見渡せば秋冬生まれの文化系

12月です。僕は12月生まれです。

見渡せば秋冬生まれの文化系ということで、昔からずっと秋冬生まれの友人が多く、文化系の人ばかりが友だちです。

ほとんど11月以降に誕生日を迎える人ばかりが友だちで、そしてなぜか10月生まれに特に仲のいい人はいなくて、飛んで9月生まれに友人が多いというのも不思議です。

まあその理由に関しては小学生の時から薄々感づいていました。

同学年のうち、学年の最初の方の月に生まれた人は、体育会系が多いのです。

僕は12月生まれで、4月生まれの人に比べれば、身体の成長に関して8ヶ月遅れています。3月生まれの人としてはもちろん1歳位の差があるというのが当然です。

で、そんな中で「体育」の授業でスコアなどを競ったりすれば、あまり成長してない秋冬生まれは、確実に春夏生まれより不利です。

そうなると、それでその後の人生を決めてしまうような「成績」を測られたのでは差別だと思っていました。

概ね体育会系は、「フェア」と言いながら、自分たちの基準でのみフェアを説きます。

だから上下関係ともども嫌いなのです。

で、概ね学年のうち早く生まれた人は、同級生の中でスポーツでヒーローになります。小学生の時は「かけっこが速い人」がモテたりします。

で、そうなると学年の後半で生まれた僕たちは出る幕がありません。生物学的なハンデを背負っているのです。

そういうわけで、そういう「かけっこで一番になった」等々スポーツでヒーローになった人は、スポーツ等々で「勝った」という瞬間に味を覚えています。だから勝ち負けが好きなのです。

そしてだいたいそういう人は脚光を浴びなくなるとギャンブルを始めたりします。

プロ領域になると、そうしたものは関係なくなると思いますが、幼少期の成功体験、嬉しい瞬間がその後の人生を決めていくと言っても過言ではありません。

若手の起業家のような人を見ても、「最年少上場!」「みんなに認められたい!」みたいなことを叫んでいる人は概ね元野球部か元サッカー部出身と相場は決まっています。そしてそういう人はだいたい春夏生まれなのです。

ということで、幼少期の「嬉しさの発見」において、対象が違うため、体育会系とはどこかで相容れないのです。

気持ち悪いんですよ。

学年の区切り的に生物学的に有利だっただけで「オレはすごい」「私はすごい」みたいな感じになって、「自分を褒めてあげたい!」みたいなことを叫んでいる人はね。ただ制度のお陰で自分が有利だったというだけじゃないですか。

ということで、僕の周りには、秋冬生まれの文化系しかいません。

身体の成長というハンデを背負いつつ、「スポーツは違うかな」ということで、絵を描いたり楽器を演奏したりする形で、喜びを発見していった人たちです。

むしろ文化系の分野においては、視覚の発達や聴覚の発達の面において幼少期から対象に触れておくことが重要になるので秋冬生まれの人のほうがある意味では有利です。

でも、別にそうしたクリティカルエイジ的なところは、春夏生まれでも前年からやり始めるということで対応は可能です。ということで、文化系には学年の制度による差別はありません。

別に相手が体育会系でもいいのですが、結局のところ発育差で勝てただけの「嬉しい体験」のパターンから、幼少期にスポーツに熱中し、その後その延長で部活動に勤しみ、その間に体育会系の上下関係とかそういうマインドを植え付けられてしまった人たちとは、根本的なところが合いません。

家にテレビすら無いのにスポーツ中継を観るわけもありませんし、ゴルフもやらないのですから、自然と会話が続きません。

変な話ですが、個人的には他人の「よっしゃ!」というような瞬間を観るのが嫌です。

なぜなら基本的に文化系の領域ではそうしたような瞬間は無いからです。根本的に勝ち負けの概念がありませんからね。そして、僕の中の喜びにそのパターンは入っておらず、長い人生の中での体育会系の寒さの情動の方が強く残っているので、嫌な気持ちになります。決して僻みでもなんでもありません。

本来は、スポーツの分野でも極みになれば文化系のような喜びの方にシフトしていくはずだと思っています。

ただ試合に勝つのではなく、自らの技量などの向上、その分野での高みの方に喜びを見出すという感じです。

そこまで達している人とは、仲良くなれるでしょう。


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