とりなす

はじめに「とりなす」という字を見た時に真っ先に思い浮かんだのが「とりとなすびの味噌炒め」です。王将か何処かであったような気がしますが、なぜかそんなものが浮かびました。

これは中学校の時に先生が「Michigan(ミシガン)」と書いてあるトレーナーを着ていたのを見て、同級生が「あれって琵琶湖の船け?」といったレベルのボキャブラリを想起させるレベルです。

そんなことが浮かんだので、せっかくと言ってはなんですが、「茄子」についてでも書いていきましょう。

茄子

中学生くらいの時までは、黒々している風貌から何故かなすびを食べることを避けていましたが、高校生くらいからは大好物になりました。特に中華の炒めものに入れるともう絶品です。

我が家では茄子といえば田楽くらいしか出てきませんでしたが、田楽自体がそんなに好きではなかったため、やはり避けていました。そんな中、茄子と味噌という組み合わせでいうと、さして変わらないはずの「とりなす」によって、茄子が好物となりました。

栄養価が低いという意味で、侮蔑の際に「ナス」という言葉が使われますが、トマト、ピーマン、唐辛子、とナス科はかなりの大活躍です。じゃがいもまでナス科なのだからびっくりですね。

京都では加茂茄子という京野菜がありますが、特に食卓に並ぶことはありません。親戚の集まりで料亭に行った時に出てくる程度です。

それよりももっと感動した茄子があります。

泉州水茄子

数年前ですが、初めて「水なす」というものを食しました。加茂茄子に押され、京都ではあまりお目にかからないということで、存在自体も知らなかったのですが、大阪の友人に振る舞われ、初めてこの泉州水茄子というものを食べました。

結構冷やしてあったのですが、冷やしたほうが美味いということを初めて知りました。普通は水っぽい野菜はそれだけ味がなく、単品ではそんなに食べないものですが、一人で三人分食べてしまいました。生で食べる茄子は初めてです。ひとことで言うならば、「なんじゃこりゃ」というくらい美味いです。

料亭での懐石並みの繊細さに、夏休みに田舎で食べる川で冷やした野菜のようなみずみずしさがあります。炎天下の中、キンキンに冷えた水をのむような爽快さです。こんなものがあったのか、と感動しました。

スーパーに行こう

お隣の大阪でもこのような発見があるのだから、やはり他府県に行った時は、飲食店だけでなくスーパーに行くべきです。観光に行った時は、買わなくてもいいですから、見には行ったほうがいいでしょう。

どうしてもコンビニに行きがちですが、あえて開いている時間であれば旅行先の地元のスーパーに行くべきです。

京都は全国でもトップクラスに牛肉の消費が盛んのようですが、上京区のマスコットは「かみぎゅうくん」です。嫌いなものは牛肉と書いてあります。明らかに北野天満宮を意識しています。京都どころか牛肉消費量は関西圏が上位を独占しています。

以前、群馬に行った時に、富岡製糸場の付近で肉屋さんを探していたのですが、鶏と豚しかありません。移動がてらに下仁田町でスーパーに寄りましたが、ありえないほど牛肉コーナーが閑散としています。京都のスーパーのハム置き場くらいのスペースしかありません。食文化の違いを突きつけられたような瞬間でした。

そんなことは肉屋を探したりスーパーに行かなければわからなかったことです。

雑煮

雑煮は白味噌にそのまま餅をつっこんで、花鰹をまぶして食べるのが当然の食文化です。すましにいろいろな具が入っていて、餅は焼いてから入れる、というのを「とんねるず」の番組で初めて知った時は衝撃でした。確かに雑煮なのだから、それが当然のような気がしますが衝撃でした。

粕汁

最近、コンビニで「関西の母の味」と銘打ってインスタントの粕汁が売っているのを見かけました。ということで、粕汁が関西特有のものだと先日知りました。

そのような具合で、新発見ばかりです。こんな発見は、ご当地のスーパーに行けばいくらでも訪れます。お料理本で外国料理の勉強もいいですが、旅行ついでにスーパーに寄るだけで、様々なレパートリーが増えそうですね。

うどんのだし

ところで、全国には蕎麦やうどんを名物として押し出しているところがたくさんあります。確かに麺だけで言えば、讃岐うどんが一番美味しい気がします。あの麺はだしに絡みにくく、また、だしよりも生醤油などの方が相性が良いでしょう。

美味しい麺はコシがあるということになっています。確かに冷やしでいうと、うどんなら讃岐、蕎麦なら信州のほうが美味しいでしょう。

しかしながら、「だし」は京都以上に美味いところを知りません。麺にこだわるのはいいですが、だしが「並」のところが多いと思います。

どこに観光に行っても、麺は京都以上ですが、だしは京都の足元にも及びません。うどん、そば、どちらにしても、ご当地でせっかく麺がおいしいのにどうして「だし」は手抜きなのでしょうか。

ラーメンはこれと逆の傾向にあります。スープばっかりこだわって麺が蔑ろにされているケースがあります。逆に麺にこだわったという「なんとか正麺」はスープが手抜きです。

うどんや蕎麦は、常に麺がすごいのにだしが適当です。これまでたくさんの土地でうどん、蕎麦を食べましたが、どれも京都を超えるものはありませんでした。

冨美家のうどん

冨美家

冨美家

せっかく麺は美味しいのにもったいないような気がします。

残念ですが、京都のスーパーに売っている「冨美家(ふみや)のなべやき」を食べてみてください。「冨美家なべ」ですね。別に「しっぽく」でも構いません。

冨美家なべ

冨美家なべ

冨美家のうどん(とくに「だし」)は、スーパーに売っているレベルなのに、全国の名物うどん屋を凌ぐうまさを誇っています。スーパーのうどんセットはだいたい百円前後ですが、「冨美家のなべやき」は400円位します。

冨美家は錦にありますが、観光地にありがちな、観光客を騙しているような「名前だけ」のものではありません。スーパーに売っているのですから。スーパーで400円しても地元民が買うということは、それだけの味だということを考えていただければいいでしょう。

論より証拠です。

ご当地名物と銘打つなら「だし」で、せめて「スーパーに売っている冨美家に並べ」、です。下手をすると京都人はすべからくこんなことを思っているかもしれません。

京都に観光にいらっしゃった時はぜひスーパーで目を光らせてください。(冨美家のうどんは通販もしているようです)

とりなす 曙光 434

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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