赤黄色の金木犀

赤黄色の金木犀

なるべく独りで聴きたい曲というものがあります。

フジファブリックの赤黄色の金木犀もその一曲です。

で、さらにこのライブ版はすごい熱量です。

10年位前のときのパワーが欲しい時はいつもこの曲を、さらに言えばこのライブ版の赤黄色の金木犀を聴くことにしています。

仮に自分がギタリストで普段はすごく「ギターソロを弾きたい」ということを思っていても、金澤ダイスケ氏にキーボードを弾かれたら、それはもう全幅の信頼をおいてお任せしたくなります(と言っても普段はベースしか弾きませんが)。

仮に娘がいたらこんな男たちを連れてこいと言いたくなるほど、ぐっと来ます。

「赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって」という歌声を聴いているこちらの方が「たまらなくなる」といった感じです。

さて、YouTubeコメントにもあるように、この時の志村氏と山内氏はお揃いのFenderのストラップを装備していますが、僕もお揃いです(多分一緒のやつだと思います)。

お揃いのFenderのストラップ

といっても、このストラトキャスターとストラップは、ほとんど僕が使っていますが、一応父の物です。ということで借り物です。

さて、赤黄色の金木犀ですが、この曲を聴くとどうしても勤め先を辞め、起業することをぼんやり考えながら職場から歩いて帰った日のことを思い出します。

何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道

本田宗一郎と井深大展で触れていますが、2004年の11月に僕は一応社会の中での進むべき方向性がほとんど確定しました。実を言うと小学六年生の卒業前くらいから将来の夢の欄に「実業家」なんてなことを書くほどの変な子供だったのですが、それが確かにはっきりとしたのは2004年のことでした。

たまに芸人とかアーティストとかそういった夢を追っているような人に言うことがあるのですが、「根本的な動機を探ってみよう」というようなことをあえて言うことがあります。

もちろん夢を潰すためということではありません。どちらかというと本気で応援しますからね。

ただ、たまたまの「嬉しい成功法則」がそれだったからという理由で、本当はそれほど大してその対象が好きではないのに、好きであると思い込もうとする人がいることは確かです。

友達がいないことが辛いということの解決策として、芸人活動をしているという人も何人かお会いしたことがあります。

でもそれは本質的にお笑いが好きなのではなくて、芸人の空間にいると不安がなくなる、辛さが無くなるという別の側面での「やり続ける理由」です。

さて、いきなり脱線気味かと思われた方もいるでしょうが、僕が会社を作ったりだとか、いわゆる起業家みたいなことになってしまった理由は、そうした本質的に好きではないのに好きであると思い込もうとするというようなものではないということをお伝えしたくて書いてみました。

別にモテたいだとか、カッコイイからとか、甲子園に行けなかった人たちがプロ野球選手の代わりの対象として起業家に憧れるみたいなことではなくて、2004年のその日にもっと抽象的に「こういう生き方がいい」と思ったからです。

構造でみると、誰かに雇われるということは、雇い主に人生をコントロールされることになります。

それは直接的な命令などだけではなくて、無意識の選択においてもコントロールされていくことになるでしょう。

僕は昔から欲がなく、怒りしか無いような性格でした。

だからこそ、モテたいという動機ではなく、他人にコントロールされず、自分の責任で、自分が熱中できることをやりたい、そんなことを思いました。だから、それはどんな形でも良かったのです。というより、今現在においても、「どんな形でもいい」と思っています。

同調したくないという衝動

で、こうした思いを持ったのは、元々周りと同調したくないという怒りが原因です。

人嫌いとかそういうわけではなくて、個人の個性も別として、格差のある人達と同じ空間にいて、明らかに自分のほうが正しいはずなのに、その空間では間違っている方が優勢になって、自分が浮くという状態が不快でたまらなかったという感じです。

それは、考え方に多様性があって、「そっちもありだな」とか「そういう考え方もある」というようなレベルではなくて、本当に周りがおかしい場合です。

例えば、自分は1+1が2だと思っているとして、周りは1+1が5だと言い張っていて、2だと思っているのは自分だけで、5だと思っているのが周りに20人位いて、何故か自分のほうが間違いだというような空気が流れているような感じです。

でも理屈で考えれば、合格率が10%の試験なら、正しいのは10%の人たちであって、90%の方が間違っているはずです。

ところが、何故か民主主義という仕組みや、和や協調を良しとする日本の風土では、多数派のほうが正しいというようなおかしな空間が広がっています。

説得するより飛び出したほうが早い

ほとんどの企業では、傍から見るとおかしな風土があって、新入社員くらいのときにはその違和感に気づくものですが、時間が経つにつれて知らぬ間に同調し、自分もその風土に染まってしまうということがあります。

どこの会社でも多少なりと変なところはあるはずなので、まだましな方に入るような会社もあるでしょうが、それでもやはり変なことには変わりなく、すごく純粋にその風土を捉えた場合には、明らかにおかしいということには変わりありません。

犀の角にもあるように、どうしても人と一緒にいると同調していきます。だからこそよほどの達人にならない限り、基本的には自分より優れた人か同じくらいのレベルの人とだけ一緒にいることが大切になります。

そして、民主主義という一種の洗脳の状態にあると、自分には一票しか無く、構造的に自分一人が正しくても、周りの方が正しいという構造になると盲信してしまい、票数を増やして革命を起こそうと考え、周りを説得してしまうということを思いついてしまします。

でも、そんなときは飛び出したほうが早い、そんなことに気づきました。

2004年に気づいたはずの生き方を何処かで忘れていて、でも心の奥底ではしっかりそれを持っていて、同じ11月の夕暮れなんかを感じてそれを思い出して、急に胸騒ぎがして、「やっぱりこのままは嫌だ」と嫌な感情にフタをせずそれを受け入れて、辞めて起業することを思い立ちました。

赤黄色の金木犀を聴くと、その時のことが蘇ってきます。


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