簡単な異なる表現

先日の実験によるダメージから徐々に気力体力ともに回復してきました。現在、8割位の回復です。

またまた、頭の回復のためにちょろちょろ書いていきます。

最近、少し思うことがあるのですが、たまには平易な表現で書くのもいいかなぁ、ということを考えています。

かと言ってB層に合わせるような「ネタ」を書く気はありません。

あれ面白いですよね。

ネット=基本的に無料、ということで、B層による投票行為がよく行われていますが、100万人のB層が選んだ記事を、その分野の玄人が評価することはほとんどありません。

例えば胡散臭い、人を騙そうとするような心理学テクニックの記事が盛り上がったところで、心理学者はその記事を高く評価することはないでしょう。

もちろん少数派の意見が正しいというわけではないのですが、何気なく語られる常識のようなことは、ほぼすべてが間違いです。

出だしが洗脳によるものですから、その考えた結果も洗脳の影響を受けています。

なんか胡散臭い占い師なんかも、アドバイスの時に平気で「目上の人」というような言葉を使いますが、そのような「目上」という言葉自体が孔子臭い差別発言です。

まあ一度くらいは、その言葉がどういう意味か、とことんまで考えてみたほうが良いでしょう。

想像以上だからこそ

以前、ある人から話を伺ったのですが、「日本には日本の地球があり、アメリカにはアメリカの地球がある」という、意味の分からないようなことを常識として保有している人がいたそうです。

その人の中の「地球」とは一体何なのでしょうか。

また、ある人に勉強を教えたことがあるのですが、テレビで「やらせだろう」と思うレベルの間違いを本当にしていました。

確かに、「識字率」という尺度があることから、実際に文字を読める人、書ける人の割合、そのレベル、というものは千差万別なのでしょう。

逆に言えば、文字を読めなくても生きていけるということです。

それはそれでいいでしょう。

しかし、そのような人は事実近くにもたくさんいました。

これはひとつのショックです。

それでも話すと伝わったりはするので、「一体どうなっているのだろう?」という疑問は残りますが、「話すと伝わる」というレベルの文体で書いてみるのもいいのかもしれません。

しかしながら、最近はどこもかしこも手取り足取りの解説がよくなされています。

言語自体はある意味レベルの低い表現方法

行間を読んだり、テロップ無しで読み解くということを拒絶するかのように、多すぎる解説がたくさん行われています。

ただ、問題となるのは、読解力向上とかそういった点よりも、そもそもの解説文のレベルと、言語の限界です。

言語自体は、レベルを相当落とした表現方法です。

以前に「ひなたぼっこの体感を言語で説明する…」みたいなことを書いたことがありますが、言語化された時点で、情報量というものは格段に落ちます。

そして、その言語そのものに持っている印象がバラバラなので、とんだ変な解釈に向かうことがよくあります。

何気ない言葉

先日、観光地に行ったのですが、何気なく「極楽浄土に…」とか平気で書いてありますから、そういうところでまた洗脳されていくというような印象を受けました。

極楽浄土は結局、ご利益信仰の対象であって、「信仰」が必要なものです。つまりは、無理にでも思い込んでこそしか成り立たない対象です。

一連のストーリーを組んであるだけで、そのストーリーには一貫性があっても、その対象の確認などできません(したつもりでも、妄想と言われれば「はい、おしまい」です)。

結局カルトの構造そのものです。

別にそれを「信じたい」人が、いくら信じようと、僕には関係ありません。

同時に「自分の意見を認めさせる」みたいなことにも興味がありません。

そもそも自分の意見などないのですから。

「人に認められてこそ」みたいな構造はナンセンス

根本的に、「人に認められてこそ」みたいな構造が、ナンセンスです。

なぜならば、人が決めることではないからです。

さらに他人によって決められることでもありません。

結局、権威や専門家、みたいな「周りからの評価」という尺度がないと「不安」という構造です。

しかし感情と理は別物です。

信用しようがしまいが、目を開ければ、何かは見える、閉じていてもまぶたの裏側は見える、といったことに感情は関係ないのと同じです。

そんな感じで、これからも勝手にいろんなことを書いていくでしょう。

その際に、簡単な表現で書くこともあるかもしれません。

しかしながら、表現は簡単でも、内容を変えることはありません。

と、「雑記」ならではの雑記でした。


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