第三の解放

ご無沙汰しております。bossuです。やはり睡眠が浅く体調が良くありません。

が、本日、非常に解放されたような気分になりました。第800回投稿記念目前ですが、個人的なことについて触れていきます。

御存知の通り(常連さんだけかもしれませんが)、僕は、闇雲に勉強だけしてきたタイプではありません。

どちらかといえば野草のような生き方をしてきました。

野草って強いですよね。

いつも彼らをみると元気になります。

最近でこそ煩いも少なく、平穏な日々を暮らしていますが、人生はすごい波の連続でした。

僕には人生で数回の転機がありました。そのたびに解放されたような気分になりました。

一つは病から回復したこと、そして第二の解放は、お父さんとの軋轢から解放された時でした。病からの解放については、理解者のおばあさんとの出会いの時に起こりました。

それは現象として何かが起こったというよりも、自分の意識の中で爆発的に変化が起こった瞬間です。

第二の解放

実を言うとお父さんの事業は一度倒産に追い込まれていました。その時の、情けない父を見て、彼を責め立てる僕がいました。まだ僕が十代だった時のことです。

その後、父は再生しましたが、自分が社会に出て、窮地に立った時、気晴らしにと旅に出た時に、ふと当時のお父さんのことを思い出しました。

その時の様子は、今でも鮮明に覚えています。

全身から気が解放されたように感じ、様々な感情が爆発して、当時のお父さんが感じたであろう感情も合わさって、涙が止まりませんでした。

その後、僕は時を経て起業し、数時間のバイトで音を上げるような頃から比べれば、相当の出世もしました。

公私共に良きパートナーに恵まれました。

お父さんを責め立てた当時の僕の気持ちも、否定はしていません。しかしそれ以上に父の気持ちも理解できるようになりました。

第二の解放は、深いところで父と和解できた瞬間でした。

第三の解放

僕は昔から家族というものが嫌いです。

なぜならば、家族内で人が平等に扱われることはほとんど無いからです。たいていは甘え上手が優遇され、しっかりものほど粗末に扱われます。

これは会社などでも同じかもしれません。

甘え上手の体育会系後輩ポジションのような人の方が優遇されます。仲がいいからという理由で仲良くやる分にはいいですが、僕はこれが理解できません。

なぜならば、人は等しく平等に扱われるべきだからです。そして命においてはすべての生命が平等に扱われるべきです。

誰かへの優遇は、誰かを差別することになります。

差別とは、社会的な問題です。社会とは人が二人以上存在するところから始まります。

以前、僕は19歳の時にハワイで中国人に差別されました

理由は日本人だからか、若いからかはわかりません。

しかし、僕は中国人を差別することはありません。差別してきたその人は低俗だという判断をしますが、それを全体に適用するのはナンセンスだからです。

この差別の問題は、人種単位などだけではありません。

家族の中でも起こりえます。古く家長制度というものも差別そのものです。そういう意味で儒教、孔子は尊敬どころか蔑視しています。

根拠なき年功序列も差別です。だから体育会系思想自体が差別そのものです。

差別とは、何の合理性もない基準で勝手に人を区別することです。それは蔑視だけでなく、優遇もひとつの形となりえます。

だからこそ奢る奢られるも嫌いです。

人に甘える人間が嫌いです。

そして甘えられると嬉しがる人間も嫌いです。

だからこそ水商売など一生行かないと決めています。

僕がこのような考えになったのには原因があります。

それは家族です。

しかし、好きな相手に差別されるからこそ、苦しいということがわかりました。

愛情が欲しいわけでも、お金が欲しいわけでもありません。家族からそのようなものを欲しいと思うことはありません。

相手を好きな分、ふとした優遇、差別的扱いを目の前にすると、相手を好きでいられなくなるからこそ苦しいということに気づきました。

人に甘える人間は、一生自らの足で立つ喜びを知らないまま死んでいくでしょう。それは別にそれで構いません。人事ですから、僕には関係ありません。その人が経験する現象です。

僕は、無意識の底に眠っていたそんな部分を今日発見しました。それほど気にしていなかったように見えて、無意識ではしっかりと気にしていたということにも気づきました。

知り合いの社長が、取引先の従業員の方に、年が若いからという理由で食事をおごっているのをみて感じた違和感も、これが原因です。

別にお金が惜しいわけでもなんでもありません。

ただ、そのような現象をみると、無意識の底に眠った「差別への違和感」が反応するということでした。

そしてそれは、好きな相手に差別されることによって、相手を好きでいられなくなるという感情でした。それがわかったとき、家族というものに程よい距離を起きつつ、家族を好きになれるのかもしれません。

非常に良い一日でした。


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