若き日のbossu 2005年12月~2006年1月

若き日のbossu 2005年12月~2006年1月

養子のうさぎが亡くなってからというもの、彼と出会う前の僕と今の僕がつながってきたような感覚に陥っています。

そう言えば、本ブログは僕の集大成サイトにもかかわらず、まだ集めきっていない思考の痕跡があることを思い出しました。本当に一部のものは本ブログに移管してありますが、なるべく本格的にちょろちょろ移管しておこうと思います。

ということで、この投稿は「若き日のbossu 2005年12月~2006年1月」という感じでいわば番外編です。番号がつくようなタイトルのもので言えば「ゼロステージ」というような感じです。

さて当時の僕、つまり二十代初頭の僕は一体どんなことを考えていたのでしょうか?

ゼロステージ

今の僕から見ると当然に青く感じますが、その後今の僕のように「こんな感じになるぞ」というプロセスをつかむには良いかもしれません。ということで一般公開です。

今後は、今回のように「時期区切り」か、以前に転載したように「テーマ区切りか」はバラバラになりますが、なるべく多くのものを移管しておこうと思います。

場合によっては、追々各セクションに今の僕からコメントを残したり関連記事へのリンクを設置するかもしれませんが、全て原文のまま転載しておきます。

TOEIC?

先日友人の上司がこんなことを言っていたらしい。
「TOEIC700点とれないやつは人間じゃないよ」
仮にあなたの両親がとれていなかったらあなたは人間じゃなくなります。
仮に子供ができたならその時点で「とれないやつ」なので人間じゃない。
法律的に「物」です。

(2005年12月03日00:38)

redって?

何ですかと聞かれると和訳は「赤」です。
では赤とは何か?
答えられるはずが無い。
だからいくらあなたが英単語の和訳を知ってようが
知らない人に対して
「そんなことも知らないのか?」
と言う台詞はおかしいのでは?
さあ「赤」とは何か答えてください。
情熱の色?青でも黄でも無い色?説明になってない。
それに情熱、色、青、黄とは何ですか?
全ては感覚。
あなたは知っている。
尋ねられた時点で何も知らない。
時間。
生。

(2005年12月03日00:47)

星の数

人と同じ数?
カウントは原人からですか?
成長することなく堕ちた受精卵もですか?
恒星、惑星、隕石も星?じゃあさまよう原子は?
素粒子は?…
言った人に会えるなら是非聞いてみたいなぁ☆

(2005年12月03日00:54)

友人のニート批判への批判

友人のニート批判への批判

あらかじめ言っておくが、別に僕がニートなわけでもない。
ニート・フリーター批判の人たちは自分を否定したくないだけとしか思えない。
受験とか仕事とか勝手にプレッシャーを感じて嫌でも努力してきた自分の生き様を肯定したいだけとしか思えないな。
ニートを肯定すれば自分を否定することになる。
そう勝手に思っているとしか思えない。
自分の育った土地の様式の中でしか物を見出せない証拠だな。
これは非効率なやり方を押し付ける上司にも同様のことが言える。

巡礼するムスリムはどうなるの?
修行僧は生産してないぞ。
寝たきりの介護を受ける病人は?
生産してないぞ。
思想信条の自由だろうが。
どう生きようが死のうが個人の問題。
養いたくなければ養わなければいい。
遠い国で今死んだ人の顔も名前も知らない。

迷っているだけかもしれない。
この土地に適合できないだけかもしれない。
体力が無いだけかもしれない。
それは病気かもしれない。
ならば病人は批判されるべきなのだろうか?
風邪だけが病気では無い。

(2005年12月03日01:45)

