若干の主張

 個人がその幸福を望むかぎり、彼にその幸福への道についての指令を与えてはならぬ。というのは個人的な幸福は、独自の誰も知らない法則から湧き出るからであり、外からの指令によっては、妨げられ阻止されるにすぎない。― いわゆる「道徳的」な指令は、本当は個人と逆の方向であり、個人の幸福は全く望まない。

(略)

意識をもつ存在すべて(動物、人間、人類など)の発展において、特殊な、比較しがたい、高級でも低級でもない、まさしく独特な幸福が獲得されなければならぬ。発展は幸福を望まず、発展を望み、それ以上の何ものも望まない。― 人類が一般的認められた目標を持つときだけ、「これこれが行われるべきである」と提議されうるであろう。さしあたりそのような目標は全く存在しない。したがって道徳の要求を人類に関係させてはならない。 曙光 108 一部抜粋

最後には、「人々は、― 命令されることを望んだ」という言葉で終わります。「若干の主張」と銘打ちながらも、主張で終わらせてはもったいない箇所ではあります。

「発展」はただ、発展を望み、個人のことは関係なく発展だけをしていきます。

どんな組織でも最初はそれを構成する一人ひとりの意志の実現が目的だったものが、維持発展だけが目的になり、それを構成する一人ずつの意志は「関係なくなって」いきます。

労働組合がもたらす「吐出口」と「諦め」

以前に少し触れた労働組合が良い例でしょう。労働組合の場合は、「文句を言う場を作っている」という一種の感情的落ち着き提供の場としての機能があり、実質的な何かの改変よりも、「吐出口という場を設けている」という一種のサービス業的役割と、労働組合から交渉してもダメだったので個人で戦うのはムリだろうという「諦め」を生じさせるための機能があります。

使用者側はその組織運営者の一部を抑えれば事足り、統制にはとても都合の良い組織体です。

労働者からカツアゲして「発展だけ」を望む

労働組合は、組合費として労働者からカツアゲをし、そのお金はなんら労働者のために使われることはありません。

比較的軽微なものについては「言い訳」程度に対応するものの、個人的な紛争の場合は、個人で対応するように丸投げするでしょう。

新設の労働組合なら、組織力は弱いものの、まだ、個々人の意志が反映されやすいかもしれませんが、歴史の長い労働組合は、組織内が「ゴルフに行く」くらいしか頭にないほど腐敗していることでしょう。

しかしながら労働組合も巨大組織のため、個々人はそれに対抗することもできません。労働者側としては、会社とは別に、さらにカツアゲ組織とも付き合わねばならない、という二重の苦が待っています。

発展は幸福を望まず、発展を望み、それ以上の何ものも望まない

見事に正鵠を射るひとことです。発展は、ただ発展を望む、よって発展に主軸をおいては本来の目的に逆行してしまう、というのはよくあることです。

若干の主張 曙光 108


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