見え坊で、けちで、賢くない

諸君の欲望は知性よりも大きく、諸君の虚栄心は欲望よりもさらに大きい。― そうした諸君のような人間には、かなり多くのキリスト教的な実践と、それに加えてわずかばかりのショーペンハウアー的な理論が徹頭徹尾おすすめできる! 曙光 160

見え坊は見栄っ張りを指し、外面・外見をよく飾ることで人からよく思われようとすることであるため、人の虚栄心についてでも書いていきましょう。

見栄を張り方としてはいろいろな張り方がありますが、見え坊とは、見栄っ張りの中でも 特に所有物や外見の装いなんかで見えを張ろうというタイプを指します。

何故か昔から、オーナーという言葉が苦手です。不動産や会社のオーナーならば別に違和感を感じませんが、消費物を買っただけで○○オーナーと自称する人に違和感を感じています。

狭義の「オーナー」

オーナーとは、狭義には会社などの所有者をさすようです。つまりは他人が運営・使用しても、所有権を持っていて、配当や賃料などの収益を得られる人のことを言います。

辞書で調べたことはありませんでしたが、多分そういうことだろうと、小学生くらいの時から思っていました。ところが大人になると、メルセデスオーナーとか、フェラーリオーナーとか、下手をすると「ボーダーコリーオーナー」とかを何かのプロフィールに記載したり、車に貼ったりしています。

おそらく翻訳で調べたか何かでしょうが、所有者と打てばオーナーと出るのでしょう。ただの消費物を持っているだけでそういう言葉を使ってしまっています。これはひとえに知性よりも欲望、欲望よりも虚栄心が強いからです。

虚栄心の原因と心理の裏側

社長すごいですね

確かにそんな見せびらかしによって、「某かの収益」は上げているのかもしれません。

「社長すごいですね」といわれつつ、同様に頭の悪い若い人をそそのかして「オレのようになりたければ頑張れよ」などと言っているのかもしれません。その結果、従業員が頑張ってくれているのかもしれません。

昔からセダンを欲しがる人を冷めた目で見ていました。車としてのセダンは、一種のカテゴリの中で、その目的がはっきり見えるので、セダンそのものが嫌いなわけではありません。タクシー・ハイヤーはセダンであって欲しいですから。

しかしながら、小さい時から周りの人がクーペばかりだったためか、そういうフォルムのモノのほうが好きな傾向にあります。おそらく今までにお父さんや親戚にトータルで一万回くらい「踏んで直線が速い車に憧れるな」と説き伏せられ続けていました。

そのような具合で湾岸ミッドナイトより頭文字D派というのは、自分で選んだというよりもそうなるように仕組まれた、ということになります(といっても湾岸ミッドナイトも好きですけどね)。

「社長すごいですね」と言われるような車も、まあ排気量がそれなりに高いので踏めば回ります。しかし非力なコンパクトのドノーマルFFでも乗り方次第で化け物になります。雪道走行の時にお伝えさせていただいた、あのサイトのおかげです。

峠の下りで「わざと遅く走って」苛つかせて、そんな車を先に行かせておいて、たった100馬力ながらコーナーのたびに詰めていくというのも一種の快感でもありますが、今はそんなことはしません。

虚栄心 ゲーセンでの出来事

ついでに一つ思い出しました。確か二十歳くらいの頃です。飲み会前に友人と大型のゲーセンで時間を潰していた時のことです。

僕も友人も体格がそこそこ大きいのですが、ちょうどパンチングマシーンがありました。男性というものはこういうものを見ると、どうしても一回やってみたくなるものです。

そこで二人で1ゲームずつやることになりました。

僕が200くらい、友人が220くらいでした。

背は僕のほうが高いものの、友人は結構な筋肉質です。

金髪の土木作業員風の二人組の登場

「そうか、こいつと殴り合ったら負けそうやなぁ」などと思いながら、「次は飛び蹴りで勝負しようぜ」などと言っていたら、後ろから同い年くらいの金髪の土木作業員風の二人組が、ニタニタ笑いながらこちらを見ています。

こういう時にオス同士というのは無言で威嚇しあうものです。仲悪くなる必要はどこにもないものの、なぜか競い合ってしまいます。

「ちょっと俺らもやっていいかな?」

飛び蹴りで楽しもうとしていた僕達に、彼らは話しかけてきました。

特に独占する気もありません。飲み会前の時間つぶしです。そそくさと譲ることにして、友人と後ろの方に下がって眺めることにしました。

130!

120!

130!

金髪の土木作業員風の二人は頑張っています。しかしいくら頑張っても130を超えることはありませんでした。

やけくそになって、コンテニューをしています。みるからに身体はこの人たちのほうが大きいはずです。

顔を真赤にしながら

130!

また130です。彼らは有吉氏に図星を突かれた三又氏のように顔を真赤にしながら去って行きました。

「腰が入ってない」

僕の友人は笑っていました。僕もつられて笑ってしまいました。

彼らは笑っている僕達の姿を一瞥しました。しかし、普段なら喧嘩でもしかけるのかもしれませんが、すでに決着はついています。

見栄が裏目に出た瞬間です。

見え坊で、けちで、賢くない 曙光 160

Category:曙光(ニーチェ) / 第三書

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