居酒屋にて

どうも居酒屋と言うものは雰囲気作りなのか、「名言集」とか「○○の心得」とかがよく飾ってある。
こんな僕だ、友人に言われた。
「あの台詞見てどう思う?」
こう答えた。
「笑うべきことである」
どこもかしこも日本の老人が吐くような「八百万の神」的なものが多いからである。
「人を愛し、自分を愛し、出会いを大切に」
「山の神様がくれた、海の神様がくれた…」
まず人はどこからが人なのかを教えて欲しい。
なぜ山の神様がくれたと言い切れるのか?
あなたが勝手に奪ってきただけかもしれない。
山から取ってきたきのこの「きのこの神様」の立場はどうなるんだ?
さあ答えてください。
仏式で葬式しときながら、老人を敬えとか急に儒教を出してくるんじゃないよ。
仏教に上下は無いよ。
言葉にしろ何にしろ、いいとこ取りをしていったところで真髄がそれぞれ違うんだから半端なところで矛盾するんだな。
結果的に全部矛盾で終わるのだが…

「矛盾が無いと言うことは笑うべきことである」

(2005年12月05日01:20)

全てを知れたなら

いつだったか友人とこんな会話を交わしたことがある。
「人間、全人類が全てを知ってしまったらどうなると思う?」
「人類総自殺か完全動物化。」
「そうだろうね。」
仏教徒なわけではないが、もしかしたら釈迦も悟る前にこう思ったのかなと思うな。
哲学的なことから何から全てを解明できたなら。
不完全だからこそ生きれてるんだろうな。
0に近づけても0にはなれない。

(2005年12月05日01:38)

どうもこの土地は食べ物に対して命を奪っただとか感謝の意を強制しようとする。
個々の命の大切さはそれぞれの主観が存在する限り同等とも言える。
しかし「この動物なり植物なりが貴方のために死んでくれたのだから」というのは少し浅すぎる。
さらに「それなら水は?」にもなる。
それに、どの生き物にしても結局は細胞分裂なりなんなりで肉体などは一度も死んでいない事になる。
別にガイアに話を持っていくわけではないので。
まあそこで霊肉二元論などが出てくるわけだが…
それはさておき、命を奪ったと言うのなら誰に、または何に感謝をすればいいのだろう?
その生き物はもう生きてはいない。
僕を食べなくては存在できないようにした事に対する憎しみを誰に向ければいいのだろう?
いわゆる神か?それともダルマか?
いずれにせよ僕は命を奪って食す事になんの感謝も無い。
後ろめたさも無い。
僕が思っても基本的に僕しか変わらない。
ただ既製品であれなんであれ、出逢えたことに喜びを感じる。
僕と出逢ってくれてありがとう。

(2005年12月06日23:56)

先ほどは一般論的になったが
僕は人の定義すらできないと思っている。
自分の中で定義はある程度あるものの、
永遠に近づくがたどり着けない、でも知っている「人」

昔、後輩に言われたことがある。
「僕って少しずつ切っていったらどれが僕なんですか?」

昔、人に尋ねたことがある。
「人としてとか言うものの、どこから人なの?」
「生物学的なヒト」
「死体は?」
「違う」
「脳死者は?」
延々と続く…

確かにこの空間に居そうなんだけど、
僕は僕をつかんだことが無い。
腕をつかんでも「僕の腕」
切り離せば感覚も無い。

(2005年12月08日00:14)

死を覚悟した人

死を覚悟すると言っても、いつだって死は存在します。
生があるから死がある。生が無ければ死は存在しない。
病人、老人は死ぬ確率が高いだけであって、僕だって1秒後に死ぬかもしれない。
なのに今は耐えて楽しみは老後と言うのは甚だ可笑しい。
その期待感を楽しむだけで、日々ため息をつくのは笑うべきことである。 楽しめばいい。
瞬間的快楽ではなく継続的な平穏。
「よって死は最高である」
と言った人もいる。
欲を煩悩と言い快楽は悪だとした人もいるが、
それはまた笑うべきことである。
苦悩と快楽のちょうど中間が「無」
仏教上の最高の状態では無いだけ。
別に「悪」ではない。
ちなみに布施は無駄。
金は生産の有形。
ストレス発散に一日分の給料使うくらいだったらやめたほうがいい。 楽しみながら生産すればいい。

僕は僕である。
僕は僕ではない。
僕は僕であって僕でない。
僕は僕ではなくて僕である。
この全ては矛盾などしない。

時間は主観のみなのか、全体的なのかわからないが、 有限である。

(2005年12月09日02:10)

