「重要さ」を捨てて現状のストレスを少しずつ取り外す

なんだか「うつ」テーマの需要が増えているみたいです。ということで、ネット上ではどんなことが書かれているのかと思うと、やっぱりうつを長期化させるような記事だったり、広告収入のための広告的な記事で溢れかえっているので、またまたちょっと記事を追加します。

現在、ちょっと右脇腹が痛くて、おそらく胆嚢に響いているようで、身体が怒りに過敏になっています。

でもこれはすごくいいチャンスで、そんな感情も楽しんでいけばいいと思っています。

ということで、最近感じたことというか実体験を交えつつ、「重要さ」を捨てて現状のストレスを少しずつ取り外すということについて書いていきましょう。

本当に重要か?

ストレスというものは溜まるものではないのですが、何かしらの意識の影響、というか「これはこういうものだ」という信念の影響で、今現在のストレスを作っています。

で、根本原因は何かということを考えると、もちろん「アイツ」こと自我機能なのですが、うつを一瞬で治すことはもちろん可能なものの、もしかしたらいきなりはうまくいかないかもしれないので、少しずつストレスを軽減させる方法について考えみましょう。

基本形は

「それがどうした」

です。

これは、ある対象について「うまくいかない」とか、「うまくやらなければならない」とか「早くやらなければならない」といったプレッシャーについての解消法です。

何かがうまくいかないとして、それでストレスを感じるという場合には、幾つかの要素が散りばめられています。

それは、一応「うまくいかない」ということ、そして、その対象を「重要だと思っていること」です。

で、この「重要だと思っている事柄」はもちろん人によってバラバラです。

でも、その重要さは、本当に重要なのでしょうか?

その個人にとって本当に重要な事柄もあるでしょうが、大半は、「重要だと思い込まされていること」である可能性が高いです。

身体がダウンした時にこそ吹っ切れる

ここで、つい先日くらいに起こったことを書いてみます。

法人、個人事業主問わず、今現在何だかんだで役所関係の提出物が増える頃です。

役所関係はそれを「義務」だとしていますが、自分を動物だと言う前提で考えれば、それほど大した義務ではありません。

確かに法律で決まっているのかもしれませんが、いわば動物で言う食べ物にあたる「利益」に何らプラスにならないどころか、事務員さんなどの人件費を含めて、企業の足枷でしかない作業を強いているはずです。

はっきり言えば付き合ってあげているのはこちらです。

究極的には提出が遅れたところで、多少のペナルティがあるのかもしれませんが、それがどうしたというのでしょうか?

考えてみれば、罰則規定などがないような努力義務は、別に義務でもなんでもないようなものですし、罰則規定があってもそれが大したことのないものであれば、それほど気にするようなことではありません。

2ちゃんねるのひろゆきさんなどは裁判所に呼び出しをくらっても、行かないそうです。

なぜなら、裁判所に出向かずに損害賠償義務が確定したとしても、実際に差し押さえされるということは別問題だからです。

あまりにしつこくうるさいときには、それを解消するために付き合うくらいで十分で、勝手な決まりで「義務」などとされているようなことは、案外無視しても大丈夫だったりします。

というようなことを先日某機関に書類提出に行った時に思いました。

身体のダメージがきつく、若干怒りっぽくなっていた状態の時に、職員がめんどくさそうに「まあ受け取っておいてやる」的な感じで書類を受け取りました。

こちらとしては、出向くだけでも時間がもったいないというのが本音です。

昔まではこうした書類もきっちりとキレイに書こうと思いましたが、バカらしくなりました。

「適当でいいや」

そんな感じで十分です。間違いがあれば、向こうから電話でもかかってくるか、はがきが届くのが関の山ですからね。

そもそも、義務教育で教えもしないようなことを、大人になってから義務にすること自体がおかしいと思っています。

そのような感じで、別に法令違反を助長するつもりはありませんが、罰則規定があるからと言って、他人に制限をされているようなことを疑ってみるのもいいと思います。

タバコを吸う人であれば、「路上喫煙禁止」と書いてあっても、反則金など1000円くらいなのですから、

「それがどうした」

と思いましょう。といってもあえて破れと言っているわけではありませんのであしからず。

そういった「まあそれくらいは受け入れるべきか…」みたいな細かいストレスを無くしていってください。

なぜならそれは全て他人の都合だからです。こちらの都合を聞いてもくれない他人が、自分の都合で強制してくるような事柄を「それがどうした」と吹っ切っていってください。

同じように、他人の基準であなたが何かの判断をされたときでも、「それがどうした」と思いましょう。実際に相手に言ってもかまいません。

自責の念を持ったり、我慢して身体を壊してしまうくらいなら、そのダメージをあなたが受け入れる必要はありません。

身体が弱ってきたときこそチャンスです。

堂々と怒りましょう。そして、その怒りを楽しんでください。

「怒るのがいけない」ということも決まってはいません。怒らないのに越したことはないくらいのもので、他人が決めることではありません。

あなたが怒りたければ怒り尽くせばいいと思います。

「大人げない」と酷評されても

「それがどうした」

です。

重要だと思っているものが多すぎる

数ヶ月前になりますが、大学生十数人とお話する機会がありました。

その時に、ひとりの男子大学生が、次のようなことを聞いてきました。

「いま複数のサークルに所属していて、どれもそこそこ楽しいのですが、絞り込んだほうが良いのでしょうか?また、どれもそこそこ楽しいので、自分では判断できません」

「全部やめましょう」

と答えておきました。

で、やめ方ですが、スマートフォンアプリの例を出して伝えておきました。

スマートフォンゲームなどでも、何か秘密のコードみたいなのがあると、究極的には、今までのデータを引き継いで再開できます。

ということで、それをスクリーンショットで撮っておいて、アプリを削除します。

そのまま一ヶ月くらい経ってまだ再開したいと思っていたのならそのコードを使って再開すればいいはずです。

その間に関心がなくなれば、それでよし、そんな感じで「半端に重要だと思っていること」を捨てていくというのが良いでしょう。

で、世の中は広告がたくさん溢れています。直接間接を問わず、そうした広告物からの影響で、重要だと思い込まされていることが非常に多く、その対象も無駄にたくさんあります。

英語は重要か?

