耳をもたない賢明さ

われわれについて語られたり、賞賛されたり、非難されたり、期待されたり、希望されたりしても、それに耳を傾けないようにしよう。それについて考えることすらしないようにしよう! 曙光 522 後半

耳をもたない賢明さということで、人を意識したり、人の意見に翻弄されることのない賢明さについてでも書いていきましょう。

人を見返してやろうとか、人の期待に応えようとか、そうしたことを繰り返している限り、大したことはできませんし、心の安穏を感じることはできません。

「人から影響を受けてしまう」というのは、ある地点に到達しない限り避けられませんし、アイツのもち出す「カード」が今までの情報の複合体であることから、新しい情報自体が自分に何も影響を与えないということはありません。

しかしながらアイツの内側にいながらも、情報をただの情報として扱うことで、振り回される危険性を回避することができます。

聞く耳を持たない

世の中では「あの人は聞く耳を持たない」という感じで、どちらかというと「聞く耳を持たない」という言葉は消極的な意味で用いられたりしますが、自分の都合だけ押し付けてくるような人の意見など聞かなくても構いませんし、単なる感情による非難もくく必要がありません。

「相手を意識することができる」とか「相手の言っていることが理解できる」ということと、「相手の意見を採用する」とか「相手の意見に翻弄される」ということは別物です。

自分の都合だけを主張してくるような理不尽な要求に対しては「聞く耳を持たない」くらいでちょうどいいという感じになります。

理不尽な要求

例えば、世の中では、理不尽な要求をしてくる人がいます。

「化粧品の無料サンプルくらいどこでも渡している。どうしてあなたのところでは無料サンプルがないのか?」

というようなことです。賢明さをもってこうした理不尽な要求には耳を貸さないようにしましょう。

そして相手は「ここで押したら変わってくれるだろう」と期待を持っているはずです。

この例で言えば、強く言えば相手は折れ、相手に「申し訳ございません」と言わすことができれば、何某かの商品がタダでもらえると思っている、ということです。

不遜ゆえの悪

企業などでは「クレームは宝だ」ということで、そうした理不尽な要求を単純に「すばらしい宝だ」と勘違いしている人がいますが、相手の要求をそのまま飲むことが正しいというわけではありません。

うぬぼれの強い人々

要求を飲むことがだけが答えではない

いちおうクレーム内容を情報として扱いながら、それを解決する方法として、単純に要求を飲んで相手に合わせるだけが答えではないのです。

こういうバカな客がやって来ないように客層を絞ろう

というのもひとつです。

クレームが来たら、一応何かを変える必要はあるかもしれません。

しかし、その変える内容は、相手に合わせてこちらが折れるような形でサービス内容を良くするというものだけではないのです。

鉄面皮との天王山

耳をもたない賢明さ 曙光 522

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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