第300回投稿記念

またまた特別企画中かつ、書庫の作成中ですが、これで300記事目になるので少し中断して、第300回投稿記念の回にしようと思います。中断というよりも、合間合間に普通のやつを挟んで行くつもりですので、あまり関係ありません。

常連さんいつもいつもご高覧ありがとうございます。

早いもので記事は300になりました。一周年までにどれくらいになるのかが気になるところです。ちなみにほとんどの画像はクリックすると画像のページに飛びます。そこで軽くコメントしていたりします。ということで検索エンジンのインデックス数は300どころではありません。倍くらいインデックスされているようです。

ページがそれくらいあるのだから、ということで、「宝探し」的なことをしたいような気が少し前からしていました。今のところその準備もしておらずまた、何の案もないので、333回位の時にしようと思います。プレゼントのご用意は問題ないのですが、送付するとなると個人情報的なややこしさがあるので考えものです。うーん。どうしたものか。

それはそれでまた第333回の時に考えましょう。

アクセスは京都もそこそこですが、おおよそ人口順の並びで東京と大阪がぶっちぎりでアクセスいただいております。たまにお金について触れる時があるので、「お金を借りる、○○市」という検索ワードで訪問されているという記録が月間数件あります。全然意図していないキーワードですね。

今回は第300回なので、いつもと趣旨を変えて、京都についてでも少し触れていきましょう。

京都の道

知っている人も多いかと思いますが、京都は昔、上京区と下京区しかありませんでした。かつては上京区だった現北区の一部などの細い道を通ると、森下仁丹の現在地のプレートなんかに「上京區」と書いてあったりします。

山科や伏見はもちろん京都ではありませんでした。確かに街並みは全然違うものの、その感覚がイマイチわからなかったのですが、京北町が右京区に編入された時に感じた違和感に近いものを両親などの世代以上は思っているのでしょう。

六間(ろっけん)、上六間(かみろっけん)と言っても通じるのは古い人だけで、移住してきた人にはわけのわからない単語ですが、今宮通と玄以通です。相合図子と言って通じるのは地元民だけで、役所の人でも下ノ森通で覚えているようです。つまり、そんな言葉が通じるのはおすすめスポットを「鴨川」などとは言わない人たちです。下立売と単に言うときは下ノ下立売、上ノ下立売は一般的には妙心寺道と言われるようです。それに加えて、御前通はその脇に旧御前通というのがあります。そこまで知ってこそ京都人になります。おすすめスポットを「四条大橋」などとは言わない正統派京都人です。

短すぎる道でも、建勲通、紫野北通、三本木通、木津屋橋通、鉾参通などと名前がついています。鉾参通は「名前が無いのは変」ということで結構新しくできた名前のようですが、路地は別として、かなり細かい道でも名前がついているのだから、全国的にそれが当然だと思ったら、意外とそうでもないことに気づいたのが18歳ごろでした。国道はでかでかと表示されているので、五条通は1号と9号、というのは何となく知っていましたが、府道、市道となるとどこがどこかわかりません。西大路は市道181号のようですが、そんなことを知ったのはつい最近です。

なお、道が狭いためほとんど交互に一方通行になっていますが、これを無視して逆走するのは、ほとんどが一回り小さい3桁のナンバープレートの原チャリに乗った方か、他県ナンバーの白いワゴンRなどです。一方通行というものが教習所のテキストの中の世界だけで、自分たちの文化圏では都市伝説だったのでしょうが、それは京都では通用しません。京都に来なくていいですから、田舎に帰って満喫してください。

地名がない

京都市内中心地には地名がありません。地名がないので、あまり何丁目という表現もありません。あくまで通りと通りの交差点に対して上る何丁目という表現になります。そのような表記もごく限られた場所でしかありません。あとは住所が強烈に長いことです。たとえば市役所でも京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地、といったように地名がないため通り名と町名で表現することになります。通り名が、元誓願寺通や知恵光院通というふうに長くなればもっと長くなります。これにマンション名などが加わると、申込用紙がOCRの場合、たいていはみ出すでしょう。しかも、町名は同一区内に数箇所あったりするので、あまり適当に書くと、郵便が届きません。「町」とついても地名のような扱いではないため、だいたい数十件だったりします。しかも隣の町とで連番になっていて、488番地だからといってその町に488軒の建物があるわけではないところが特殊だと思います。市役所は角地ですが、寺町通御池上る、というように表現した場合先に出てくる道沿いに建物があるという意味で、後に出てくる道は「通」が省略されていたりします。みんなそのように書いたりするので、カタイ書類に正規の戸籍上の住所を書くときもいつもどおり省略してしまって書き直し、というパターンもよくあります。上る、下る表記も、人によって上、上がる、上ル、などとバラバラのため、お役人さんは困っていると思います。角地などの場合は、たいてい四条通以外は縦の道が優先的に先に書かれます。一番最寄りの交差点からの位置関係を示しますが、商売をされている方は「下る」を嫌って少し遠くても「上る」になるように設定されている方がほとんどのようです。

うちの家も猛烈に住所が長いのですが、小学生くらいの時は住所を書くとなると自分の住所以外といえば、年賀状かコミックの懸賞くらいです。年賀状といってもどうせ同級生くらいにしか出さないので、同じように長い住所になります。そこで、コミックの応募先はだいたいというか全て東京になります。そうなると東京都千代田区一ツ橋2-3-1(ちなみに小学館さんです)といったように、すごく短い住所になります。この時、「東京は首都なので特別なのだ」と思っていました。ところが特別なのは自分の住んでいるところなのだ、と気づいたのが中学生くらいの時です。

そういった理由から通り名を覚えるのは当然になります。太秦、西京極といえばだいたいあのあたりと、イメージできますが、そんな地名がないのだから、交差点ごとに覚えていかねばなりません。そこで碁盤の目と言われるように縦と横さえ覚えきれば、あとは交差するポイントだけなので、逆に便利になります。

元学区

また、地名がないため、京都では元学区という概念があります。小学校の範囲で一つのグループになるわけですが。今は一番長続きと言われた待賢小学校ですら出水小学校と一緒になって二条城北小学校になりました。ただ、地区的なまとまりとしては元学区のままでしょう。そうなると廃校になった小学校の元学区名を知っているかどうかで、にわか京都人かどうか見分けが付きます。立誠は木屋町にあるので、田舎から出てきた大学生でも知っているかもしれませんが、生祥や日彰はあまり知らないでしょう。成逸などといってもおそらくわかりませんし、西陣と桃園、という区切りもあまり知らないのかもしれません。ちなみにこの西陣と桃園が一緒になった今の西陣中央小学校の前身、桃園小学校は地元の織物屋などが出資して建てたという異例の公立校であり、うちのおばあちゃんのおじいちゃんなども出資したそうです。


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