動物においての発情を人間界では”愛”と呼び、その期間のことを”青春”と、呼んでいるからです。
青春というと煌めくような微笑ましいイメージがありますが、発情を人間は愛と呼び、発情期のことを青春と呼ぶということのようです。
芥川龍之介氏もそんなふうなことを言っていました。
恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。
少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。– 芥川龍之介
ただ、「愛」という言葉はかなり広義に使われていて、本当は細かく分類することができます。
対象が異性なのか、友達なのか、はたまた物に対するものなのか、自分の仕事を対象としたものなのかなど、対象によってももちろんニュアンスは異なります。
同様に、別の次元として同一の対象であっても、感情の種類などによってさらに分類することも可能です。
「アガペー」という概念もあります、狭義にはキリスト教的ですが、もう少しくだいて使われるときは、単に「無条件の愛」とされます。
wikiより引っ張ってきましょう。
アガペー (ギリシア語: αγάπη) は、キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。
あまり漠然と思い込んだ「愛」にとらわれていると、その食い違いで争いを招きます。
いくら共通の定義を作ろうとしても、感情面での駆り立てが根底にあると、それが一致することはほとんどないでしょう。
いろいろと意見を出し合ってみることも面白いかもしれませんが、言葉など所詮その程度だと思っておいたほうがいいです。
自分など結局はどこにもいるはずがなく、脳が生み出した幻想にすぎません。そんな悩みを早く忘れる方法を見つけることが先決です。青春なんて、「単なる発情期じゃん!」この言葉を心に刻んで、できる限り楽に生きてください。
悩みを忘れる方法というのは、事後的処理です。
語弊がありそうですが、元から悩みを発生させない事前的取り組みが功を奏するのではないでしょうか。
「この方法!」と断言したいとこですが、たいてい「アイツ」に捻じ曲げられて、逆利用されます。
方法を条件化してしまうのが、一番多い例でしょう。
つまり、「この方法を用いないと悩みはなくならない」ということになって、変な新興宗教の修行みたいになってしまいます。
だからこそ、イエス兄さんもゴータマ兄さんも、たとえばっかりで話したのだと思います。その真意はわかりませんが、わかる必要もありません。
改バージョン⇒青春なんて 改
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