辞書

歩こう会

「だ捕(拿捕)」など、普段使わない、読みにくい漢字は、最初から平仮名にしてあったりします。

僕は中学生の頃、「歩行(ほこう)くらい読めるわい!」と、
歩こう会のポスターにキレていました。

あれは「あるこうかい」らしいですね。

でも「ほこうかい」とも読めます。

この組織の名前をつけた人は、相当気が回らない人なのでしょう。

しかも、「いまや歩こう会は説明不要なくらいメジャー」くらいに思っていると思います。

そういう人とは友達にはなれません。

控除という言葉があります。

「引いていきますよ」というような意味ですが、昔、あるFPの人とバトルしたことがあります。

やたら「控除があります」という言葉をつかうので、「何の控除ですか?」と質問しました。

すると「控除です」と答えてきました。

所得控除ですか?

税額控除ですか?

意味合いはかなり異なってきます。

税額の計算の元になる数字を引くのか、はじき出された税額から引くのかで大きく異なってきます。

あまり、控除という言葉を単体で使う人を玄人だとは思えません。

自分の中では当たり前でも、単語の意味に2つ以上の可能性があるなら、そこは限定するべきだと思います。

専門用語

「なるべく専門用語は使わずに」みたいなことを言う人がいますが、その前になぜわざわざ専門用語というものがあるのかということを考えていただきたいですね。

専門用語ばかりの会話は相手を辟易させるだけですが、おおまかに定義を説明すればいいのではないでしょうか。

それをパスして自分だけがわかっている状態で会話をするから「なるべく専門用語は使わずに」と言われてしまうのだと思います。

実際、専門用語で記述したほうがかなり簡単に説明できたりします。

その手前で、単語に対する共通の認識を持つ必要がありますが、結果的にそちらのほうが双方に誤解が生じにくいと思います。

もちろん伝わればいい

もともと、何か感じたりした「印象」を言語に変換して相手に伝える際に言葉というものを用います。

考えている時も言語を用います。

考えが伝わればそれでいいのですが、普段普通に話せているので国語を極めているように思いますが、実はかなり曖昧に使っています。

「考える」と「思う」は同じように使用されますが、ニュアンスは異なります。

「は」と「が」も違います。

ここらへんは、金田一春彦さんの本でも読んだらスッキリするのではないでしょうか。

もちろん相手に伝わればいいので、必須ではありません。

イライラ

高校生の時の物理の先生に教わったのですが、国語力というか、そういう文法や語彙数で、感じるストレスが違うということを言っていました。

「終止連体形」などをいちいち意識する必要はもちろんありません。

自分の感情を言語に変換して相手に伝えるときに、その感情により近い表現ができればスッキリする、というようなことのようです。

「そうか、そうだったのか」

ということで、僕は国語の勉強をやり始めました。

受験のためでもなんでもなく、スッキリするために。

読み物としての辞書

普通、辞書はひくものであり、国語学者でもない限り、辞書などを「読む」ことはないでしょう。

有名な話として、ノーベル文学賞のあの人は、広辞苑を3冊ボロボロにするほどに読んで、単語を暗記したそうです。

「一生に一度も使わないかもしれないけど、いざという時に一番的確な表現がしたい」

そんな理由だったような気がします。

僕は、そこまではしませんでしたが、辞書を読んでいると、自分が単語をかなり変なふうに使っていたことに気づけたり、「類語辞典」でより的確な単語を見つけられたり、結構楽しかったように思います。

そして、本を読むスピードが飛躍的に上がったように思います。

辞書を読む必要はありません。また、いつまでも覚えている必要はありません。

しかし、本を読むことにストレスに感じるのは、もしかしたらそのへんの国語が曖昧な可能性がありますので、辞書をひきながらでも読んでいけば確実に世界は広がります。

テレビを観て受身になるより、もっと自分の世界が広がると思います。

そして何より、自分の思いを相手に伝えるときに、より純度の高い表現ができるようになると思います。

コミュニケーションにおいて、行動や表情なども重要な要素ですが、もちろん言語も重要な要素です。

コミュニケーションという言葉は、「人と仲良くする」みたいな意味に捉えられがちですが、「知覚・感情・思考の伝達」なのですから。

「愛している」と素直に言えない場合は、
「今夜は月がキレイですね」とでもいいましょう。


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