虚栄心の原因と心理の裏側

虚栄心の原因と心理の裏側ということで、虚栄心について書いていきます。

虚栄心(きょえいしん)は、つまるところ自分を大きく見せたいということであり、その裏の心理としては生存本能としての恐怖心があります。

マルチネットワークにハマる人ほど、高級車や高級時計を欲しがるというような感じで、何某かの優れたところを周りに誇示しない限り不安が拭われないというような側面があります。

マルチネットワークについて書いた後、関連している過去記事を確認してみると、ニーチェの曙光シリーズで「虚栄心」がついたタイトルのものが4つあり、こうしたものをまとめておきつつ、さらに少し深掘りして書いておこうかなぁと思ったしだいです。

まずは特別企画内の「虚栄心」をリストアップしておきます。

それでは、虚栄心について書いていきます。

虚栄心は「栄えている」と偽る心

虚栄心は「栄えている」と偽る心を意味しますが、これは誰か他人に対するものだけでなく、自分自身を自己説得することも意味します。見栄を張ることで自分を大きく見せたい、実力以上に評価されたいという感じです。

なお、曙光の中で登場したようにニーチェによると、「虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心である。それ故に誇りの欠如である。しかし必ずしも独創性の欠如というわけではない」ということのようです。

誰に見せるわけでもなく、自尊心の高まりの自己確認のために家の中で高級腕時計を付けてみて眺めるという感じです。

といっても、その際はイメージの中でどこかしら他人を想起しているはずです。

仮に人間が誰もいない世界があったとして、その世界ではそのような高級腕時計は「時間を示す」という機能以外を持ちません。

ということで、その高級腕時計に時間を示すという機能以外の機能を感じているとすれば、それは優越感や高まった自尊心の確認であり、虚栄心を叶えるものとしての機能をもたらしているということになります。

自然界における体の大きさ

動物など自然界においては、物理的な大きさで実力を誇示する傾向にあります。エリマキトカゲ理論などで触れていますが、エリマキトカゲのように体を実際の大きさよりも大きく見せることで外敵に対して肉体的な強さを誇示しようとしています。また、目の大きさや声の低さも身体の大きさを錯覚させるものとして考えられています。

そのような感じで動物などにおいては、身体の大きさを本体以上に大きく見せることは外敵に対する虚勢のような意味があります。

これは端的に、生命維持のために外敵からの攻撃を避けたいという意図があり、生存本能としての機能がそうした工夫を凝らしていると考えられます。

人間だけが持つ物理的大きさ以外の尺度

人間の場合は、大脳新皮質とりわけ前頭前野が発達しているからか単純に身体の大きさだけでなく、物理的な認識を超えて情報空間にその大きさを求めます。

他の動物と異なり、人間は物理的大きさ以外の尺度を持っているという感じです。

しかしその根底にあるのは人間以外の動物と同じように生存本能としての恐怖心です。

動物の間では、まさに物理的な「力の強さ」がキーポイントとなりますが、人間社会ではその「力の強さ」の尺度が、肉体的パワーだけでなく、経済社会などの社会的闘争での戦闘力のようなものも対象となっているという感じです。

それは、その地域社会で何がどう評価されているかというところはバラバラですが、資本主義においてはお金を稼ぐ力や交渉能力のようなものが一つの尺度となっているというような感じです。

生命的な強さ以外に、社会的な評価としての力の強さとして「スペック」という言葉が用いられたり、資産規模なども対象となるという感じです。

これらは、資本主義といったある特定の考え方からみた捉え方で、その目線の中では一つの尺度として機能します。

そしてそれが象徴化されているもののひとつが高級品です。

ということで、虚栄心の原因は、動物でいうところの「体の大きさ」をもって外敵を騙すことで死亡リスクを軽減させる、という生存本能の方向性が、物理空間を超えて情報空間に表れているということになります。

虚栄心を強める心理要素

虚栄心は何と言っても生存本能としての恐怖心が発端となっています。

自尊心欠落の補償行為ともとれますが、その根底の心理としては、「社会的動物である」という錯覚の元、群れから仲間はずれにされるのが恐いというような気持ちがあり、その上で、仲間として認められるには一定以上の評価が必要であるというようなことを思った上で、そうした評価を偽ってでも誇示しようとするという感じです。

