言葉がわれわれの妨害になる

言葉に力を与えた時、というよりも意識的無意識的問わず「力があると認めている」時、言葉は力のようなものをもちます。

それが「アイツ騙し」であり、宣言効果であり、アファメーションと言われるものです。言葉を繰り返すことによって、その言葉の影響を利用しようというものです。それは実際の力というよりも、擬似的な力です。特に「ポジティブな言葉を使おう」という場合、目の前の現象の属性をポジティブなものに解釈するようにフィルターを少し変更するような力です。

本来無属性の現象を、経験の記憶と恐怖心のフィルターで何か属性づけます。少しわかりにくいですが、反応に反応している、ということになっています。俗っぽく言えば、現象に反応した頭からのデータを心が受けとっているという構造です。

「言葉の力を使う」というような宣言効果・アファメーションは、この中継地点を言葉によってフィルター変更するという手法です。記憶に先にやられる前に意識に出てくる経験の記憶の中から、良いものを抽出させたり、たくさんの解釈の中から、良い感情が生まれるように、ある程度強制的に舵をとるようなことです。

「アファメーション」で弱まったのに、
またそれを利用する「アイツ」

擬似的にでも言葉の力を使って、それで実際に感じ方も、目の前の展開も変わりますから、利用しても良さそうですが、最後は手放さなくてはなりません。なぜならばこれが条件になっていくからです。「こういうフィルターの設定をしなければいけない」という条件がついていくということは、この手法でせっかくアイツの力を弱めたのに、アイツにまたこの手法を逆利用されるといったことが起こるからです。「何かをしなければならない」というアイツの手法が、現実的な手法から一見変わったような手法に取って代わるだけですから、また元の木阿弥になります。

あとは言葉を繰り返すことによって分散している集中力をひとまとめにするという使われ方もします。おもしろいですから、一度やってみてもいいかもしれませんね。パワーで押し倒すというのもなかなかおもしろいですが、たまに言われる「言うだけでなく紙に書く」というやり方の効果は、真偽を議論する前に一度試してみたほうがいいかもしれません。とやかく考えて、「論理的におかしい」と真偽の議論をするのはまさしくアイツですからね。そんな時は、本当だという証明をしようとか、嘘だという証明をしようとか、そんな気持ちを持たずに自分自身で許可しながら書いたほうがいいですよ。

言葉がわれわれの妨害になる 曙光 47


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