考慮せよ

罰をうける者は、行為をしたものともはや同じではない。彼はいつも罪を贖(あがな)う山羊なのである。 曙光 252

「本を読めば、本を読む前とは別の人間になる」、よく言われるキャッチコピーのようですが、確かにある経験をする前とした後では、当然に別の意識を持っているので別の人間になります。

本を読む前と読んだ後では、意識の中に入っている情報内容が変化するので、少なからずは変化するはずです。

しかし、癖というものはなかなか取れません。

これは、行動の元になった原因が消滅していないと、また同じようなことをするという因子を内在していることになります。

大半の行動は習慣・癖によるもの

ほとんどの行動は習慣から、癖から行っています。そしてその習慣を繰り返すことが一種の快適さをもっているため、なかなかその状況から抜けだそうとしません。

それが、特に無害な事柄ならいいですが、癖や習慣の中にも本人をじわじわ苦しめる習慣というものもあります。

やめようと思ってもやめられないとか、やりたいのにいまいちブレーキが掛かってしまうというようなものです。現状維持の方向に向かってしまうというような感じです。

この習慣は、理屈上で頭で理解しても取れるものではありません。心にズドンとショックがない限り、習慣による快適さから抜けだそうとも思わないものです。

繰り返せば習慣になる?

よく意識が変わって習慣が変わって、という言葉を座右の銘かのいう人がいますが、あの言葉はあまり良いとは思えません。視点がアイツ視点ですから、錯覚の中からの意見にしか過ぎないからです。

自分に都合のいい相手の行動というものを繰り返しの習慣で植え付けようとする人がいました。

その人は、「習慣になればそれが当然になる」と言いましたが、結局誰も習慣付くことのないまま、半年も経てばそれをやらそうとしたその人ですら、言ったことを忘れているくらい風化されていました。

外発的動機と内発的動機

ここで胡散臭いコンサルは「それは外発的動機だったからですよ、内発的にシフトする必要があります」などと言います。

内発的動機づけと外発的動機づけ

しかし、どうやったら、明らかに相手にとってだけ都合のいいことを「内発的、自発的な動機」として、感じることが出来るのでしょうか。理論上はそうなりますが、それは机上の空論です。

例えば毎朝、その人に100円をあげるということが、習慣になるでしょうか。

最初はネタのような感じでノリの良い人はするかもしれませんが、昨夜奥さんと史上最大の大喧嘩をしたその翌朝、そんなジョークのようなことをやってられるでしょうか。

人間も動物も植物も、機械ではありません。化学の実験で使われる薬剤のように安定した物ではありません。

それを踏まえて、「繰り返せば習慣になる」と、その法則のようなものをビジネスに応用できるのか本当に考えたことがあるのか疑問です。習慣というものは、それほどに浅い因果関係で結果が生じているわけではありません。

意志の力を弱めて数万回でも繰り返すことができたら、それは習慣になるでしょう。それはどこかで聴いたような話です。怪しい宗教団体などがやっていることです。

直接的命令と無意識的誘導

しかし、よく「社会的洗脳」と言われるような事柄は、その習慣が、直接的に命令されたような事柄ではなく、合理性などを考えた結果選んでいるという手法を使って、ほとんど無意識的にその行動を取るように、間接的に誘導されています。

就職一つとっても、起業もしたことのない人からの大半の意見によって、自称キャリアコンサルタントというような人の意見によって、自営業や起業家、投資家などというお金の得方を無視しています。また過疎部では農業の継ぎ手がいないことで、人不足です。しかしキャリア選択として、その事業の承継は頭の中にはないでしょう。

農業をはじめ、過疎部の事業は地元の自治体などが相当優遇してやっと少しだけ誘致できているような現状です。

しかし、そんなことは頭にはなく、求職者側も50社も面接を受けて、結局ブラック企業に買われていきます。

学校に行くだけで1000万円以上の費用がかかっていたりするにもかかわらず、それでは元が取れません。

しかしそれは「就職しなさい」と直接命令されたというよりも、間接的にそれしか方法がないと思い込まされた結果です。

なぜなら就職活動をしてもらわないと困るような企業の親元や関連会社は広告産業です。求職者を増やすことに、関連会社からたくさん意見を発信すればいいのですから、考えてみれば見事な相乗効果です。

しかし、広告産業が悪いわけではありません。悪者を定め、その相手を責めたりせずに、自分の気持ちを最優先すればいいだけです。

周りの意見を一切無視するというのは、特別悪いことではありません。人の意見、周りの意見を聞いてもいいですが、あくまで振り回されないように参考程度にしかせずに、自分で体験し、感じていくしかありません。

考慮せよ 曙光 252

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