くことになるでしょう。もしか

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大勢の饗宴で

社長同士の集まりというのは、従業員時代には想像もつかないほどたくさんあります。おそらくその気になれば毎日何かに参加できるのではないかというほどです。毎日数件ずつまわることすらできるほどです。 しかし、もう酒の席はほとんど断っています。 やはりシラフで話込めない人とは、どうせ深い関係にはなれないような気がするからです。しかしそれ以上に自分自身が酒を飲まなくなったことが理由です。 ひとり一人との会話は浅くなる もう一つの理由は、どうせ大勢で集まった所で、全員と絡むとなるとひとり一人との会話は浅くなり、結局仲の良い人とだ

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最もよい約束の仕方

ある約束がされるとき、約束するものは、言葉ではなく、言葉の背後にあって言い表されないものである。それどころか、言葉は約束を弱めるのである。約束をするあの力の一部分にあたる力を放出し、消費することによって。諸君はそれ故に手をさしのべ、同時に指を口にあてよ。― そうすれば諸君は最も確実に誓うことになる。 曙光 350 最もよい約束の仕方というものは、何か相手から約束事を提案された時は黙ることです。 断る場合は断って、了承する場合も黙りこむ、そうすれば万が一約束を果たせなかった時でも、嘘をついたことにはなりません。 しか

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諏訪湖の夜景

心にググっと群馬県 2015 番外編(京都から群馬・栃木まで)

さて、「心にググっと群馬県 2015 番外編」と題しまして、昨年と同じく番外編です。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 番外編 毎度のことながら、「心にググっと群馬県」と言いながらほとんど道中のことについてばかりになります。しかしながら、まずはやはり、関連したような事柄から。 初めて見る野菜たち 尾瀬市場農産物直売所にて いつも旅に出ると道の駅だけでなく、その地元スーパーなどに行くことにしています。それは海外でも同じです。 そういうところに行くと、見たことのないような野菜などと出会えます。百貨店などでは置い

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いろは坂のヘアピン

やすらぎの栃木路 2015 いろは坂

人生初めての栃木県です。と言ってもイニシャルDのエンペラーのエボ3乗りの須藤京一やMR-2・MR-Sの小柏カイのホーム「いろは坂」のみなので入り口だけです。 栃木県のキャッチコピーは現在「本物の出会い」ということになっているようですが、一歩間違えれば胡散臭いネットのバナー広告やもっと胡散臭い週刊誌の裏表紙の広告などに使われそうなコピーなので、「いいひといいことつぎつぎとちぎ」か「やすらぎの栃木路」かということで、タイトルは「やすらぎの栃木路」になりました。 赤城山の大沼から群馬県道251号沼田赤城線を進んで日光いろ

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赤城山 大沼

心にググっと群馬県 2015 赤城山と大沼

妙義山、榛名山と並んで上毛三山残るひとつの赤城山です。赤城コースは群馬県道4号線ですね。とにかく勾配があり、「標高500m」というモノが見えたかと思えば、すぐに「標高600m」「標高700m」と、上りの時はぐんぐん標高が上がって行くのがわかります。 急な気圧の変化が激しく、進む度に二リットルの水のペットボトルが、「ポコッ」っと音を立てて変形していきます。ちなみにモルツの水源である赤城山にちなんで、サントリーの天然水の話をすると、京都では「奥大山の天然水」なのが、岐阜くらいから「南アルプスの天然水」などに変わっていき

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伊香保温泉石段下

心にググっと群馬県 2015 伊香保温泉

「秋名下り」こと群馬県道33号線(渋川松井田線)を榛名湖から渋川方面に下ると伊香保温泉街に着きます。県道33号線から15号線に行くと水沢うどん街に行くこともできます。 伊香保温泉の存在を初めて知ったのは、ビジュアルバムの「都」です。 伊香保温泉には、「黄金(こがね)の湯」と「白銀(しろがね)の湯」がありますが、元祖黄金の湯だけ三回入ってきました。 たくさんの温泉旅館があり、また、日帰り温泉もたくさんあります。 伊香保温泉観光案内図 伊香保温泉の石段 伊香保温泉といえば日本最初の温泉リゾート街です。そして伊香保温泉と

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榛名湖(榛名山)

心にググっと群馬県 2015 榛名山と榛名湖

毎度の事ながら榛名山にはもちろん行くのですが、「秋名下り」の溝落としは夜のお楽しみということで、昼間の榛名山・榛名湖に行きました。 溝落としとか溝走りとか言われる側溝に引っ掛ける走り方は、この付近に行かないとあのタイプの側溝自体がありません。イニシャルDの実写版も「秋名」の撮影は新潟のようですが、このタイプの側溝はおそらく近畿圏にはありません(個人的に確認したことはありません)。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 榛名~伊香保~赤城 さて、まずは榛名山ロープウェイです。 榛名山ロープウェイ 榛名山ロープウェ

