きれいな手ときれいな壁

神も悪魔も壁に描いてはならない。そうすれば壁や近所を台無しにすることになる 曙光 378

曙光の注釈によると「悪魔を壁に描いてはならない、すなわち『縁起の悪いことはいうものでない』という格言がある」ということのようです。誰の格言であるかは明記されていません。

さて、きれいな手ときれいな壁です。「きれいな手」に限定されるわけではありませんが、僕は手が好きだったりします。最近気づきましたが、特に女性の手が好きなようで写真を見返してみると、意外にもたくさんの人の手だけを撮っていたという事実が発覚しました。父方、母方のおばあちゃんの手や母の手なども撮っていて、自分が手マニアなのだということを知りました。

きれいな手

目は口ほどに物を言う、というような言葉がありますが、個人的には、手を見るだけでその人の人となりが何となくわかります。

性格が雑そうな人はそんな感じの手をしていますし、頼りない人もそんな感じの手をしています。

顔の皺なんかもその人の性格がモロに出ますが、手の感じもその人の生き方がモロに出ます。

年配の職人や整備士の方なんかの手はぐっと来ます。何かに向き合ってきたからこそ、それが手に刻まれているような感じがしますからね。

女性の手が好きということは、撮りためた複数の写真の数で露見しましたが、世間一般で思われているような「きれいな手」には全然そそられません。

その手に歴史を感じる

白くやわらかい手をしている人は、何だか頼りない気がします。

これが女性なら、本人は何もせず、さんざん周りが世話をしてくれているというような印象になり、そんな人と付き合うと「世話ばかりをさせられるのではないか?」というような気がしてしまいます。

その手に歴史を感じるというところが手の良いところです。

極端に言うとアイドルなどより、次のような人にこそぐっとくるというような感じです。

手で思い出した余談ですが、高校の卒業アルバムに僕の手だけが掲載されていたりしたことがあります。しかし自分では気づかず、当時の彼女がそれを発見したという感じでした。

意外と見られているんだぁということを知りました。

きれいな手ときれいな壁 曙光 378

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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