諸法無我

一切行苦

同級生が死んだとき

僕は悲しみと言う感情がまったくわきませんでした。
むしろ「あいつが万引きで捕まった」
レベルの笑いしかありませんでした。

「おい!それは無いだろう!」
いろんな友人に言われました。
でも別に悲しくないから悲しまない。

ひとつたとえ話をしましょう。

友人が海外に行きました。
その後まったく連絡も無く、
その人の情報も無いまま、
その人は10年後に死にました。
そのまた10年後、同窓会があって違う友人に
「あいつは10年前に死んだよ」
と告げられ初めて知りました。

20年間生き続けていたと同時に死んでいたのです。

この間隔が短ければ「交流」ができない虚しさはありますが。
無条件に悲しいなんてありえない。
好ましくない人だったら喜びがあってもおかしくない。

顔も知らない人たちが死んでいっていると聞かされたところで、その情報が嘘かもしれない。

でも僕の中の「嘘をつく記憶」の中で生き続けている。

(2005年12月10日00:15)

予定説とか因果律とか

結構前だが友人達と3人でコンビニ前で飲んでいた時のことである。
「う○こだって僕が避けているんじゃなくて僕が避けさせられてるともとれるね」
「そうやね」
「自らの意思から避けたように思うけどその自らの意思はこの環境の中の経験から予め避けるように仕組まれとるわけやね」
「だから予定説だって正しく無いことも無い」
「そやねぇ、でも因果律的でもあるなぁ」
「結局どちらでもありえるな」

自らの意思で行動してるつもりでも完全な「無⇒有」的オリジナルなどありえない。
組み合わせだけがオリジナルなんだろうな。
姓名、血液型、生年月日、土地、性別、家族構成…
各人それぞれの中でひとつには当てはまる。
~に的になりやすい因があるように思う。
そのひとつずつに何かしら「色」を持っている。
言葉一つにも意味だけでなく色がある。
音の響きもある。
バランスの良し悪しもある。
その判断は集合的無意識のみである。
自宅電話番号だって数え切れないくらいその数字を見る。
その時点である程度シフトされている。

因果律ともとれるが、究極的には予定説ともとれる。

(2005年12月20日02:52)

自由意志を哲学と社会学的帰責から紐解く

直線

ラング、パロール、本当に不便である。
コミュニケーションの限界さえ感じる。

「欲望」さあどんなイメージだろう。
「欠如」が他者に向けられた場合、そして利害関係の上で悪と認識されるだけ。
どうして食欲は悪ではないのか?
仮に善行を行う欲望はどうなのか?
単語ひとつとっても人によって感覚が変化する。
生理的なら良いと言うには早すぎる。
そんなに単純な構造ではない。
一般に悪とされている全ての根底にはそれらがある。

「ワレオモウユエニワレアリ」
さあ解釈に困る。
「我思う、故に我あり。」
「我思う、故に我あり?」
「我思う、故に割れあり?」

直線的に見ることは危険である。

(2006年01月04日00:01)

直線2

仮言命法によってシフトさせる。
すぐに二元論に持ち込む。
単純解釈で背理的に認識させる。
解釈を用いリスクを回避する。

まさに社会は「鉄の檻」

本来、誰が言ったなど何の必要十分条件にもならない。

(2006年01月04日00:15)

病的なのか?

先日、友人と酒を交わした。
「哲学者は最後に気が狂って死んでいく」
こんな発言が出た。
何を持って「気が狂う」とするのかを考える類だ。
ソクラテスも一般に言う死を迎えるとき、僕から見てそれは幸せそうで且つ、ポジティヴだった。
相手主観の、しかも相対的な「異常さ」を出すなら正常を示して欲しい。
そしてそれは自己の主観のみだと言うことをわかっていただきたい。
笑いながら死を迎えた歴代の哲学者は、それはそれは不満足だったろうけど幸せそうな人だったと思う。
地位でも名誉でも権力でもなくてただただ不満足の先を求め続けた。
「地位、名誉、権力」
人は言うだろう。
「欲しくないはずが無い」
「無いよりあったほうが良い」
哲学者に限らずだが、その点を追い求めるではなく
「なぜあなたはそう思うのか?」
「地位、名誉、権力とは何か?」
「良いとは何か?」
それを得るではなく、考えることを愛していたのだ。
「歴史に名を残す」
その手の思想を持ち、それを生きがいにしていった思想家もいるが、
仮に「人に伝えることは悪である」
若しくは「他人に伝える必要が無い」
として歴史に刻まれなかった人達もたくさんいるだろう。
そういう人たちの考えを是非聞いてみたいが、聞かさないのがその人の哲学なら聞けない。
もし、どこかに何らかの形でヒントがあって、思弁できるならしてみたい。

