虚栄心をもたない

情熱的な人間は、他の人々が考えるものをあまり考えない。彼らの状態は、彼らの心を虚栄心以上に高めるのである。 曙光 394

マルチネットワーク全開の人の勧誘文句が「あなたもランボルギーニに乗りませんか?」だったということを筆頭に、今回は虚栄心です。

「本当にランボルギーニに乗っているなら虚栄じゃなくて本当に金持ちじゃないか」

という人もいるかもしれませんが、お金で消費物を買って使うことで得られる贅沢など、たかだか知れています。

そして、まず「みんなに羨ましがられているはずだ」と思うのは誰ですか?

自分ですね。

ということでそんなことは自作自演なのです。

全ての価値は、いくら外側にあるように見えても、「外側にある」と認識するのは内側ですから、絶対に内側です。

目で見て判断して思考が起こって、結果である感情を感じている、くらいのものです。

でも、本日「嫌いなものは嫌いと認めることで好きなものが見えてくる」で書いたように、幸福感は、0から100に加点方式で向かっていくのではなく、本来の100からマイナスに引っ張っている要素を外していくのが正しいのです。

で、完全に錯覚を錯覚だと知ることで、いつ何時でも100になることができます。

わざわざ、目の前の現象を操作しなくても、最高地点に立っているのです。

虚栄による遠回りな幸福論

先ほどのネットワークビジネス=マルチネットワーカーのように、「ランボルギーニに乗りませんか?」というように、仮にランボルギーニに乗った時に幸せを感じれるとして、その瞬間と同じレベルの幸福感をランボルギーニ無しで、今この瞬間に手に入れるとすれば、どちらのほうが贅沢ですか?

そんな遠回りなことをする必要はありませんし、「ランボルギーニ」を手に入れなければ幸せではないというような条件を付けていくほうがバカらしいとは思いませんか?

そして、こうした事柄で幸せを感じようとする人は、実際にランボルギーニに乗ったとしても特に幸せを感じることはありません。手に入れた瞬間に次の対象を探すからです。

ランボルギーニを手に入れて乗りたければ乗ればいいのですが、それに気を取られて、それよりももっと贅沢な境地があるということが見えなくなるのはもったいない、そんな感じです。

くれぐれもそうした高級車に乗ることを目的として夢や理想を語り、マルチ商法、マルチネットワークにハマってしまうということがありませんように。

マルチ商法と洗脳

虚栄心をもたない 曙光 394

虚栄心の原因と心理の裏側

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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