逆境のときの友人

「お金と異性が絡んだときの人間を信用するな」

これは高校生の時に同級生が、僕に説いた言葉です。

その一年後、夏目漱石氏の「こころ」によって、その言葉がズシンと響いたものです。

その同級生としては、何か直近に思い当たるフシがあったのでしょう。

同時に「だからオレを信用しろとは言わない」

と言いました(別にお金を借りてこようとしてきたとか、恋敵だったとかそういうわけではありませんでしたが…)。

意図的に相手を欺くつもりがなくとも

大抵の約束や行動は、最初から意図的に相手を欺くつもりがなくとも、時と状況によって、結果的に相手を裏切るような判断決断を迫られるということが常に危険性として内在しています。

だいたい会社などのお金を横領して捕まるのは、異性に狂ったか、ギャンブルなどで借金苦になったような人です。

ただ単に「お金はあったほうが良いから」という理由だけで、急に横領を考える人はあまりいません。

なにか必要に迫られて、今の現状で「それを解決するためには」と思考を巡らせた結果、そういった犯罪や、犯罪とまでいかなくとも裏切りのようなことを選んでしまう危険性があります。

犯罪においては違法性阻却事由という考えもあります。しかしそれは殺されかけたから、他人の土地ながらも逃げ込んだとか、違法に監禁されているからアジトの窓を叩き割って逃げたとかそういった事柄です。

しかし、裏切り行為というようなものは、そういった「仕方ない」要素、とまでは言いがたい行為です。他にも選択肢はある上に、そもそも「生命を守るため」というよりも、自らの欲を満たすためという事柄ですから。

カツカツになっている時の友情

また、もう一方で、カツカツになっている時に友情というものはあまり発動しないものです。

好いた異性に心奪われれば、大半の人間が、いとも簡単に友人を軽視し、仕事上で気持ちがカツカツになれば、友人をお金と見るようになります。

友情に見せかけていただけ

同時に、ひとり出世などしようものなら、それまでの友人を見下げて自尊心を満たそうとするという事をやり始める人もいます。

そこに友情はありません。自尊心の踏み台としての人間としか見ていません。

もともと傲り高ぶりたかったのに、まだそれが叶わないという自分の能力の低さをもともと認めており、第三者よりその能力の証明が与えられた瞬間、傲り高ぶるということです。

それは今まで、友情に見せかけていただけで、友情があったわけではありません。

いつ何時でも、根本的に同じ態度を取る人こそ、ともに歩むべき友人です。

逆境のときの友人 曙光 489


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