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心にググっと群馬県 2015 妙義山

心にググっと群馬県 2015 妙義山

「碓氷と妙義は目と鼻の先だ」と言ったことを妙義ナイトキッズのR32使い中里毅が言っていたような気がしますが、碓氷峠と妙義山は確かに目と鼻の先です。 ちなみに「富岡市妙義町中里」という地名もあります。初めてこの辺りを通った時に偶然標識をみつけて思わず微笑んでしまいました。 昨年は、碓氷と妙義をひとまとめにしてしまいました。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 碓氷~妙義 朝から出発はしたものの、「腹が減ってから『おぎのや』に行って、それから『アプトの道』に行こう」 ということで、先に妙義を往復してからアプトの道

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心にググっと群馬県 2015 碓氷峠「アプトの道」

心にググっと群馬県 2015 碓氷峠「アプトの道」

なぜか毎年恒例になりつつある、盆明けの「群馬ツアー」です。 今回は1500キロほど走りました(4日半、1515km)。 さて、「心にググっと群馬県」第一発目は、長野県軽井沢から群馬への玄関口、「碓氷峠」です。碓氷峠には当然昨年も行きました。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 碓氷~妙義 碓氷峠といえば、有名なのがやはり「めがね橋」こと碓氷第三橋梁です。 このめがね橋上は、「アプトの道」として歩くことができます。前回もめがね橋の上に登り、「碓氷コース」を眺めたりしましたが、今回はいっそ「このアプトの道をもう少

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賢者の非人間性

すべてのものを粉砕する賢者の重い足どり― 仏教の歌によると、「犀のように孤独に歩む」― には、時々和解的で穏やかな人間性が必要である。しかもあのいっそうすみやかな足どりや、才気あるあの愛想のよい社交的な言い回し方ばかりでなく、機智や一種の自己嘲笑ばかりでなく、矛盾さえも、世に行われている不合理へと臨機に復帰することさえも必要である。宿命のように転がって進む地均らし機(ローラー)に類似しないためには、道を説こうとする賢者は、自分を繕うために自分の欠陥を使用しなければならない。彼は「私を軽蔑せよ!」ということによって―

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美の国は一層大きい

「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。 しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされる」だけの問題です。 日本と同化する必要はない さて、日本人だからといって、日本とイコールではありません。ただ日本に生まれたからといって、日本と同化する必要はありません。 小学生の時から「戦争モノ」を

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二度の忍耐

「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の中には同情する割に何もしないという人がいます。もちろん同情したからといって、何かをする義務はありません。 しかし、ある動機から「同情」はするのに、解決策などには何の手助けもしないというタイプがいます。

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懐疑家を安心させるために

「私は、私のなすことが全くわからない!私は、私のなすべきことが全くわからない!」― 君は正しい。しかし次のことは疑うな。君はなされる!いかなる瞬間にも!人類はいつでも能動態と受動態とを取り違えてきた。それは人類の永遠の、文法に関する誤りである。 曙光 120 まさに核心のような事を言っています。 「能動態と受動態を取り違えている」 つまり、「私は、『なす』」と「私は、『なされる』」の違いです。 換言すれば、やっていると思っていることもやらされているだけで、その反応を受け取っているだけ、というようなことです。 この「

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そんなに重要ではない

人の死を見守ると、われわれには通常ある考えが浮かぶが、われわれは直ちにその考えを作法通りという不適切な感情によって心の中でおさえつけてしまう。すなわち、死ぬという行為は、一般に畏敬の念で主張されているように重要であるのではなく、また死んでゆく人は、彼がここでまさに失おうとしているものよりも、おそらくもっと重要なものを生きている間に失ったことであろう、という考えである。結局はここではたしかに目標ではない。― 曙光 349 おじいちゃんやおばあちゃんが死んだ時、意外に涙は出ませんでした。 人生で一番泣いたのはインコのピ

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近代人の養育

すべてを食べる人間は、一番上等の種ではない。 曙光 171 中 うまい飯屋を「知っているだけの人」の類については、さんざん触れてきました。 しかし、味覚など本人の感性しだいであり、結局は頭の中で合成しているだけのことです。錯覚させようと思えばできてしまうことです。 しかし錯覚させなくても、たとえば白米や塩などであっても、よくよく味わうとなると、味を追いかけるのに相当の集中力が必要になります。 本当に集中して食べると、ご飯だけでもものすごく味が変化します。 ということで、「映画を観ながらのポップコーン」などはやっては

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名声の中の損失

未知の者として人間に語っても差支えがないということは、何という利点であろう!神々はわれわれから匿名を取り去って、われわれを有名にする場合、「われわれの徳の半分」を取り去るのである。 曙光 466 有名になることの何がいいのでしょうか。むしろ匿名の方が重荷はありません。 「誰々が語った」というラベリングは、利便性があるようで、それ以上に本質を覆い隠してしまうことがよくあります。 確かにある文章の解釈にあたり、誰が発した言葉かということを捉えることで単語の定義などへの「ぶれ」は少なくなるかもしれません。 芥川龍之介氏の

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われわれがやはりそうであるとおり!

