モテるオスは不幸である

「英雄色を好む」という言葉にとらわれていた友人がいました。

その言葉に振り回され、同僚や後輩たちの手前「本当は早く帰りたいのにお姉さんに粘ってみる」という行為を繰り返していました。

実際にパワーのある人は盛んであることは確かです。

ということで、英雄ヅラをしたくて、盛んなふりをしていたというのです。

しかしそんなことはくだらないことだということに気づいて、今では真っ先に帰るそうです。

モテるオスは不幸

実際にいい思いをしたり、同性からは羨ましがられるだろう、ということで、モテることはいいことのように思いますが、いいことだらけではありません。

不幸なことのほうが多いと思います。

「モテるオスは幸福」というのは、モテないオスの想像の範囲での妄想であって、あるラインを超えると、モテるオスは必然的に不幸であることに気づきます。

そのラインというのは、一度でも誰かを本気で好きになった時です。

たくさんの人に囲まれることなど、何も嬉しい気分にもなりません。

ただ唯一のその人といたいのに「たくさん相手のいる中のひとりなのね」などと言われた日には、近寄ってくる他の人を蹴り散らかしたくなります。

ただ一人と長い付き合いをしないと経験できないようなことを繰り返すたびに、「数」は何の意味もなさないことに気づきます。

それでも、まだ、たくさんのメスが近寄ってくるのです。

そんな時、本当にモテるオスは幸福だと言えるのでしょうか。

また一方で、人はよく、こちらも好きになりたいのはやまやまながら、どうしてもその気になれないという場合があります。

そうした時、モテてしまうことで、相手に努力をさせてしまうという構造を生み出すことがあります。

烏滸がましながら「努力は報われる」ということを叶えてあげたいという気持ちが生まれたりしますが、それとは裏腹に、頑張れば何とかなるという領域ではないため、そんな相手の努力や奮闘を結果的に踏みにじってしまうこともあるのです。

そうなると悔やまれますが、だからといって好きでもないのに好きなふりをするというのも失礼ですし「なんだか違うな」と思ってしまいます。

相手がいい人であればあるほど断ることに抵抗が生まれます。

無駄にモテてしまうことは、そのタイプの苦しさまでも生み出してしまうのです。

支配の引力から逃れる

さて、ほかの著書に書いてありましたが、オスは○玉に支配されています。

ここでいう支配とはその生産工場についてです。

三大欲求のうち、排泄に分類されます。

オスが「異常に盛ること」が理解できないというメスがいますが、あなたはおしっこを3日我慢できますか?

これは本心で盛っているのではないということです。

支配によって、駆り立てられているだけです。

しかし、この支配の引力からは逃れることができます。

その気になれば、主従関係を逆転させることができます。

そうなると、愛するための強力なパーツとしてのみ活躍してくれます。

改バージョン⇒モテるオスは不幸である 改

Category:さよなら私 / モテないが正しい

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