超人的な情熱に対する信仰のもつ価値

―突然で一度だけの約束から永遠の義務を調達した、制度や風習のことを考えるがよい。そのたびごとに、そのような改造によって極めて多くの欺瞞と嘘が生まれた。また、そのたびごとに、しかもこのような犠牲をはらって、新しい超人的な、人間を高める概念が生まれた。 曙光 27

嘘をつかねばならなくなるなら、原則的に約束はしてはいけません。

ただ、約束をした時点ではわからなかったことが追々わかってくることがあります。その時に約束を守ることを重点に置いてしまうと、ウソをつかなければならなくなります。

最もよい約束の仕方

約束といえば、感情は絶対に約束できないはずなのにそれを約束できると思いこむ人たちがいます。

「いつまでも愛し続けて欲しい」といったような感じのやつですね。

しかし、感情は絶対に約束することができません。

感情は絶対に約束できない

約束というのは必ず「行動の約束」ですから、行動の約束を守ってもいいですし、約束を守れなかった時の行動の補償はしてもいいでしょう。ただ、感情は絶対に約束できません。

その場その場、瞬間瞬間に変化しますから、感情の約束は性質上不可能です。相手に行動としての嘘をつくのもダメですが、もっとダメなのは自分に呵責が起こることです。

絶対に感情の約束はしてはいけません。厳密に言うと感情の約束をする行動をしてはいけません

結婚という制度がもつ抑止力

結婚というのは制度であって、行動の強制が主たる目的のはずです。これはモテない人が、「自分を捨てないで欲しい」という気持ちを持った時にひとまず公権力を根拠に抑止構造を得るためにそういう制度があります。

だからこそ、「制度を守ることが愛なのだろうか?」というような作品がよく出てきます。

「制度の呪縛によって自分たちは一緒にいるのだろうか?」というような疑問です。

究極的にはそんな制度は度外視することができます。

常に最終的な決定権は、その人にしかありません。国などがいかに何かを定めていようが、いかに社会の常識があろうが、究極的に決めるのはその人です。

制度で感情を制限することはできない

感情の世界に制度の呪縛や行動の強制によって、感情を安定させようとしているだけで、感情は誰にも操作することはできません。催眠術でしばらくは操作できるかもしれませんが、寝て覚めれば効力は切れているかもしれません。

同様に就職などにおいても、会社に入るまでは、その会社が実質的にはどんな会社かよくわかりません。入社試験で「御社に骨を埋める覚悟です」と言ってもいいですが、そういうタイプの覚悟はすぐにグラつきます。

本来は「気づいた」ようなことが覚悟であって、その場の決心が覚悟ではありませんからね。

説得の根拠

ただ、結婚効果に着目した時に制度の中で一つの正当性というか説得の根拠を手に入れることはできます。

それは仮に配偶者が誰か第三者に殴られた時に、代わりに法的制裁をとれるというような点です。未婚のままならただの他人ですから「あんた誰?」になりますが、堂々と戦うことができます。

本来は他人のままでもできますが、制度に守られた対応策が「社会の中」で簡略化されて可能になります。周りの人たちを説得する手間が省けるということです。

そういう効果は、制度の中の制度による利益なので、いいのかもしれませんね。

モテないからといって、制度で相手を縛ろうとしてはいけませんよ。

あることを是認する

超人的な情熱に対する信仰のもつ価値 曙光 27


なお、ニーチェによる「超人」という概念は、単に世間一般的な「すごい人」とか超サイヤ人的な感じではなく、「ツァラトゥストラはこう言った(Also sprach Zarathustra)」あたりで示した、積極的ニヒリズム(能動的ニヒリズム)的に生きる姿といった概念です。

超人思想と力への意志(権力への意志)

Category:曙光(ニーチェ) / 第一書

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