暫定的区切りが無いと行動は出来ない。
それもリアルタイムで変化している。
その暫定的区切りの呪縛が人と人が認め合うことを、そして人に限らず万物を認めることを許さない。
あくまで枠組みの中。
それは無意識の呪縛かもしれない。
しかし、それがあることによって人は生きている。
もし、その呪縛を解きほどこうとするのが生命維持に反するのならやはり病的なのか?

(2006年01月07日23:25)

また再会、そして出逢い

先日、友人が「遅れたけどこれ」と誕生日プレゼントを持ってきてくれた。
僕にジャズを教えた男。
それでも「俺はロックだよ」と言った男。
僕にITの世界を魅せた男。
僕の無意識を引き出した男。
唯一、僕に打ち明けた男。
音と言う無意識的領域で僕と会話した男。
酒を交わしたいが、彼は飲めない。
また、彼と会話がしたい。

帰り掛けに「何の本読んでるんですか?」
と、話しかけてきた男がいる。
「パンセ」
少し無愛想だったことをお詫びしたい。
すると
「僕、今ユング読んでるんですよ」
明日からは会話が弾みそうだ。

(2006年01月10日23:26)

遠い日

根本は変わっていないが、僕を加速させた様々な出来事。
意識が破壊されていった。
離人感が続く日々。
失われた記憶。
僕を縛る無意識。
その複合体。
意識をいくら高次に進めていっても僕を縛る。
僕の身体は少し反応する。
もう少しで世界を愛せそうなのに。

(2006年01月12日01:18)

ここ数日少し頭痛

持病の影響もあってか、少し頭痛が続いている。
先日、また友人と再会した。
今まで、直に共に共有した時間は10時間にも満たない。
だけど僕の中に深く根を張る人。
言葉はいつもより少ない。
でも、たった数枚の写真が彼を教えてくれた。
なぜか、遠慮はしない。
話が奥深くへと進んでいく。
彼が捕まえた風景は僕の欠如を浮き彫りにする。
単なる馴れ合いでもなく、根拠の無い理論による強制でもなく、ただ、僕を前へとシフトする。
それはまるで、母性に満ち溢れた女性かのように。

(2006年01月15日01:24)

訪問販売、宗教勧誘お断り

散歩をしていると、玄関先にそんなステッカーを貼っている家を見つける。
一般認識はそうなのかな?
僕なら大歓迎。
家に尋ねてきた勧誘者と問答が出来る。
しかも相手はほぼ本気。
でも、僕は人格は攻撃しない。
多分、遠い昔の相談室での説教の時のように、僕が帰さないだろう。
いつでもどうぞ。

(2006年01月19日02:21)

洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた

推理

現象ひとつ取ってみても、そのからくりが見えてくれば面白い。
現象に限ったとしても「嘘」をあからさまにつかず、織り交ぜ、若しくは真実を隠して丸め込む。
大義名分があればとりあえずは満足。
少し疑問がわいても真実を隠したまま、 その層をワンランク上に上げて 「よく見破りましたね、実はそうだったんです」と説明すれば満足。

そして、新しいものを求めて次の現象へ。

他人、社会やストーリー展開を推理するのは得意なのに、自分の周りには盲目な生き物、人間。

(2006年01月19日23:56)

思考型

思考、感情、感覚、直感。
もちろん全てを持っている。
僕は思考に特化しているんだろう。
それは男性であると言うことと血液型との関係も否めない。
欠如から欲求。
それが不完全である証と共に、生きようとする意志となる。