わかりやすいのは英語です。

電車の車内広告などでも「まさか英語で会議をすることになるなんて」というキャッチなどがあります。

そんなことは大半の人が経験することでもありませんし、自分が本当に重要なポジションにいて、英語が話せないのであれば、通訳を付けてくれるはずです。

そうした配慮もされないようなポジションなのであれば、別に期待もされていないはずです。

そうした実社会でのリアルをすっ飛ばして、「英語が話せること」が重要だと植え付けられているはずです。特に緊急性が無いにも関わらず、英語が社会でプラスになると思っている人は、確実に刷り込まれています。

個人的にはどうせ学力をつけるなら、英語よりもまず国語力を向上させたほうが良いと思っているくらいです。

それはさておき、こうした英語=重要、英語が話せる=強いという思い込みは、裏を返せば、「英語力がない=弱い」という無駄なストレスを感じる原因となります。もちろん英語力があることはマイナスにはなりませんが、重要だという認定が、人をうつに誘う毒を含んでいることは間違いないでしょう。

基本形である「それがどうした」を思い出しましょう。

そしてここで注意点があります。

アンチになってもいけないということです。

なぜなら、それはある種の重要性を持たしてしまうからです。

デブやハゲが遺伝的に劣っているなら絶滅している

ある芸能人が薄毛になってきていることを、他の出演者が突っ込んで、その場面に意図的に笑い声を入れるというようなことで、「ハゲは笑われるようなことなのだ」という、髪の毛があることの重要性をメディアが作り出して、それを解決するようなサービスを売りつけようとすることがあります。

また、同時にダイエット企画などでデブは人間として劣っているというような刷り込みを作っていきます。

しかし、本当にデブやハゲが遺伝的に劣っているなら絶滅しているはずです。

だいたいZ会は、ふくよかで頭が脂ぎっている人が大半です。

むしろ逆に生命レベルでいうと優勢くらいの評価を与えても良いはずです。

そうした面を気にする人がいれば、それは男女ともに確実に洗脳されていると言っていいでしょう。

なぜならモテにそんなところは関係ないからです。

関係あるとすれば相手が洗脳されているというだけ。

さらに言えば、たくさんの人にモテることを目指すことは正しいことではありません。モテないほうが正しいのです。

モテないほうが正しいということ悟っていれば、最高のパートナーだけがあなたのそばにやってきます。

今回はモテテーマではないため、ここで割愛しますが、ひとまず肝心なのは、世間で「こういうのが正しい」とされていることが本当に重要な事かどうかを疑った上で、自分の頭で判断していくことです。

重要なものが減っていくほどストレスはなくなる

さて、以前「意識の分野の解消法その2 なるべく関係を謝絶する」で書きましたが、意識の中のお荷物を捨てていくだけで、その捨てた分だけ気持ちは軽くなっていきます。

身の回りのもの、特に重要度の高いものは本当に「重い」ので捨てると、ストレスの軽減は早いですが、捨てること自体に抵抗感が生まれやすいはずです。

ということで、それはひとまず後回しにしておいて、先に、「一般論」から捨てていくのも良いかもしれません。

本当に自分と関係があるのかということを考えていくと良いでしょう。

医者や弁護士は資格取得が難しいということで、すごい人だと思ってしまうこともあるかもしれませんが、それはそれで良いとして、相手のすごさと自分は何の関係もないというところから考えみましょう。

出身校のレベルであったり、勤め先の企業の規模だったり、そういったものは、それはそれで一定の尺度があるのかもしれませんが、自分とは関係ありません。

「それがどうした」

です。

そんなことで何か比較されるとすれば、それは相手の都合です。

こちらはこちらの都合で判断すればいいだけです。

世間一般の認識というか、基準というものは自分とは関係がありません。

相手を説得する必要もありません。

でもそうした基準が確かにその場の空間を仕切っていて、その空間が息苦しいのなら、外に出ることです。

あなたをその空間の枠内に閉じ込めようとするのは誰でしょうか?

それはあなた自身の「アイツ」であり、他人によって他人の都合で決められた基準を刷り込まれて採用しているにすぎません。

いち早く自分を取り戻しましょう。自分の「アイツ」です。

「なんでおまえのためにこっちが鬱にならなきゃならないんだ!」

そういった感じで吹っ切りましょう。

仕事が嫌で転職したいけど、嫁子供を意識してやめられない、みたいなことがあるかもしれません。

やめましょう。

現状維持のために嫁が難癖つけるなら離婚すればいいだけです。

養育費を請求されても踏み倒せばいいだけ。嫁も親なのですから嫁が稼いで育てればいい。それくらいの気迫を取り戻しましょう。

良き妻ならあなたを理解するでしょう。

悪しき妻ならあなたを理解せず、自分の都合を押し付けるでしょう。

そうであれば、自分の都合だけ押し付けてくる人の奴隷に成り下がる必要はないはずです。

あなたの人生です。

あなたは誰かの奴隷ではありません。

社会の奴隷でも家族の奴隷でも何でもありません。

勝手に「これが重要だ」、「これが絶対的な基準だ」と決められていたようなことを疑いましょう。

「それがどうした」

そんな感じで、重要だと設定された、ストレスの原因を一つずつでもいいので取り去ってください。


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