「われわれ」といっても男性限定ですが、われわれ男性はやはり男性である限り、超えなければならない壁というものがあります。 ○玉との主従関係ですが、その点については何度も触れています。 それは非常にハードルが高いのかも知れません。 そういうわけで、今回は「まずは義務教育程度のモテテクから脱しよう」というテーマでお送りしていきます。 Z会と非Z会については「Z会と非Z会」をご参照ください。 義務教育程度のモテテクから脱しよう さて根本問題ですが、「義務教育程度のモテテク」というのは一体何なのでしょうか。 それは、「足の速

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ある出会いに際して

「出会いがない」ということをいう人がいますが、生きていればそんなことはありません。僕個人としては、できればあまり人と会いたくもないのに、毎年毎年出会いは増えるばかりです。 家に引きこもっている場合は、人と会いようもありませんが、インターネットがなかった時代ならまだしも、たいていゲーム上ででも誰かと会ったりはしているでしょう。 今では携帯電話の電話帳の中に、仕事関係と家族を除いては、10人も登録されていないほどに、人とのつながりなどそれほど必要がないということを実感しています。 仕事関係ですらも10人程度です。重要な

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力の感情

次のことはよく区別するがよい。力の感情をまず獲得しようとするものは、あらゆる手段をとらえ、その感情を養うことを恥としない。しかし力の感情を所有しているものは、その趣味にひどく選り好みがあり上品になっている。彼が何ものかに満足することは珍しい。 曙光 348 なんだか「力」という字を見ると、たいていは「社会的な力」のことなのだと世間ではすぐに想起されるのでしょうか。 今までずっと社会目線でしか考えてこなかった人には当然かもしれませんが、「力への意志」とか「権力への意志」とか言われる場合の「力」はそういった社会的権力な

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贈る者の恥ずかしさ

「贈り物」というものは、本来贈る人の善意のような気持ちが形になるようなものです。 気持ちを形にして示してみる、というのが贈り物であり、その手前には、相手に対する気持ちというものが必要なはずです。 贈り物という名の自爆営業 それを「贈り物を買え」という脅迫のもと、大企業などでは従業員にカタログギフトのようなものを買わせようとします。 おそらく数千人規模の会社で、古くからあるような会社だと概ねどこでもそのような仕組みはあるでしょう。 そういうことに関連している会社の人は、生きていて恥ずかしくないのか疑問になります。 で

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第七日に

「諸君はあれを私の創造として賞賛するのか?私は自分の重荷になるものを片づけたにすぎない!」 曙光 463 序 「第七日に」 「うーん…どうしよう…」という久しぶりの混乱がやって来ました。現在お腹が弱っていることも原因かもしれません。お腹が弱っているのでエネルギーを吸収できず、慢性的にフラフラだったりします。 銭湯の電気風呂に浸かりながら、「湯船から上がってトイレに行くべきか、それとももう少し浸かって腹を温めるべきか」という葛藤というものをつい先ほどしてきたばかりです。 そういうわけで、「お腹」+「第7日」ということ

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緩慢な療養

疲れというものは結構軽視されています。どうせ療養するなら思いっきり療養した方がいいのは明確ですが、ただ休んでいてもなかなか疲れは取れるものではありません。 以前勤め人だった頃に、年配の上司に「ビタミン剤は歳がいくと効果を実感するぞ」と教えてもらったことがあります。しかしビタミンでは追いつかないことがあります。 今現在も気力はあるのですが、どうも神経が修復しきっていない感じがしています。 最も多忙だった時は、本当に全身が痙攣したことがあります。座っただけで全身がガクガクするというものです。 そうだ自然の中にいこう 療

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雄弁家の学派

一年間沈黙していると、われわれはおしゃべりを忘れて、雄弁を学ぶ。ピュタゴラス学派の人々は、その当時最上の政治家であった。 曙光 347 一年間も沈黙しなくても、一ヶ月、一週間くらい沈黙するだけでおそらく雄弁になっていくでしょう。人によっては一週間くらいだと、たまりにたまったエネルギーが一気に解放されて逆に無駄話をしゃべりすぎてしまうこともあるかもしれませんが、たいていは、うまく話せるようになるものです。 沈黙するだけでなく、テレビや雑誌やゲームといった情報もすべて遮断した方がいいでしょう。 一週間も資料の準備をして

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