暗黙の強化

暗黙の強化

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暗黙の強化とは、3人くらいでいる時に、誰かが自分以外の人を褒め出した時に、自分の自尊心が傷つけられた、つまり極端に言えば攻撃されたように感じ、自分以外の人を貶し始めたら、自分の評価が上がったように感じてしまう、「アイツ」こと自我の錯覚。

自分以外の誰かが褒められば相対的に自分の評価が下がると感じ、自分以外の誰かが貶されれば相対的に自分の評価が上がったと感じるような心理である。

ただのAとBの間にある関係性になぜかCである自分までその解釈に入っている。相対的に判断してしまうという、なんとも滑稽な様であるが、京都人は平気でこの暗黙の強化を多用する。つまり、わざと意図的に、相手を間接的に攻撃するようなことをすることがある。

自分以外の人への評価と自分は関係がない

暗黙の強化は、自分以外の人が褒められた時に、自尊心が傷つけられたように感じ、自分以外の人が貶されれば自分の評価が上がったように感じる心理である。

しかしながら、なぜ、誰かと誰かの関係性の中に、どうして自分を加えようとするだろう?

暗黙の強化を意図的に利用

暗黙の強化を意図的に利用して、実際に攻撃しようとしたり、それで煽って闘争心を掻き立てようとする人もいるが、自分に対して直接関係のない話を自分に関係のある話だと思って関連付ける必要はないはずである。

仮に意図的に暗黙の強化を狙ってそういった話をされても、「直接言われているわけではないから」と、無関心でいればよいはずである。

そうすれば、それが間接的な自分への攻撃だった場合は、無効化される。

遠回しに暗黙の強化をしてきた場合には無視しよう。すると相手はしびれを切らして、

「おまえに言ってるんだ」

などと言ってくるかもしれない。

そうした場合は、

「直接言ってもらわないと困ります」

とでも返しておけばよい。

「褒められた」、「それがどうした」

そもそも「褒められて嬉しい」などと舞い上がるのは早急にやめたほうが良いだろう。同時に、相手に気に入られたくて褒めるのもやめておいた方が良い。相手をおだてていることがバレた時に相当の険悪なムードが漂うというリスクがあるからである。

褒めようとするということは、良いところを探すという意味では良いが、そこに脚色は必要ないはずである。ただ事実を指摘すれば良いだけであるはずであるのに、そこを過剰にしてしまうからこそ保険屋などは気味悪がられるということに早く気づいた方が良いだろう。

暗黙の強化を利用した「第三者を非難する相対的な褒め」

逆に暗黙の強化を利用して、第三者を非難して相対的に褒めるというようなこともやめておこう。

褒めても良いのだが、もしそうするのであれば、相対的なニュアンスを外して絶対的、もしくは同一人物の中での相対基準で褒めた方が良いだろう。他人を絡ませて比較することはしてはいけない。

これは隣に人がいたり、いなくても「アイドルの誰々はかわいいなぁ」などというと、相対的に目の前の人は勝手に「じゃあ自分はその人よりはかわいくないのか」と勝手に思考が回ってしまう、という前提を常に意識すれば、勝手に身についていく。

暗黙の強化は、アイツこと自我の特性なので、そう思ってしまうその人が悪いわけではない。アイツは現象をタダの現象として捉えずに、様々な関連思考を働かせることが本業となっているため致し方ない部分があるためである。

何よりも人より優れている点を指摘したり、劣っている点を指摘したり、また、同等だと指摘したりするそういった茶番からは抜け出すことである。

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Category:心理学

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