貧困に耐える

貴族の素姓の大きな美点は、その素姓が貧困をよりよく耐えさせることである。 曙光 200

貧困と貧乏マインドは相関関係どころか因果関係ですらあります。

寄付をすると金持ちになる、というようなことが囁かれる場合がありますが、問題はその行動ではなく、その行動時のマインドにあります。

その理屈は非常に簡単で、貧乏マインドなら「惜しい」と思い、「数限りあるお金が減っていく」ということや「その分を稼ぐにはまたあれほどの辛い思いをしなければならない」というようなことを思い浮かべるからです。

実際に寄付をするのかしないのかという行動は別として、お金が出ていくときのマインドは、貧困に大きく関係しています。

そして細かいことは気にしながら、一方で傍から見るとわけのわからないようなことにはお金を使っていたりします。

さらにその最大の特徴は、憐れみ乞いというところになるでしょう。その憐れみ乞いの姿勢は、お金だけでなくモテにも大きく関係しています。

憐れみ乞いの姿勢

お金がない人、モテない人、そして場合によってはうつの人、それらの人には共通の特徴があり、どこかしら憐れみ乞いの姿勢を持っています。

「私はこんなにかわいそうなのだ。誰か助けてくれ」

という姿勢です。

確かに賃金が安ければ安いほど、逆に労働内容は辛いものになっている傾向にあります。確かにスタートは平等ではありません。

しかし、封建制度のときのように、インドのカーストのように巨大な力の影響で身動きが取れないというわけでもありません。

また、モテない人は、「私はモテるとされていることをこれほど頑張ったのに誰にも評価されない」というマインドを持っています。

英語が話せるとモテるとされ、良い大学に入ればモテるとされ、「公務員が人気」とされていて、そこに便乗したのにモテない、と。

「なぜこれほど努力したのにモテないのか?」と思っているはずです。

「私はこれほど頑張ったのに評価されないのだ。それは可哀想だと思わないか?誰か救ってくれよ」

というマインドを持っています。それこそが貧乏マインドでありモテないマインドです。

「貧困に耐え、頑張っている姿を見せ、誰かに同情してもらい、その結果『哀れみ』を与えてもらえるのではないか?」

という事を思っています。

それは自分には力がないということの自己認定であり、誰かに救ってもらわないと成り立たないという自己認定です。

その認定こそが、目に見える日常の中に盲点を作り、己を制限しているだけだということに気付いていないだけです。

金持ちの子がいても、それはただ単にそのフィールドで普通に過ごしているというだけのこと。動物がただそこで生きているように、草がそこに生えているように、それはただそのフィールドで自然に過ごしていると言うだけです。そこに不平を訴えかけても仕方ありません。

憐れみ乞いの姿勢は、何か巨大なものや身近な人達に不平を訴えかけ、調整をしてもらおうというすがり根性です。

その意識こそが、目の前の現象を作っているということをお忘れなく。

貧困に耐える 曙光 200


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