深くまで話し込めると言うことは僕にとって至福。
特に思考型の僕にとっては。
でも僕はプラトニック。
唯物論者ではないから。

現段階の僕。

人格攻撃はしない。
それは本当に無駄だから。

人は知っていること以上の事を知っていると言った心理学者。
その自分の中に閉じこもった無意識の情報。
対話はそれを引き出す。
そして新たなる思考が始まる。
情報の吸収のみならず、その配列、処理工程の確立、新たなる命題。

(2006年01月23日22:47)

風邪

高熱です。熱でここまで思考力が落ちるとは…かれこれ1週間程風邪です。のどだけだったので治りが遅かったのです。たぶんもう治ります。

(2006年01月28日21:06)

気になる一言

数学者パスカルの綴った数百ページにわたる覚え書き。
その中の一言は僕を少し虚無感に陥らせる。
しかし、迂闊にもたった一言の余計な肯定条件を述べたためにその信用は覆った。
だが、それはあくまで字義的。
理論の上ではその真髄、意とすることが把握できたように思う。
歴代の賢者と呼ばれた者たち、旧約、新約、そして仏教にも通じる一点。
ただ、今までの概念を少し明確にしたに過ぎない。

純粋に「ある」と言うことは「ある」と言うことだけで「ある」からどうなると言うものではない。

感情と言う真実。

基礎付ける複合体。

感覚と思考。

その情報の本質を左右できない。

価値や意味が無くとも動くもの。

それを受け取るもの。

それが虚像であっても。

広義の情報。

それを手に入れる為の交換価値。

情報と言う実体の無い使用価値。

無意識を縛るもの。

それを中和するもの。

ここにある真実。

(2006年01月30日01:06)

適職

仕事 組織で働くより、独立した仕事が向くタイプ
性格 かなりクールな芸術家タイプ
特に向いている職種は?
作家、画家、彫刻家、作詞家、作曲家、翻訳家、応用研究者、学者、
伝統工芸や芸能関係、音楽関係、フラワーアレンジメント、シェフ、料理研究家、
コンピュータのソフト開発など

完全な攻めのタイプ。
守るものが少ないので攻められても強いタイプです

内向性
0□□□□□
外向性
5■■■■■ 組織で働くより、独立した仕事が向くタイプ
作家、画家、彫刻家、音楽関係などの芸術家に多いタイプです。
企業などの組織に属するより、独立して仕事する方が向いているでしょう。
芸術家そのものにならなくても、自分の好きなアート関係や自分の価値観に合った製造、販売業が向いています。
せっかくポジティヴで個性的な性格をもらったのですから、大きな夢にチャレンジしてみてください。
新しいベンチャー系の仕事を立ち上げたり、自分で考えたり企画する仕事などであなたの個性は活きるでしょう。どんな分野で自分を活かしたいかを決めて、納得いくまでチャレンジすれば、自然と道は開けてきます。そして、相手への気配りを学んでください。

かなりクールな芸術家タイプ
自分の主義、主張をしっかりもったクールなタイプ。
考え方はポジティヴでいつもクリエイティヴですが、白黒決着を付けないと気が済まないので、結果として周囲に対する配慮が欠ける傾向があります。
自分の好みがはっきりとしていて、その分野の仕事なら絶対の自信をもっています。
言いたいこともはっきり言うので、周囲はあなたを認めざるを得ません。
そのため、組織のなかでは同僚や部下、後輩からは孤立する傾向があります。
人間関係ではどうしても自分の好みと論理優先になりがちで、それが通る環境では大成功をおさめますが、人情がからむ世界ではあなたの個性が活かせません。
幼い頃から自分の進む道を決めている人が多いようです。
社会に出るとわりと目立つタイプですが、周囲から何と言われようともあなたは気にもしないでしょう。
孤立を恐れませんが、いつもがんばり過ぎる傾向がありますから、時には家族や親しい友人に弱音を吐いてもいいんですよ。

らしいですw

(2005年12月09日00:52)

番外編特集として当時の適職診断の結果も載せておくことにします。

この時期の移管記事としては「花との思い出」の一部がちょうどこの頃にあたります。

Category:miscellaneous notes 雑記

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