奥底には、仲間外れにされることや虐げられる可能性のリスクを少なくしたいというものがあります。

そしてあわよくば人よりも上位に立ち、なるべく自分の都合の良いように周りが配慮してくれることを望んでいます。

それもこれも全て生存本能としていかに楽に、そしていかに危険を回避しながら生きていくかというところを目指しているということになります。

自尊心の欠落という面もありますが、根本的に自尊心が必要であるということ自体がアイツこと自我による錯覚です。

本当はそんなものは必要ないのですが、自我の錯覚の内にいると、自尊心が傷つくことを恐れ、自尊心を回復することが必要だという煩悩に苛まれます。

虚栄心を加速させる心理要素としては、こうした自尊心の虚像を実体と錯覚しながら、自尊心が低いレベルであるときです。

マルチネットワークにハマる人や詐欺師、パワハラ野郎などはだいたい根底に自尊心の欠落があります。そうした人たちは、人をお金と見たり、人を騙したり、人に罵声を浴びせながら、高級品などを買うことで虚勢を張ろうとします。

また、見えにくいだけで少し違う側面で強い虚栄心を保持しているタイプもいます。

恵まれていそうだが自己評価が低い

二代目三代目の坊っちゃん・お嬢様に多いのですが、肩書上は専務取締役だったり会社顧問だったりしつつ、結局仕事自体はやらずに役員室でゲームをしていたりする人がいます。

また、地主の家系などで、仕事をせずして親から継いだ不動産収入だけで生活している人もいます。

傍か見ると働かずして豪華な生活ができているので羨ましそうに見えますが、当の本人たちは結局社会の中での存在意義を見いだせず、自己評価が著しく低かったりします。

例えば、豪遊できたりはしていますが、社会の役に立っている実感もなければ、「同僚と難しい仕事をこなして打ち上げをする」というような感覚を味わったことがないので、自分自身に対する評価が低い状態にあったりします。

ということで、それをかき消すかのように、お金で学歴を買ったり、高級車を購入したりするのです。

嘘をついて生きている

世間ではやり手の営業マンなどで通っていますが、その実詐欺スレスレの仕事ぶりだったりするような人たちがいます。

金融商品販売者や不動産の営業など、高単価のものを扱う人に多いと思いますが、実際にたまに問題になっているように痴呆の高齢者に契約させたり、複雑な計算で錯誤を生み出すようにして契約をもらったりと、自分でも疚しいとわかっていながら「やり手営業マン」であることへのプライドとの葛藤から自尊心が欠落しているような人です。

こういう人はいわば嘘をついて生きているということです。

そして、そうした仕事ぶりで汚した心を誤魔化すかのように、詐欺的に得た営業手当を使って、高級腕時計や高級車を買ったり、営業部の部下を連れて夜の街で散財したりします。

「すごい人だと思われたい」

というものが奥にありますが、結局本当は犯罪の域に達していると自覚しているため、ストレートに実力と評価がイコールではないとも自覚しています。

そうした場合に補償行為的に虚栄心を強めてしまうのです。

最高の贅沢

これまで虚栄心をついて見てきたように、結局虚栄心の裏には生存本能による恐怖心があります。

このように考えていくと、最高に贅沢な状態、つまり本当に最も栄えている状態というのは、生存本能による恐怖心がない状態です。その状態になると虚栄心自体は全てなくなります。

最高の贅沢は、「誰かの評価を必要としない状態」です。

いくら虚栄心を発端として高級品を買ったり豪遊しようとも、上には上があり、どこまでも限りがありません。

着飾ることを筆頭に、物に満たしてもらおうと思っても、すべてが満たされるものではありません。

他人からの評価など曖昧ですし、羨望ではなく妬みや、いわゆる田舎者扱いの嘲笑の対象にすらなるのです。

いつもいつも書いていますが、他人の評価を己の幸福感の条件にすれば、自分の状態を自分以外の誰かに委ねることになってしまいます。

世の中には、煩悩を満たせば苦しさが無くなるという人もいるようですが、そんなことはありません。

それらは錯覚の内であり、穴を掘って埋めているのと同じだからです。

条件化が穴掘りであり、実際の行動でその条件を満たして幸せになろうというのが穴を埋める行為です。

虚栄心で言えば、「すごい人だと思われなければならない」という条件をつけること自体が穴を掘る行為であり、すごい人だと演出するために高級ブランドで着飾るということが穴を埋める行為です。

そんな手間なことをしなくても、そもそも穴を掘らなければいいのです。

物には機能があります。

炊飯器は「ご飯を炊く」という機能を持っています。

服は保温のためにあります。

本来物がもたらす機能はそれだけで十分です。

服は保温のためにありますが、使い方によってはカーテン代わりになったり、傷口の止血のためにも使えます。

そうした機能の多様性を検討するのは構いません。

しかしそれ以上に他人に主張するための「情報としての機能」を感じたり、機能を期待することは単なる虚栄心にしか過ぎません。

そしてその奥には、生存本能としての恐怖心があるのです。


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