理由と、それが理由にならぬこと

君は彼を嫌悪しており、この嫌悪に対する理由を沢山もち出す。― しかし私は君の嫌悪を信用するだけであり、君の理由は信用しない!本能的に生じるものを、君や私に対して三段論法のように提出することは、君自身への胡麻擂りというものである。 曙光 358

感情はストレートに「真」ですが、その裏付けとなる思考には穴がある可能性が常に内在しています。

嫌いという感情は、論証の必要なくまさに正しいのですが、「なぜ嫌いか?」という理由付けは正しさを帯びることがありません。

世間で、とりわけ飲み屋で繰り広げられているこういった議論は、ほとんど意味がありません。

「理由と、それが理由にならぬこと」ということで、理由にならないようなことを平気で根拠として提示してくる人たちについてでも書いていきます。

本能的な根本原因

正当性があるようなことであっても、その感情は思考の産物としてだけの結果ではありません。あれこれ理由を言ったところで、「ニオイが嫌いだ」ということが根本原因である可能性もあります。

タイヤの細いチャリの人も、水商売も根本的には「糞袋」感が嫌悪の対象であって、構成要素が少し変化したからといって、好きになることはありません。

さて、引用についてはこの程度にして、「理由と、それが理由にならぬこと」についてぼんやり書いていきます。

人のエゴには付き合わない

「女性を口説く本」みたいなモテテク本によく書いてあるのですが、「○○なので」というような理由付けっぽいことを言葉に付け加えると了承を得られる可能性が高まるという馬鹿げた性質が意識の中にあります。

「今すぐにお金が必要なので」という理由をつければなんだか正当性を帯びるような雰囲気が出るというやつです。

「僕には子供がいるので」という理由で飲み代を踏み倒そうとする人もいるくらいです。

「子供がいるのであまり自由に使えるお金がないんです。だから、みなさんで負担してください」というようなことなのでしょうが、「だったらそもそも飲みに来るな」ということになってしまいます。

その理由付けが本質的に本題と関係なさそうなことでも、というところが非常に馬鹿げています。

比較的口がうまいとされている人たちはこのことを意図的か無意識的かはさておき、よくやっています。

○○なので

しかしながらこのことを知っていると、相手の要求が理不尽である場合にすぐ気づきます。

そして勝手に頭に出てくる言葉があります。

「知らんがな」

という言葉です。

「急いでいるので」

と言われても

「知らんがな」です。

たまに「給料日前だから」とかいう言葉を使って、人からお金を借りようとか、ひどい場合には奢らせようとする人がいますが、それはこっちの知ったことではありません。

「急いているので」という人も、同じです。

なぜそんなスケジューリングなのか、無駄な時間を過ごしたツケをこちらに負担させようとしているのではないか、ということです。

一種の貪り

これは一種の貪りです。

奢らせようとタカるだけが貪りではありません。相手の労力や時間、都合を振り回して要求してくるのは貪りです。

相手が困っているのは、相手の都合で勝手に困っているだけです。そんなことは知りません。

支払いを滞らせて、その割に車を所有していたり、携帯電話を持っている事自体がおかしいはずです。

まずは売却して資金に余裕をもたせようとかいう考えを持たない、その場しのぎの消費者です。

車も携帯電話も、それを使ってお金を生み出すことはできますが、その所有によって生産するわけでもなく、単に消費しているのならば、所有する必要はありません。

頭を使わずにその場をしのいできたツケをこちらが負担する必要はありません。

おそらく、すぐにお金を借りる人は、このような気質をもち、変にお願い上手だったりします。その手に付き合う必要はありません。

理由と、それが理由にならぬこと 曙光 358

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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