結婚前の熟慮の見本

もし彼女が私を愛するとすれば、長く続けば彼女は私にとってどんなに重荷となることであろう!またもし彼女が私を愛さないとすれば、長く続けば彼女はそのときようやく私にとってどんなに重荷となることであろう!二つの違った種類の重荷が問題であるにすぎない。― それゆえわれわれは結婚しよう! 曙光 387

モテないが正しい、ということをいつも言っていますが、あまり理解されないような事柄ですので、もう少し深く書いてみようと思います。

男女ともに、本当にモテないが正しいということを悟った時、どうなるのでしょうか?

男女ともに、モテを意識するがゆえに、どれほど自分を制限してきたでしょうか?

あの無駄な行動も、無駄ないらだちも、無駄な「押しつけの受け入れ」も全てがなくなった時、どれほど快適に生きていくことができるでしょうか?

これは、「髪型の崩れがそれほど気にならなくなる」というレベルのものではありません。

人の生き方を根本から変えてしまうほどの気づきなのです。

モテをダシに脅迫してくる人たち

本当に一切のモテを意識しなくなった時、おそらく人の行動はガラッと変わるでしょう。

それはオシャレのために買い物に行くということが無くなるということだけではなく、根本的にかなり自由になるはずです。

世の中の9割の人間は「世話をされたい側」であり、そうした人たちはモテをダシに脅迫をしてきます。

そして人を制限し、人に労力を使わせ、結果無責任に何もしないまま去っていきます。

軽々しい助言

例えば軽々しく「痩せた方がいい」ということを言う人がいます。

で、その言葉を真に受けて実際に痩せたとしましょう。

痩せたとして、それで何かをしてくれるでしょうか?

むしろ、「私の命令や助言を聞くということは、私より価値が下なのだ」ということで、優位に立とうとすることがほとんどではないでしょうか?

そして、実際はそんな言葉を真に受けない人のほうがモテているという現実があります。

「相手に合わせて相手の期待に応える」

ということは、一見正しそうに見えますが、ほとんどは自分が期待したような結果は訪れません。

「こうした方がカッコイイ」とか「こんな人が理想のタイプ」とかそういったことを真に受けて、自分を変えようとすること自体が間違いです。

そういうことで、こういう人がモテるランキングなど、なんのあてにもなりません。

モテをダシにしたこの一種の脅迫を脅迫だと気付くことで、人はどんどん自由になっていきます。

モテ意識による制限から自由になろう

例えば、「きゃー」とキチガイのように騒ぐ子供が、家の前にいるとします。いわゆる「奇声を絶叫する子供」が家の前で叫びまくっているとしましょう。

「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処

普通はそうした子供のお母さんにある意味でモテたいとか、大人だと思われたいとか、そういうことを思い、黙っていることがあるでしょう。もちろん、和を乱したくない、関係性を良好に保ちたい、イザコザを作りたくないというようなものも含まれます。

しかし、一切のモテ、つまり男女間のモテだけでなく、「いい人だと思われよう」とか「心の広い人だと思われよう」ということを思わなくなると、どういった行動を取るでしょうか?

「うるさい!」と怒鳴るか、

「家の前なので公園かどこかに行ってください」と冷静に諭すかは千差万別ですが、ひとまずつっこむ事をすると思います。

良心を逆手に取った脅迫

「こちらは子連れなのに」

とか

「私は高齢者なのに」

ということで、何でもかんでも自分都合を押し付けてくる人がいます。

そうした人たちに対して、モテを意識するとやられたい放題になります。

人の良心を逆手に取った脅迫です。

合わせる必要はありません。

そうして「誰かにこういう風に見られよう」という呪縛から解き放たれた時、すごく自由な毎日を過ごすことができます。

自分を変えようという思考

ちなみに「他人を変えることはできないから、自分を変えよう」と発しているのは他人です。

何も他人に合わせて生きていく必要はないのです。

「他人を変えることはできないと言いながら、どうして今、他人である私を変えようとしているのかね?」と言ってみましょう。

さて、こういう言葉を聞くと、「自分が悪いのだ」と考えてしまう人がいます。

相手を変えることはできないから、イライラしてしまう自分の考え方を変えようということで、思考パターンを変更していこうとしますが、その場合でもだいたいモテを意識して自責の方にいってしまうことがほとんどです。

確かに本来のあるべき姿から乖離した時に不快な感情がきますが、そうした時に「考えを変える」という場合でも、「自分が悪い」という目線だけで考えることは誤謬です。

「こういうことに苛立ってしまう自分が悪い。もっと大人にならなくては」

という思考の変換ではなく、

「モテを意識して、不都合を受け入れている。これをやめよう」というところに根本解決があるという感じで考えてみましょう。

すごく自由になりますよ。

結婚前の熟慮の見本 曙光 387

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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