世界の破壊者

この人は或ることがうまくゆかない。とうとう彼は怒って叫ぶ。「世界がみんな滅びてしまうといいんだが!」この嫌悪すべき感情は次のように推論する嫉妬心の絶頂である。私は或るものを所有し得ない。だから全世界には何も持たせたくない!全世界を無にしたい! 曙光 304

「世界がみんな滅びてしまうといいんだが!」とは完全にゲームかアニメの世界のようです。しかしよく起こる心理状況です。

ちなみに芸人さんの世界において、ネタがスベった時は「この世界よ、滅びてしまえ」と思うそうです。

確かにそのような心境になるでしょう。ネタがスベっただけでなく、普通の話がスベった時も同じような心境になりますが、そんなとき、自分は話もしないで相手がスベったことを笑うような人がいます。

実際に、相手に先に話してもらったほうが、交渉ではかなり有利になります。

しかしながら、「自分は傷つかないようにとツッコミ側に回る」というのは弱者たる証です。スベることを覚悟して話すという方がよほど勇者であり強者たる証であると考えることができます。

賢者も話しまくっている

たまに「賢者はあまり話さない」という事を自慢気に吹聴する人がいますが、「無駄話をしない」というだけで、賢者は話さないわけではありません。

確かに無駄話、つまり本題とはズレた話を「私をかまってくれ」と、渇愛丸出しで話すというのは愚かな行為でしょう。しかし、何も話さないのが「賢者」ではありません。

ニーチェは、「多く話すことは自分を偽り覆い隠す手段だ」という言い方をしましたが、それは無関係な話ばかりする場合です。関係あるような、でも違う無駄話ばかりする場合です。

しかしどうでしょうか。偉人とされる人たちもたくさん話しています。話というか自分の意志の表出をしたからこそ、ということになります。でないとあんなに書籍化されるはずはありません。

経典にしろ、この「曙光」にしろ何にしろ、一応話したこととされていたり、本人が書いたりしたものです。「賢者はあまり話さない」と言いますが、この点についてはどう捉えるのでしょうか。話しまくっています。

黙っていれば賢者というわけではない

相手にツッコまれないように「しゃべらない」と言うのは、何も賢者のやることではありません。それは別の手法で「攻撃されないための防衛手段」として、黙っているだけです。

あるべきは、「ツッコまれても大丈夫だが、言うべきことは言う」という態度です。ツッコまれても論駁できますから、いくらでも話すことができます。

自らを覆い隠すために、希釈するための「無駄話」をしないというだけで、何を質問されても堂々と話すことのできる態度です。

根底に恐怖心があるかどうかです。黙っていれば賢者というわけではありません。

そうなれば、恐怖心があろうが、どんなことでも意志は外に出していいでしょう。

仮にそれが間違いであろうが、間違いであることに気付ける第一歩になります。

しかしながら、誰かに対して挑むような格好で意志を表出する場合は、返り討ちに遭うことも覚悟しなければなりません。

世界の破壊者 曙光 304

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