面接

先日、事業拡大のために面接ばかりしている社長仲間とお話していたのですが、勤め人の頃のバイトの面接を合わせると千人くらいは面接してきたそうです。大きい会社の人事部も広く浅くは面接するでしょうが、社長の最終面接といえども大企業ならトップはコロコロ変わります。意外と中小零細の社長の方が面接をこなしているのかもしれませんね。そんな数の面接はあまりできない経験どころか、僕はそんなに面接をしたこともされたこともありません。

一方、大学生ともお話してきました。資格を取るのはいいけど、面接時に「なぜその資格を取りましたか?」という質問に答えられず本末転倒というケースが多いと聞きました。

面接

昔聞いた話ですが、「志望動機は聞きません」で、学生エントリー数を増やした会社があります。結局どんなセリフを持ってきても「取って付けた」ような話ばかり、聞かされる方も、それを考えてくる方も無駄な時間でしょう、ということでの省略が多いように思いますが、本質的にはその通り、ただ、ストーリーの組立の訓練にはなるのではないでしょうか。

この世の問いにはほとんど必ず「なぜ?」「何のため?」がついてまわります。それで、なんとかやりくりして「言い訳」を考えてみますが、どうもしっくりこない。それもそのはず、その理由ですらもう一度「それはなぜですか?」がついてまわり、最終的には「よくわかりませんね」で終わるからです。

それをとりあえず「まあこんなところかな」レベルまでストーリーを組んでみる、という能力は、「消費者向け」つまり、社会で生活するには十分なほどのレベルです。

「いま急上昇中の愛され下着」と銘打っても、下着基準で「愛」は測れません。そもそもそんなものはほとんど見ていない、というのが大半の意見で、寄与しても数%、それもベースがダメならその付加効果も文字通り台無しです。というのが上辺だけでもまずあるのですが、「なぜ愛されることを目指すのか」という問いまで出てきます。

「社会に貢献するため」というのは、面接でよく出てきそうな言葉ですが、僕のような精神のねじ曲がった面接官なら、それから先ももちろん聞いてみます。必ず本音では「ひとまず自分の環境が守られている前提で、その余力で余暇として」というようなことを、思っていないはずがないことは、どんな面接官でも思っていることです。でないと、「経済社会にわざわざ来ないだろう」、と思っているからです。趣味で「仕事の面接」に来る場合もありますが、そんなことをする人は僕を筆頭に変人であり、義務教育の世界では問題視されるような人です。

あまり「お決まりの返し文句」を伝家の宝刀としてしまわずに、ストーリーを語ればいいのではないでしょうか。それには、文句、文章というバラバラに分解されたものを組み立てる前に、全体像をイメージするのが手っ取り早いですね。

「こう思います」と、言うことは簡単ですが、「それは何かに載っていた模範解答ではないか」、と思われることが普通です。それを回避するには、その思いを確信したというかある程度強烈に感じた経験、というもののストーリーを語れば「受け売りではないのかもしれない」と、思ってもらえそうな気がしますね。騙すためにストーリーを作り上げるのではなく、過去の体験の追体験でも、これから起こる体験でもいいので、深く目の前に集中してみるとすぐに出来上がります。

面接対策の真意

「面接対策」という言葉がどうも「相手を攻略する」というゲームのような世界観になってしまっていますが、受験ならそれでもいいでしょうが、相手は一応お金をくれる人です。ゲームなら、相手を「倒せば」コインが手に入ったりしますが、面接はゲームではありません。自分に置き換えればすごくわかりやすいような気がしますが、胡散臭い営業マンが「お前を攻略してやる、そしてこのボッタクリの商品を売りつけてやる」とプラカードを下げて玄関にやってきたらどうでしょうか。それと同じことです。攻略ではなく、仲良くやることを考えてください。言葉としては対策でいいのですが、対策の本意は、「どうやって好きという気持ちを伝えるか」であり、安物の心理学の本に書いてあるようなことで異性を騙そうとするようなことではないということになりますね。結果自分に合うのか合わないのか、は結果論なのであまり考えても仕方ないような気がしますが、ひとまず「自分と相手を知る」というところから始めようではありませんか。

特別論

と、だらだら述べましたがそんなことは、一般論です。ここでいう一般論とは、社会的目線で考えた時のお話、という意味で、意味がないというわけではありませんが、あまり本質的ではありません。芸能人の方が「一般の方」、というのにあやかって特別な方のお話も少し。もっと理解不能なお話をしてもいいですが、ここではやめておきましょう。

社会的な目線で考えるのも別にいけないことでありません。

自我は「使いまわせる汎用性の高い法則」が大好きです。ちなみに法則には正しいか正しくないか、という議論すらできないものと、視点によって正しさがコロコロ変わるものがあります。自我が大好きなのは後者の方です。

義務教育程度のモテテクは、文部科学省の意向が変われば正しさが覆りますが、自我にはその手の正しいことを本などにして語るのが大好きな性質があります。

そこには確かに法則性のようなものがありますが、それは結果論的観測結果であり、その結果が法則として揺るがし難いものになるのか、というのは少し怪しい話です。

それを踏まえての対策は、対策しないことです。

なんとなく楽しい、という方向を常に選択しておけば、自然に最良の選択をすることになります。

「自分の行く道は自分で決める!」、というのは一見カッコイイですが、自分の自我に振り回されている場合は、カッコよくてもフラフラになります。一応どう転んでも自分で決めているのですが、力んでいたりというような変なカンフル剤的な奮い立ちは避けたほうがいいかもしれませんね。特に「大企業に入って自慢したい」なんて思っても、自慢できるのは数ヶ月、勤めるのは数十年、それに入社すれば周りは全員その会社の人です。そんなことは基準に入れてはいけません。

頑張っているときは、たいてい本来的な意味での集中はしていません。

少し社会的な言い方をすると、注意力が分散しており、「数打ちゃ当たる」。。。→「当たらない…」→「頼むから当たってくれ!」という状態ですね。

いろいろ資料を見て、「この会社が向いている」という場合、たいてい思い込もうとしています。変に思い込もうとせずに、そんな心を静かに捉えてみることです。

面接時にマナーを大切にすることは結構ですが、心だけは、謙ることもせず、また、高慢にもならないようにただ静かに目の前に集中する、事実をただ述べる、結構それだけでいいと思いますよ。


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